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イエスさまとジーザス

 noteを始めたとき、イエス・キリストのことをなんと呼んだら(書いたら)いいか、実は迷いました。

「イエス・キリスト」と書くと、無難です。でもややかたくるしいし、なんだかノンクリスチャンの学者さんが書いた本の文章みたいになってしまいそう。教科書的といったらいいでしょうか。

「イエス」と呼び捨てにすると、シンプルです。でも私だけかもしれませんが、ちょっと客観的になり、距離ができてしまう感じがしました。親しいから呼び捨てにしているのではなくて、ともすると他人行儀に見えるというか。

「イエスさま」と書くと、これはいかにも信徒らしいです。反面、宗教っぽいというデメリットも(笑)。

 と、それなりに考えた末、基本は「イエスさま」、ときどき(客観的な説明をする際などに)「イエス・キリスト」を使うことにしました。

 私の場合、このnoteは〝いまどきのキリスト者〟の日常を発信することがテーマで、書いているのは日々の暮らしのあれこれと、自分の体験をもとにした随想です。そのため、「イエスさま」と書いても、変なふうに宗教っぽくはならないだろうから、さほど抵抗なく読んでいただけるのではないか、と思いました。
 不思議なもので「さま」と敬称をつけるほうが、ごく親しい人を「〇〇ちゃん」と呼ぶような、温かい親しみをこめられる気がするのです。

 ところで、コロナ禍のせいもあり昨年から、いくつかの教会のオンライン礼拝やミサを視聴するようになりました。
 最近、毎週お世話になっているのは、横浜国際バプテスト教会(YIBC)のライブ配信。英語と日本語のバイリンガル礼拝です。

 この教会では、先に英語の話者が少し話し、次に日本語の訳者がその部分を訳して話し、それを繰り返す形式で礼拝を進めています。
 英語で「ジーザス」と言い、日本語では「イエスさま」と言う、そんなシーンを見るにつれ、「ジーザス」という呼び方も素敵だな、と感じるようになりました。
「ジーザス」は、なぜか「イエス」と呼び捨てにするよりも、距離が近いというか親しみがこもっている印象を受けます。なぜでしょうね。海外では、ファーストネームで敬称をつけずに呼び合うことに日本ほどのハードルがなく、それが自然なことだから?

 ともあれ、イエスさまをジーザスと呼べるのって、いいなあ……と、少しうらやましい気持ちです。なんというか、「ジーザス」と呼ぶことで、よりいっそう「すぐ隣にいてくれる感」を表現できるような、個人的にはそんな気がするせいかもしれません。

◇見出しの写真は、みんなのフォトギャラリーから、Angie-BXLさんの作品を使わせていただきました。ありがとうございます。

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