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洗礼を受ける、ということ ~意外にすぐには受けられない、クリスチャンとしての誕生の式

 今年のイースターは、日本でも多くのキリスト教会が会堂をクローズし、礼拝をオンライン配信に切り替えて行っていました。いまも同様に、集会の自粛は続いています。
 私自身はこのような社会状況で、キリスト教会がリアルで人を集めずに、オンラインで礼拝をする試みをしているのには、賛成しています。新型コロナウイルスの拡大防止に貢献するのは、キリスト教の信仰にかなっていると考えるからです。

 ただ、今年のイースターに受洗を予定されていた人たちのことを考えると、もしかして洗礼式が延期になったのではないか、だとしたら、どれだけがっかりされただろうか、と、心が痛みます。
 もしそのような人がこのnoteを読んでくださっていたら、どうか気を落とさないで、ご不安かもしれないけれど、どうか心配しないで、と伝えたいです。
 神さまの愛は、一方通行。こちらが洗礼を受けている・いないにかかわらず、すべての人にそそがれています。太陽の光みたいなものですね。
 洗礼式をする前と、したあとで、神さまの愛が変わることはありません。その愛は、受洗しないと受け取れないというものでもありません。私たちの態度に関係なく、神さまは100%の愛を一方的に、全員へ与えてくれている、誰でも自由に受け取れる、私はそう考えています。

 でななぜ、洗礼を受けるのか。
 私の場合は、イエス・キリストを信じていると公に言い表して、クリスチャンの仲間に入る、という感覚が強かったです。自分が進んでいく道が定まる、という感じでしょうか。
 ちなみに、日本のプロテスタントの教会では、洗礼式は日曜の礼拝のなかで行われることが多いです。(教派によって、また、教会によって、さまざまだとは思います。)

 洗礼式の日を迎えるまでには、一定の準備期間が必要です。
 たまに、「洗礼を受けたいと思って来ました」と、教会を訪ねてくる方がいらっしゃいます。実は私も、40代で近所の教会を訪ねたときは、そのくらいの覚悟で行きました。ところが洗礼は、自分の意思だけですぐに受けられるものではありませんでした。

↓こちらの記事で、教会籍の話をしました。

 教会籍を移す手続きには長い道のりがある、ということを書きましたが、洗礼を受ける前は、さらに慎重な準備期間が設けられます。
 以下、私が経験し、見聞きしてきた範囲で、洗礼までの流れを説明します。

 まずはノンクリスチャンの状態(求道者とも呼ばれる)で、それなりの期間、ひとつの教会に通って牧師の説教を聞き、その教会のクリスチャンたちと親交を深めます。
 よくよく考えた上で、洗礼を受けたいという決意がかたまったら、牧師に申し入れをして、受洗準備会みたいな講習を何回か受けさせてもらいます。そして牧師が、そろそろ洗礼を授けてもいいころだと判断したら、その教会の役員たちの面接を受け、「この教会の一員として受け入れてもいいよ」という承認をもらいます。

 すると、次の洗礼式でいよいよ洗礼を受けられることになります。しかし洗礼式は、単発でいつでもあるわけではなく、クリスマスやイースターなどの大きな行事のときに、まとめて行われることが多いです。少なくとも私がもといた教会や、いまいる教会ではそうなっています。
 ですから、せっかく今年のイースターに向けて準備していたのに延びてしまったという人がいたら、切ないお気持ちだろうなあ、と思うのです。

 でも、洗礼前の準備の期間は、一度洗礼を受けてしまったら、二度とは味わうことのできない時間です。教会員の方々とはすでに親しくなっていると思うので、そうした方々に支えられながら、与えられた時間を大切にして、学びを深め、心をととのえていってほしいと思います。

 洗礼式は、いいものです。
 クリスチャンの自分が誕生する儀式ですから。
 見たことのない方々のために、ざっくりと流れを紹介すると、礼拝の参加者が見守るなかで、結婚式の新郎新婦みたいに前へ出て、牧師の言葉に対して宣誓し、教会員たちから「受け入れます」という承認をもらい、水をかけてもらいます(または、用意されている水に浸かります)。
 こう書くと、あっさりしていますね……。プロテスタントの多くの教派では、洗礼名もつかないですし。
 でもやはり、洗礼式はいいものなのです(笑)。

 自分の洗礼式をふり返っても、あのときのあたたかくて祝福に満ちた雰囲気は、人生で再び遭遇することはないかもしれないな、と思います。先輩のクリスチャンたちが、新しいクリスチャンの誕生を心から喜んで、見守ってくれているというのがほんとうに、空気から伝わってきました。
 強いてたとえるなら、友人たちに祝福されて結婚の誓いをする、チャペルウェディングの雰囲気に似ているでしょうか。
 いま洗礼に向けて準備されている人たちが、困難な状況を乗り越えて、それぞれに神さまが用意してくださった受洗の機会へ導かれますよう、願っています。

 なお、病床洗礼などは、臨機応変に、異なる手続きと状況で行われます。

 この先、外出自粛によるオンライン礼拝の期間が長く続く場合は、それぞれの教会で、洗礼式をどのようにしていくかという課題が出てくるでしょう。
 いまはどの教会も、前例のない対応を試行錯誤しているときです。
 もし、さまざまな事情で、急いで洗礼を受けたいと望んでいる人がいらっしゃいましたら、お近くの教会の神父や牧師に相談されてみるといいと思います。
 ホームページに問い合わせフォームがある教会も、少なくありません。

 こういうときに、「助けて」の声をキャッチする場所のひとつがキリスト教会だと思いますし、教会は社会のなかで、たとえ完全にはできなくても、そういう存在であろうとし続けることが大切だと、私には思えます。



◇見出しの写真は、みんなのフォトギャラリーから、devaagni2000さんの作品を使わせていただきました。ありがとうございます。

※キリスト新聞さんが、オンライン礼拝・ミサの一覧をまとめてくださっています(随時更新)。各教会の当該サイトにリンクで飛べるようになっています。こちら↓です。ご参考までに。




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