本に聞く。知りたいことを祈り、ぱっとページを開いたら ~魂の名言集『聖なる知恵の言葉』
悩みがあり、それが抽象的で誰かに相談しても解決できない内容だった場合、私はしばしば本に聞いてみる。
その悩みについて、教えてもらいたい、知りたいと思ってることをまず祈り、それからぱっとページを開いて、そこにある言葉を読んでみる。すると案外、ヒントをもらえたりする。
私はクリスチャンだから、いつもは聖書に聞くことが多いのだけれど、先日はこちらの本に聞いてみた。
スーザン・ヘイワード編『聖なる知恵の言葉』。
巻頭の「この本の使い方」という部分に以下の記述があり、なるほど、まさにこういう使い方をする前提で編まれた本なのか、と共感した。
古今東西の知恵の言葉が、1ページにひとつずつ掲載されている形式の本である。
頭から順に読んでいくのもいいけれど、そのときどき、抱えている悩みや問題を思い浮かべてランダムにページを開いてみる、という使い方はこの本のあり方に適していると思う。
ちょうど心に引っかかっていることがあったので、やってみた。
最初に開いたページにあったのは、この言葉。
言われてみれば、過去のことと未来のことで悩んでいたから、この言葉のとおり「いま」という瞬間の幸せに集中しよう、そう自分に言い聞かせた。
すると少し楽になった。
そのとき、ふと「ここを開いて」と言わんばかりに開き癖のついているページがあるのに気がついて、素直に開いてみることに。
大好きなタゴールの、でも私の知らない言葉が掲載されていた(もしかしたら前に読んだことのある言葉かもしれないが、記憶には残っていなかった)。
まさしくいまの私がその状態。
これぞ必要な言葉だった。
くすぶっていた悩みへの、鮮やかな回答のようでもある。
胸の奥が震えつつ、「つい焦りそうになるけれど、いまの私はこれでいいんだな」と安心した。
ちなみにその後何回か、開き癖の部分をまた開けてみたのだけれど、そこは別のページだった。タゴールのページの開き癖は、不思議なことにもうなくなってしまったらしい。
一度きりの偶然。だからこそ、この言葉に出合えたのは必然だったと、信じられる気がした。
もう一冊、聞いてみたいと思える本があり、ひさしぶりに手に取った。
晴佐久昌英『おさなごのように 天の父に甘える七十七の祈り』。
晴佐久神父が考案された77種の祈りの言葉が、ひと見開きにひとつを基本として掲載されている。どの祈りも平易な言葉で紡がれており、さまざまな場面で人の心に寄り添う内容だ。
いまの自分がどんなふうに神さまに祈ったらいいのか、教えてもらいたかった。すがるような思いで、ぱっと開いた。
そのページに出ていたのは、「恐れているときの祈り」。
これもまた、私の心境にぴったりだった。
心の中にあったものをそのまま言葉にかえてもらえたみたいで、読むだけで祈りを唱えたのと同じような感覚を得ることができた。
悩みの迷路に入っているとき、自分の悩みのあれこれを適切な祈りの言葉にまとめるのは、私には難しい。この本の、このページの、この祈りはジャストタイミングでそんな私を助けてくれた。
心の内を言葉にして神さまに祈ることができ、おかげで救われた。
祈りのちから。
言葉というものの不思議なちから。
本という存在。
偶然の顔をした必然。
すべてに感謝です。
◇見出しのイラストは、みんなのフォトギャラリーから
chona_illustさんの作品を使わせていただきました。
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