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記憶の再現純度について。

「この映画に出てる娘、お前に似てるんだよな。」

16年の人生で初めて告白して、フラれた相手にそんなことを言われた。

「俺んとこの学祭で上映会するんだよ。よかったら映画、見てみてよ。」

その映画のタイトルは

『恋しくて。』[SOME KIND OF WONDERFUL]

その映画に出てくるボーイッシュな女の子に、どうやら私は似ているらしい。

(ショートカットなところしか、似てないじゃん。)

そう思いながらも、私は人生で初めて恋をした相手に勧められた映画を、近所のレンタルビデオ屋さんで借りた。

どうやら「私に似た」ボーイッシュな女の子は、主人公で幼なじみという設定の男の子に恋をしているらしく。それを素直に伝えられず、それでもそばに居たいがゆえにバンドのドラムをしたり、車の整備を一緒にしたりと男まさりな趣味に青春を捧げていた。

観客側の私からすると主人公のことが好きでしょうがないヒロインの気持ちが、「痛いくらいに」伝わってくる。

私は「お前に似てる」と言われたヒロインの行動に、うちあたいしながら家で一人レンタルビデオを見終えた。

当時の私の短い髪は、彼が「ショートヘアの女の子が好き。」と話しているのを聞いたから、長かった髪を切ったのだ。そりゃあもう、あの頃の私は全身で「好きです。」と言っているようなモノで、その危うさと健気さは思い出すだけで涙が出そうになる程だ。(今は泣いてません)。

しかし多くの人が「初恋は実らない」と書いているように、私の初恋も例外なく、成就しなかった。

その代わりにと言ってはなんだけど、30年以上経った今でも一滴の濁りもなく「彼を好きだった十代の私」は、ピュア98%の純度の誇る再現性を持っている。(残り2%は、おそらくこの記憶は美化されているであろうという不純。)

大人になって若い頃「手に入れることが出来なかった気持ち」について振り返る時。

たぶんその頃の想いが、必死で真剣で、なおかつ成就しなかったからこそ鮮度や輝きを失わない生成物として再現されるんじゃないのかなーと。

純度も鮮度もなくしてしまった私は、夏の暑さに悶えながら考えたのでした(ちゃんちゃん)。


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※そろそろ、テキストフォントを明朝体にした方がいいのではないか?※





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