「アーメン」は賛意をあらわす、簡潔で優しい響きの言葉 ~クリスチャンになってから毎日使っています

 ノンクリスチャンでも、「アーメン」という言葉を知っている人は多いでしょう。日本の一般社会では、実際にはほとんど使われないのに、こんなに周知されている言葉は珍しいと思います。
 私もノンクリスチャンだったころは、「アーメン」は「知っているけれども、使う機会のない言葉」でした。

 もしかすると、小学生のときに一度だけキリスト教会に行ったことがあるので、そのときの礼拝で、小さな声で唱和したかもしれません。使った経験があるとしても、そのくらいです。(そのときのことは、こちらの記事をご覧ください↓)

 小学生のころといえば、やんちゃなクラスメイトたちが、「アーメン ソーメン 味噌ラーメン」と、楽しそうに言い合っていたことがありました。最後の味噌ラーメンの部分は、地域によって「冷やソーメン」とか、いろいろなバージョンがあるようです。
 もしいま、そう言ってはしゃいでいる子どもたちがいたしたとても、私の場合は、けしからんとは思いません。たぶん、ほほえましいなあと感じるでしょう。もちろんそれは、アーメンの本来の使い方ではないですが、「ノンクリスチャンの多い日本の子どもでも、アーメンという言葉は知っている。それなりに普及しているんだなあ」とうれしく思うような気がします。
 そして、「ちゃんとした意味は知らずに、なんとなくアーメンという言葉だけを知っているんだろうな」とも。

 以前の私も同じでした。先ほど「知っているけれども、使う機会のない言葉」と書きましたが、知っていたのは「アーメンというカタカタ語をキリスト教徒が使うらしい」ということだけ。どういう意味を持っているかは知りませんでした。

 アーメンは、ヘブライ語やアラム語で、「真実に」「確かに」「そのとおりです」などの意味。簡潔に、賛意を伝える言葉です。

 聖書にも出てきます。たとえば旧約では、

エズラが大いなる神、主をたたえると民は皆、両手を挙げて、「アーメン、アーメン」と唱和し、ひざまずき、顔を地に伏せて、主を礼拝した。
(ネヘミヤ記8:6 聖書新共同訳)

 新約でもあちこちに出てきますが、ここでは聖書の文書の締めくくりにあたる、ヨハネの黙示録のラストを見てみましょう。

以上すべてを証しする方が、言われる。「然り、わたしはすぐに来る。」アーメン、主イエスよ、来てください。
 主イエスの恵みが、すべての者と共にあるように。
(ヨハネの黙示録22:20-21 聖書新共同訳)

 ちなみに、イエスさまの決め台詞として有名な「はっきり言っておく」は、原文では「アーメン、アーメン、レゴー、ヒューミン」でした。「アーメン(まことに)、アーメン(まことに)、あなたに告げます」という意味です。イエスさまも、アーメンという言葉をよくお使いだったのですね。

 アーメンは、礼拝のとき、祈祷などの最後に唱和します。また、ふだんひとりでするお祈りの締めにも使います。
「この祈りを、主イエス・キリストのみ名によってお捧げします。アーメン」みたいな感じです。
 私は食事の前に必ず祈りますし、ほかにもひとりで祈ることがあるので、毎日、必ずアーメンという言葉を使っています。

 ノンクリスチャンだったころは、まさか自分がアーメンを日常的に言うようになるなんて、想像していませんでした。
 40代で教会に通い始めてから、使うようになったのですが、はじめのうちは礼拝で、周りの人に合わせてなんとなく唱和しているだけでした。

 それが、キリスト教を信仰する、イエスさまについて行くと決めてから、言葉の響きの深さが変わってきました。イエスさまや神さまに向かって、自分の心の奥深いところから発しているアーメンです。しかも、きっと神さまに届いていると信じられるアーメンなのです。その変化は、感動ですらありました。受洗後はなお深く、その感じが得られるようになったことは、言うまでもありません。

 さらに、結婚後に夫が受洗してくれて、日々の食前の祈りをともにできるようになりました。わが家ではひとりずつお祈りをし、最後のアーメンは声を合わせます。これもまた、しみじみよいものだなあと思えます。私の祈りにもうひとり「そのとおりです」と賛意を表してくれる人がいるのですから。
 ひとりで祈っていたときよりも、神さまにより強く届きそうな気がして、頼もしい感じがします。

 また、これは個人的な感覚ですが、アーメンという言葉の音には尖った部分がなくて、響きが優しいのもいいですね。こんなに簡潔に、優しい響きで賛意を表せるなんて素敵です。

 こうして考えてみると、アーメンという言葉を日々、声に出して言う機会があることで、心の平安を保ちやすくなっているという面があるかもしれません。

 ノンクリスチャンの方々も、キリスト教の信徒の結婚式や、お葬式に参列すると、アーメンの唱和を案内されることがあると思います。ここまで述べてきたとおり、アーメン自体はただ賛意を表す言葉です。ノンクリスチャンが使っていけないということはありません。結婚するカップルの幸福を願ったり、故人の平安を願ったりする神父や牧師の祈りに合わせ、ご唱和いただければと思います。


◇見出しの写真は、みんなのフォトギャラリーから、hanakokoroさんの作品を使わせていただきました。ありがとうございます。

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