キリスト教会は、いろんな人の交差点であってほしい
最近noteで拝読した、こちらの記事に共感しました。
けんたろさんの「逃げ場を作る」。
日本のキリスト教会の閉鎖性についての問題提起と、他の教会を知っておくことの意義をやわらかく伝えてくださっています。
「出入り自由の風通しのいい状態の方が、返って居心地がよくなるものです。」という部分には同感でした。
私も、キリスト教会はクリスチャンもノンクリスチャンも含めていろいろな人が行き交う交差点のような場所であってほしいと願っているからです。
毎週同じメンバーで集まって、参加回数の多い人が信仰が厚いとされるような価値観は、教会が本来担っている社会的な役割と離れてしまっているように思います。
目指すところは、教義や神学について詳しく語れる人がたくさんいる学校みたいな場所ではなく、誰でも気軽に立ち寄れる地域の拠点、というイメージでしょうか。
疲れた人や悩んでいる人がいらしたら、神を語る前に苦労をねぎらい、いたわって、一緒に悩んだり考えたりできるようなところ。そして、うれしいことは一緒に喜べるようなところ。
そういう教会が増えたらいいなあ、と。
ちなみに、けんたろさんのnoteには、
クリスチャンの定義についてのこんな記事も。
私も似た感じで、割とおおらかにとらえています。
そして、信仰は個人のもの。その人と神さまの一対一の関係ですから、他の人から見てどうかという視点はあまり重要ではないと考えています。
クリスチャンといっても、いろいろな考え方の人がいらっしゃいますし、教派によってもいろいろ。それもまた神さまのご計画なのかもしれないし、人間の価値観で正否を判断しなくていいことだと思います。
大切なのは、そうした現状のなかで自分が何をしていけるかということ。
そのあたりのことを書いている私の過去の記事も、リンクを貼っておきますので、よろしければご覧くださいませ。
◇見出しの写真は、みんなのフォトギャラリーから
鍬形(kuwagatg_bass)さんの作品を使わせていただきました。
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