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孤独の底に沈みそうになったとき……そっと支えてくれる聖書の言葉。

 40代の半ばごろまで、私は孤独の底にいました。いまでこそ夫と苦楽をわかち合えるようになり、その恵みを神さまに感謝していますが、孤独のなかで生きてきた前半生は私のなかにあり続けています。

 人は本来、孤独な生きもの。でも、孤独すぎるのはつらいものです。生まれてくるときはひとり、死ぬときもひとりとはいえ、だからこそ、この世でたくさんの命と出会い、響き合いたい。植物、動物、そしてもちろん人間とも。だからやっぱり、孤独すぎるのはつらいなあ、と思います。

 いまでもふと、あのころの孤独を思い出し、おそれにとりつかれることがあります。そんなときのためにと思って、今日は聖書をめくってみました。

 最初に見つけて、素敵だなあと思ったのがこちら。

御顔を向けて、わたしを憐れんでください。
わたしは貧しく、孤独です。
悩む心を解き放ち
痛みからわたしを引き出してください。
(詩編25:16-17 聖書 新共同訳)

 ほんとうに苦しいときは、祈りの言葉すら考えられないことがあります。そういうときは、詩編のここを開いて、この聖句を借りて祈ろうと思いました。

 すこしあとには、こんな言葉も。

あなたに望みをおき、無垢でまっすぐなら
そのことがわたしを守ってくれるでしょう。
(詩編25:21 同)

 こういう信頼の仕方が、あっていいのですね。
 無垢に、まっすぐに、神さまに望みをおくことが、自分自身を守ってくれると信じること。これは強い。
 信じるというのは、神さまに保証を求めることではなくて、自分からそれを信じる、賭けるということだろうと私は考えています。
 だから、私はこの聖句を信じたい、信じよう。そんなふうに思いました。

 やはり保証を求める意味ではなくて、こういう神さまだから好き! と思えるのが、次の聖句。

主は倒れようとする人をひとりひとり支え
うずくまっている人を起こしてくださいます。
(詩編145:14 同)

 こういう神だから、信じたいと思うのです。

 そして、孤独な心にじんわり沁みる言葉を、イザヤ書から。

恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。
たじろぐな、わたしはあなたの神。
勢いを与えてあなたを助け
わたしの救いの右の手であなたを支える。
(イザヤ書41:10 同)

 力強い言葉です。
 孤独でひとりぼっちだと沈みそうになるときも、神さまは共にいてくれて、目に見えない助けと救いの手で支えてくれている。私はそう信じると決めたことで、その信仰に支えられるようになりました。

 最後に、もうひとつ。

恐れるな、わたしはあなたと共にいる。
(イザヤ書43:5 同)

 恐れるな。その言葉を自分のなかで繰り返したいと思います。


◇見出しの写真は、みんなのフォトギャラリーから、scoop_kawamuraさんの作品を使わせていただきました。ありがとうございます。

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