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疲れた…ので、聖書のあの箇所を開いてみたら
このところ疲れが溜まっています。思わず「パトラッシュ…」とアニメ『フランダースの犬』最終回の主人公ネロのセリフがこぼれたことも(そのときは夫が、「俺がパトラッシュか? まあ、そうだな」と応えてくれました・笑)。
それはそれとして、この疲労感をどうにかしたいというか、「とにかく疲れてどうしようもないときは大好きなイエスさまのあのセリフだな」と思い、手元にある新共同訳の聖書を開きました。
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
実は、リアルで新共同訳聖書を手に取る前に、ぱっとPCの画面で見ようとして、日本聖書協会の聖書本文検索ページで検索してみました。
でも、「疲れた」のキーワードで新共同訳ではなく聖書協会共同訳の方で検索すると、マタイによる福音書はヒットしません。
「あれ?」と思って「書名・章・節から探す」の方でマタイによる福音書11章28節を引いてみると、聖書協会共同訳ではこのように出てきました。
すべて重荷を負って苦労している者は、私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。
「疲れた者」の言葉がなく、「重荷を負って苦労している者」になっている…!
もちろん「重荷を負って苦労している者」でもいいのですけれど、いまの私にはイエスさまの言葉として「疲れた者」と呼び掛けてもらえるほうがありがたいかな、と思いました。そこで、手元にある新共同訳聖書を開いてその箇所を読み返したというわけです。
ただ、聖書協会共同訳を「疲れた」のキーワードで検索してみたことの実りもありました。エレミヤ書の下記の箇所を見つけたこと。
私が疲れた魂を潤し、衰えたどの命も満ち足らせるからだ。
前後の流れを知りたくなり、手元のリアル聖書でもエレミヤ書の31章を開いてみました。23節あたりから読んで、しみじみ励まされたのですが、25節は若干、訳が異なっていました。
わたしは疲れた魂を潤し、衰えた魂に力を満たす。
新共同訳のほうは簡潔でいいけれど、少し詩的。聖書協会共同訳の方が、いまの私には万軍の主の言葉の頼もしさがじわじわと伝わってくる感じがしました。
どの訳も個性があり、読み比べると面白いです。そのときどきで胸に響く翻訳の聖句を味わうこともできますし。
疲れが回復するにはまだ時間がかかりそうですが、心が渇くことはありません。イエスさまと神さまが、いつも私の心に命の水=愛を注いでくださっていると信じているからです。
◇見出しの写真は、みんなのフォトギャラリーから
abinekolandさんの作品を使わせていただきました。
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