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みずうみの記憶 ~北海道の湖と、聖書の湖に癒される

 20代のころ、私は北海道でオートバイに乗っていた。
 仕事でバイク雑誌の編集長をしていたこともあり、オンロードもオフロードもいろいろ乗った。いちばんのお気に入りは、古い750㏄だった。

 ひとりでツーリングするのが好きだった。気ままに止まり、気ままに走る。地図を見て、その日の行先を決める。

 よく行ったのは、湖だ。
 札幌から日帰りなら、支笏湖か洞爺湖。個性はまったく異なるけれど、どちらも美しい湖だった。
 泊まりがけで道東へロングツーリングに出かけるときは、ふだんはなかなか行けない湖を訪ねるのが楽しみだった。
 有名なところで言えば、阿寒湖、屈斜路湖、摩周湖。
 すべて雰囲気が違っていて、素敵だった。30年ほど前の話だから、いまはもう湖畔の様子は変わってしまっているだろうか。私は人の少ないところが好きだったので、土産物屋が立ち並ぶ阿寒湖畔ではあえてにぎやかな場所を避け、摩周湖なら裏摩周に回ったりしていた。
 美幌峠を走っていたとき、不意に、眼下に屈斜路湖が姿を現したことがある。想像以上に大きかった。生命力のある青さが、圧倒的な存在感をもって広がっていた。その雄大さと、厳かな美しさが忘れられない。

 当時、好んで何度も訪れたのは、オンネトーとチミケップ湖。どちらも静かな湖だ。
 オンネトーは湖面の色が刻々と変わることから五色沼とも呼ばれるという。それを実感したことはないけれど、確かに、訪れる度に湖面の表情が異なるような、神秘的な湖だった。きらきらと輝く水面が美しくて、ひとりで黙って眺めていた。特別な時間だった。
 チミケップ湖も、いい。深い森に囲まれた、静謐な湖だ。はじめて湖畔に立ったとき、タルコフスキー監督の映画『サクリファイス』を思い出した。映画では、主人公が植えた1本の木があるのは海辺だけれど、チミケップ湖の印象は、それに似ていると私は感じた。湖畔のキャンプ場で、キャンプしたこともある。夜の闇はこわいくらいに濃く暗く、朝の湖面は光にあふれて美しかった。
 この湖は、作家の三浦綾子さんも好きだったらしい。訪ねたときのことを、エッセイに書いていらっしゃる。時は違っても、同じ湖を眺めて感動していたんだなと、うれしかった。

 聖書にも、湖が出てくる。
 ノンクリスチャンの方々にも名が知られているのは、ガリラヤ湖だろう。
 ほかにもキネレト湖、ティベリアス湖、ゲネサレト湖という湖が出てきて、どこにあるのかなと思って調べてみたら、すべてガリラヤ湖の別名だった。

 ガリラヤ湖は、イエス・キリストゆかりの地。私はまだ行ったことがないけれど、WEBで検索してみると、幻想的な写真がいくつも出てくる。実際に訪ねたら、どんな感じなのだろう。私の生涯に、そんな機会はあるかしら。遠い先でいいから、あったらいいなと願った。

 実は、今日はちょっと疲れていて、noteでは予定していた内容ではなく、大好きだった湖を思い浮かべて書いてみた(すると、すらすら書けてしまった)。懐かしい風景、きらめく湖面、水の音、森の匂いなどが甦ってきたせいか、不思議と気持ちも癒された。

 聖書の湖を調べていて、見つけた聖句。

熱した砂地は湖となり、乾いた地は水の湧くところとなる。山犬がうずくまるところは、葦やパピルスの茂るところとなる。
(イザヤ書35:7 聖書新共同訳)

 まさに、いまの私の心境のよう。疲れて乾いていた心身に、澄んだ水とみずみずしい緑が与えられる。この部分のすこし前に出ている聖句にも、感動した。

弱った手に力を込め、よろめく膝を強くせよ。心おののく人々に言え。「雄々しくあれ、恐れるな。見よ、あなたたちの神を。敵を打ち、悪に報いる神が来られる。神は来て、あなたたちを救われる。」
(イザヤ書35:4 同)

 聖書をめくっていると、ときどきこうして、自分にとってのタイムリーな言葉に出合い、励まされることがある。


◇見出しの写真は、みんなのフォトギャラリーから、Angie-BXLさんの作品を使わせていただきました。ありがとうございます。

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