見出し画像

他人になかなか言えない職種、クリエイティブディレクター

2歳の息子が、せっかく買ってあげた仮面ライダーゼロワンのベルトを装着せず、何を思ったのかピーマンやトマトをベルトの丸い部分に乗せてフライパンがわりにユサユサ振っている。どうやら野菜炒めでも作っているつもりらしい。全身に脱力感を感じながら、おいおい、そのベルトは仮面ライダー、、、に変身する主人公と同じように、料理もある意味食材の変身といえるのかもしれないな、、、とぺこぱのツッコミのごとく息子の自由な思考を肯定しながら、改めて思ったことがある。

それ、クリエイティブディレクションだな、と。

言いたくない職業、CD

あなたの職業は何?と問われれば、いろんな思いがありながらも、僕はクリエイティブディレクター(以下CD)と答えるようにしている。広告業界以外の方にはあまり聞きなじみのない職種かもしれないが、CDは与えられた範囲のクリエイティブにおいて、判断を一任されている役職であり「これどうするつもり?」と、聞かれれば「じゃあ、こうしよう」と、なんだってすぐ決断しなければならないヘルプセンターのような仕事である。故に、現場では僕がCDです。と、はっきり相手に伝えなければ「これ、誰が判断するの?」という混乱が現場で蔓延し、たらい回しパンデミックが起きてしまう。

だが、一時期はCDと名乗ることが嫌で嫌で仕方がなかった。主な理由は2つある。

1点目、偉そうだなと思われること。デザイナーと呼ばれる職業は、経験を積み重ねたり部下が出来るにつれて「デザイナー」→「アートディレクター」→「クリエイティブディレクター」と肩書きが変化することが一般的だ。島耕作に例えれば「係長」→「課長」→「部長」ナルトに例えれば「下忍」→「中忍」→「上忍」気軽に名乗ると「こいつ偉そうだな」と思われることが嫌でしかたなかったのだ。個人的な思い込みなのかもしれないが、名乗る人の自己顕示欲が垣間見えるニュアンスがこの職業にはある気がするのだ。大御所の方と名刺交換する時など、お前調子に乗ってるのか?って思われるれるんじゃないかと毎回ドキドキしていた。

2点目、何もやってなさそうと思われること。どんなに頑張ったとしても、結局イラストはイラストレーターが描いて、写真はカメラマンが考えて、デザイナーが形にしている。「クリエイティブディレクターって何もやってないじゃん」って思われることである。これは1点目が引き起こす副作用のようなものかもしれないが、若手のデザイナーが成長すればするほど、CDは判断することがメインの仕事となる。重いIllustratorやPhotoshopなどのデータを開く機会も減り、MacBook Proを持っている割にテキストエディットしか開いてないじゃん。コストが高いのあの人のせいじゃない?いらないんじゃない?と思われて(いる気にさえなってきて)しまうのだ。

画像3

伝わらない職業、CD

でも、それでもやっぱり、僕はクリエイティブディレクターと名乗ることにした。3年前にクリエイティブディレクションの会社として「Steve* inc.」を作ったときに、そう決めたのだ。誰からどう思われても、CDという仕事は世界を楽しく変えていくことのできる唯一無二の職業だと感じるし、誰からどう誤解されても、CDがあらゆる領域の仕事に関わるほうがもっと世の中が素敵になると信じているからだ。仮面ライダーの放送で使われている武器が、はたから見ればどうみても明らかにプラスチック製だとしても、最強の素材でできた伝説の武器と信じているからこそ、次々と襲って来る恐ろしい敵に挑めるのだ。

さて、そんな世界を楽しく変える仕事のはずのCDは、まだまだ一般的には浸透していない職業である。親から、お前の仕事は結局何なの?と、上京して20年経つ今でも実家に帰る度に聞かれている。職業認知度だけで言えば、まだまだよくわからない仕事と思われているクリエイティブディレクターよりもYoutuberと伝えるほうが親が安心する時代なのかもしれない。

確かにここ数年における仕事は、ますますその幅が拡張し続けている。建築のコンセプトを考えたり、街のイベントを企画したり、新しいビールを造ったり、ファッションの撮影ディレクションや、絵本のストーリーを執筆したり、アニメーションの子守歌をつくったり、ラジオ番組の企画をしたり。一つひとつの仕事を具体的に伝えれば伝えるほど「太田って、結局何がしたいの?」と言われ続ける。だが、僕は自信を持って、たったひとつのことしかしていないと、ずっと思っている。「クリエイティブ」を生む仕事である。語弊を恐れず言えば、0から1を生むことに超特化した生き方をしたいと思っている。とはいえ、もうちょっと何とかこのニュアンスを伝える方法を考えなければならないと長年思っていたので、頑張って解説してみよう。ただし、あくまでも僕が個人的に考えるCDイメージであるのだが。

画像2

CDは妄想と仮説だけで生きている。

例えば「ゆっくり家で美味しいコーヒーを飲みたい」と思っている人がいるとしよう。バリスタは自宅でも手軽に豆が挽けるコーヒーミルをおすすめするかもしれない。スタイリストは素敵なマグカップを。インテリアコーディネーターは落ち着く時間を楽しむソファを提案するかもしれない。そんな時、CDはちょっと違う視点からスタートする。

「そもそもなぜ、この人はそういった時間が欲しいのだろう」

そんな、そもそも論から考えるのだ。「ゆっくり家で美味しいコーヒーを飲みたい」の言葉に込められた意味を妄想し、仮説をたて、どこにクリエイティブのヒントがあるかを考えるのである。「ゆっくり」に着目すると、もしかしたらこの人は、上司と部下の板挟みで、自分の時間が持てないほど忙しい中間管理職なのかもしれない。休憩の時間も無さすぎて自販機の側で数秒で缶コーヒーを胃に流し込んでいるのかもしれない。そういえば、ロミオとジュリエット効果という、多少障壁があったほうが逆に目的達成への情熱が湧くという心理現象がある。時間があまりにも無さすぎることで、穏やかに過ごす時間に対しての憧れが高まり、それが「ゆっくり」という表現に込められているのかもしれない。だとするとまずはどうやって時間を確保するかのアイデアから考えたほうが良いだろう。

「家で」に着目すると、もしかしたらこの人は、コーヒーが好きすぎてカフェでは好みの味が楽しめないレア豆マニアなのかもしれない。近所にあるレベルのコーヒー屋さんには置いていない、マニアックな豆を求めているのかも。そういえばコピ・ルアクと呼ばれるジャコウネコの糞から採取される未消化のコーヒー豆が最高の味と聞いたことがあるが、そのレベルのコーヒーは数百円でサーブしてくれる気軽なカフェで飲めるものではない。だからこそ、ネットで貴重な豆を購入して楽しみたいと考えているのかも。だとすれば、「外で」めったに飲めないコーヒーとは何かをリサーチするところから始めた方が良いだろう。

そんな「……なのかもしれない」という妄想の連鎖のなかから、これまで誰も見つけていなかった仮説を紡ぎ出し続けて生きている仕事、それがCDである。与えられた情報と、自分のあらゆる人生の経験と繋げて生まれる妄想から仮説を引き出し、アイデアをひねり出し続ける仕事なのだ。そこにはもちろん出し惜しみは無いし、自分の無知をさらけ出す恥ずかしさも無いし、ジャンルの境界だって無い。だからこそ、CDはあらゆる業種のプロフェッショナルと一緒に、世界中のあらゆる領域で新しい仕事ができる。もっともっと組んだことのない業種、もっともっと経験したことのない業界の事を学びたい。と、常に思っている。

画像1

CDは世の中で一番未熟な職業


妄想と仮説だけで生きている職業、CD。それはある意味「主人公が仮面ライダーに変化すること」と「ピーマンやトマトが美味しい料理へ変化すること」が「変身」という意味では同じなのではないかと、脳内の妄想ニューロンが仮説シナプスで繋がり、その瞬間からライダーベルトって、フライパンみたいなものなのかもという企画を生み出すのだ。つまりそれは、2歳児と同じことを42歳でしているということ。

結論を言おう。2歳児の脳内構造をそのまま大人になっても引きずっている未熟な人間がCDなのだ。みなさんには、この方式を頭に入れていて欲しい。CDなんてものは大したことない未熟な人間の肩書なのだ。よしよし、CDでちゅね〜。世の中で格好良く「クリエイティブディレクターの◯◯です」と名乗っている人物がいたら、そう思って可愛がってあげよう。そんな、未熟で、弱くて、モロくて、ダサくて、妄想と仮説ばかり考えている、どうしようもなく格好悪い肩書きがCDなのだ。

そんな、どうしようもなく格好悪い職種を、僕は愛している。


注意:クリエイティブディレクターという職種に対しての意見は、あくまでも僕の個人的見解でありイメージです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?