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ホサナ、ホサナ ~キリスト教で、今日は棕櫚の主日です

 本日はキリスト教の諸教派で、棕櫚の主日(受難の主日、枝の主日、聖枝祭など)と呼ばれる日です。
 来週の日曜日(4月4日)は、今年のイースター(復活祭)。
 教会暦では、その1週間前の日曜から、イエス・キリストの受難を思う〝受難週〟が始まります。
 その初日が、本日の棕櫚の主日。
 イエスさまが十字架にかけられる出来事の始まりとして、エルサレムに入城したときを記念する日です。

 エルサレムにやってきたイエスさまを、群集はナツメヤシの枝を手に持って、「ホサナ」と叫んで迎えました。

そして群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」
(マタイによる福音書21:9 聖書新共同訳)

 ホサナは、神を讃える場面でも使われますが、もともとはヘブライ語で「どうかお救いください」の意味。
 英語なら、Please,save me. とか、Please,help me. にあたるのではないかと思います。
 なので、個人的には、ホサナはハレルヤやアーメンよりも、「救ってほしい」「助けてほしい」という気持ちがこめられている祈りの言葉、というイメージを持っています。

 ホサナと叫んで歓迎した群衆が、こののち一転して、イエスさまを吊るし上げ、侮辱し、罵り、十字架にかける。棕櫚の主日に始まる受難週の物語は、何度読んでもつらいです。

 私自身にも、初対面の相手に勝手に期待して、はじめは好意的に接していたのに、そのうち「期待と違った」という出来事があると、今度は勝手に落胆し、距離を置いてしまう、という、そういうことになりかねない部分があると思い当たります。上手に距離を置ければいいですが、そのときに感情的に相手を責めたり、怒ったりするのは筋違い。誤った態度をとらないよう、自分を律していけるようになりたいなあ、と、今日はそんなことを考えました。

↓昨年の棕櫚の主日には、こんな記事を書いていました。よろしければ、ご覧ください。

 今年は、昨年の自分の記事をふり返りながら、受難週を過ごしていこうと思っています。こういうふり返りができるのは、noteを続けていたおかげですね。

◇見出しの写真は、みんなのフォトギャラリーから、
Yoshi(yoshitravelogue)さんの作品を使わせていただきました。
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