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苦悩の底で、がんばらなくていい。素直に「助けて」と神さまに甘える ~晴佐久昌英『十字を切る』

 私はプロテスタントのクリスチャンで、所属している教派には十字を切る習慣がありません。でも、禁止されてはいないため、最近私は、暮らしのなかに十字の祈りを取り入れています。

↓そのあたりのことは、こちらの記事にも書きました。

 自分で十字を切るにあたって、見よう見まねではなく、きちんと知りたいと思い、晴佐久昌英神父の著書『十字を切る』(女子パウロ会)を読みました。
 わかりやすく、また、読んで温かい気持ちになれる良書でした。

 前半は、十字の切り方や、どんなときにどんな気持ちで十字を切ったらよいかという、基本的なハウツーです。
 プロテスタントの私には、教会に十字の祈りについて教えてくれる先輩がいないので、基本の「き」から説明してくれる本書はとてもためになりました。
 といってもただのハウツーではなく、全体に晴佐久神父らしい素朴な信仰感があふれていて、読む人の気持ちを楽にしてくれます。

 たとえば、「病気のとき」という項にはこんな文章が。

 がんばってはいけません。神は、あなたのそんな努力を望んでいません。むしろ神は、甘えてほしいのです。素直に「助けて」と祈り、正直に「怖いよう」と泣き、赤ちゃんのようにわがままに甘えてほしいのです。それこそが神と人とが親子になるときですから。苦しみの中で十字を切るのは、そんな甘えの祈りにほかなりません。
(晴佐久昌英『十字を切る』より)

「苦しいとき、死にたいとき」という項には、こんな言葉も。

 自分を責めてしまうとき、悲観的になって絶望したとき、死にたくなってしまったとき。
「わたしの代わりに救い主であるイエスさまが十字架を背負ってくださったんだ。わたしを生かすために十字架上で死んでくださったんだ。だからわたしは生きていける、生きなければならないんだ」。
 そう自らに言い聞かせて、しっかりと十字を切ります。
(同)

 苦悩の底で、あるいは苦痛のただなかで、よけいなことは考えなくていい。無理してがんばりすぎなくていい。むしろ「がんばってはいけません」と著者は言います。
 地上の誰をも頼れなくても、天の神さまを頼って「助けて」と祈ればいい。そうして切る十字は、イエスさまの十字架につながっていく。
〝わたしはいま、イエス・キリストの十字架につながっている〟
 そう気づけること、そんな実感を抱けることが、クリスチャンにとってどれだけ心強い励ましになるか。
 それこそが、キリスト教の信仰の真髄だなあ、と思うのです。

 後半では、「父と」「子と」「聖霊の」「み名によって」「アーメン」のそれぞれの言葉について、深く掘り下げた説明がなされます。
 踏み込んだ内容ですが、平明な話し言葉で書かれているので、するすると読めました。

 難しいと思われがちな三位一体についても、著者はこんなふうに喝破しています。

 三位一体の教えは難しい神学理論と思われがちですが、そうではありません。それは、観念的に理解する理論ではなく、具体的に実感する真理であり、だれでも素直に受け入れることのできる神の愛のリアリティーだからです。
(同)

 親、子、親心にたとえて三位一体を語る晴佐久神父の説明は、見事でした。

「アーメン」の本質について説いているくだりにも、そうだったんだ……と、はっとさせられる発見がありました。
 十字の歴史もふり返り、最後には、それらの知識を踏まえたうえで、十字の祈りの復習があります。
 私には感動的なしめくくりでした。

 手元に置いておき、何度も読み返したい一冊です。


◇見出しの写真は、みんなのフォトギャラリーから、Angie-BXLさんの作品を使わせていただきました。ありがとうございます。

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