下川裕治のクリックディープ旅

おもしろ重く……。下川裕治にふたりのカメラマン、阿部稔哉、中田浩資。交代で同行しながら…

下川裕治のクリックディープ旅

おもしろ重く……。下川裕治にふたりのカメラマン、阿部稔哉、中田浩資。交代で同行しながら描くクリックディープ旅。次はどうなる? 旅の笑いを振りまきながら、今日も地球の隅を歩いています。 ここでは、クリックディープ旅以外に、旅の最新情報やストーリーを展開していきます。

マガジン

  • クーデターから1年。ミャンマー人たちの軍との闘い全記録

    軍のクーデターから1年。いまもミャンマーの人々は、軍の弾圧に対し闘い続けている。自らの尊厳を守るために。犠牲者は1500人に迫っている。この状況で、私たちはなにができるのか。現地の情報を集め、週1回、YouTubeの「下川裕治のアジアチャンネル」で「ミャンマー速報」を配信し続けた。この1年を風化させないために、その内容を1冊にまとめた。売り上げから1冊あたり100円をミャンマー支援団体へ寄付させていただく。単体記事の販売はありません。

最近の記事

「コロナ禍の旅」の最後に感染が待っていた。またしても隔離⋯⋯

日本に帰国する。タイで受けたPCR検査の陰性証明、ワクチンの接種証明を手にスワンナプーム空港へ。そして帰国。その翌日、熱が出てしまう。自宅にあった抗原検査キットで調べると陽性。翌日、近くのクリニックで検査を受けると、やはり陽性。「感染ですね」。コロナ禍の間に5回、海外に出た。日本にいた期間を含め、感染は免れてきた。これでコロナ禍の旅は最後⋯⋯と思っていたが、その最後に感染してしまった。これまでの4回の旅では帰国後の強制隔離や自主隔離を強いられてきた。最後の旅は帰国後の翌日から

    • 廃墟になったバンコクのパッポン。この街でPCR検査

      タイのバンコクに到着した。この時期、タイに入国するには、タイランドパスが必要だった。タイランドパスというのは、ワクチン接種証明、保険などを取得し、それを専用サイトで申請して入国の資格を得るもの。タイランドパスは10日後には撤廃されることは発表されていたが。 バンコクではPCR検査を受けなくてはならなかった。日本入国には、この検査の陰性証明が必要だった。バンコクでPCR検査を受けるのは2回目だった。前回はバンコク病院で受けたが、約1万6000円もした。その後、バンコクでは格安の

      • ハラル料理にビール? PCR検査が待つバンコクへ

        バングラデシュからタイのバンコク経由で帰国する。バングラデシュ南部のコックスバザールに滞在していたときは、意識も薄くなっていたが、新型コロナウイルスの感染が収束したわけではなかった。日本の新規感染者数は1日2000人を切っていたが、その後、爆発的に増えることになる。タイ入国にはまだタイランドパスが必要だった。そして日本に帰るにはPCR検査の陰性証明。それらを通過していかなくてはならない。そして帰国後、僕は新型コロナウイルスに感染してしまう。「コロナ禍の旅」は、これが最後という

        • これからが難民支援の本番。でも、難民景気は終わりつつあった

          バングラデシュ南部のコックスバザール。その南にミャンマーからのロヒンギャ難民のキャンプがつくられている。訪ねてみることにした。収容されている難民は100万人を超えるともいわれる世界最大の難民キャンプである。3年前も訪ねていた。とりまく状況は変わっていないはずだ。いや、悪くなっている? そのあたりを見てみたかった。難民キャンプに入るには許可を得なくてはならない。そこで聞こえてきたことは、キャンプの運営を危うくする世界各国からの支援の減少だった。キャンプのは難しい局面に入っていた

        「コロナ禍の旅」の最後に感染が待っていた。またしても隔離⋯⋯

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        • クーデターから1年。ミャンマー人たちの軍との闘い全記録
          13本
          ¥1,000

        記事

          生徒が学校に戻らない。パソコン授業が貧困の連鎖を救える?

          バングラデシュ南部のコックスバザールは、僕の拠点の街。ここには30年以上、運営にかかわる小学校がある。これまで毎年、年に2~3回は訪ねていた。ところが新型コロナウイルスの感染拡大のなか、バングラデシュ入国が難しくなってしまった。 ようやく⋯⋯。3年ぶりのコックスバザールだ。 コックスバザールとのつながりは、この一帯に暮らす少数民族の仏教徒ラカイン人からはじまった。ミャンマー系の人々だ。コックスバザールの滞在は、いつも彼らに助けられて進んできた。ラカイン人の暮らし、そして小学校

          生徒が学校に戻らない。パソコン授業が貧困の連鎖を救える?

          コックスバザールもインフラ工事中。静かな日々への期待は打ち砕かれた

          バングラデシュのダッカは、街全体が工事現場のようだった。ダッカメトロ、立体交差、高速道路⋯⋯。考えられないスピードで街のインフラ工事が進んでいた。その勢いに圧倒された。その夜、夜行バスで南部のコックスバザールへ。そこでは30年以上、運営に関わる小学校がある。バングラデシュ政府は、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために全学校に休校を指示。2年近く休校がつづいた。再開された学校はどうなっている? コックスバザールの南に広がるミャンマーからのロヒンギャ難民のキャンプも気になっ

          コックスバザールもインフラ工事中。静かな日々への期待は打ち砕かれた

          ダッカメトロ、高速道路、立体交差⋯⋯ダッカは街全体が工事現場だった

          バングラデシュのダッカに着き、その足で南部のコックスバザールに向かう。ダッカとコックスバザールの間には飛行機も就航している。しかしやはり運賃は高い。バスを利用することが多い。渋滞が激しいバングラデシュでは、長距離バス路線になると夜行になる。そのバスが出るまでの半日。ダッカのなかを歩きまわった。街はとんでもないことになっていた。いたるところで工事なのだ。道路の立体交差。新空港ターミナル。そしてメトロ……。ミャンマーでクーデターが起き、多くの企業がバングラデシュに移ってきてい

          ダッカメトロ、高速道路、立体交差⋯⋯ダッカは街全体が工事現場だった

          ラオスからバングラデシュへ。ようやく再開された脱コロナ旅

          ラオスからタイへ。そしてバングラデシュへと旅はつづく。コロナ禍で沈んでしまったようなヴィエンチャンを後に、友好橋を渡ってタイに入国。時期は6月。まだタイランドパスが必要な時期。陸路入国用のパスを提示し、すんなりタイに入国することができた。ウドンターニー空港からラオスに向かったときは、問題はなかったが、逆にウドンターニー空港への足探しにやや苦労した。戻ったバンコク。ここからバングラデシュへ。 バングラデシュ南部の街にある小学校の運営に関わっている。政府の指示で2年以上の休校を強

          ラオスからバングラデシュへ。ようやく再開された脱コロナ旅

          中国製特急車両で着いたヴィエンチャン。噴水広場一帯は無人都市

          ルアンパバーンからヴィエンチャンへに戻る列車旅から今回はスタート。ルアンパバーンに向かったときは、タイ側から友好橋を渡ったところにあるイミグレーション脇から直接、ラオス中国鉄道のヴィエンチャン駅をめざした。ヴィエンチャンの街には入らなかった。ヴィエンチャン駅はヴィエンチャン市街からかなり離れていたからだ。外国人観光客の入国制限が解かれて1ヵ月。ルアンパバーンは、ラオス中国鉄道の開通もあり、復活の動きが見えていたが、ヴィエンチャンの街は⋯⋯。そんな街の様子をフォトストーリーで。

          中国製特急車両で着いたヴィエンチャン。噴水広場一帯は無人都市

          中国のチベット山塊から流れくだるメコン川。大河である。悩みを抱えてこの川を眺めにいったことが何回かある。そんな話を⋯⋯。税込み290円のつまみ動画&エッセイ。

           動画はメコン川の源流域からはじまる。長江、サルウィン川という大河の源流が集まるエリアだ。メコン川はそこから、中国、ラオス、ミャンマー、タイ、カンボジア、ベトナムへと流れくだる。国境がメコン川というところも多い。動画の酒飲み話は川をくだるようにつづくが、その川岸で流れを眺めつづけていたことが何回かある。メコンはなにも答えてくれないが。  この記事は隔週日曜日更新。新しい酒のつまみが加わっていきます。 ノンカーイのメコン川  あれは僕が27歳のときだから、1981年の年末だ

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          中国のチベット山塊から流れくだるメコン川。大河である。…

          ルアンパバーンの双方向托鉢。プーシーの丘は僕ひとり

          ルアンパバーンはいい街だ。これまでさまざまな街に滞在してきたが、いちばんといってもいいかもしれない。僕が信州という山がちで、街のなかに川が流れる土地で育ったせいかもしれない。その因子が反応するのか、しっくりと落ち着く。街には音がない。メコンという大河が静かに流れくだり、人々は小声で会話を交わす。何年ぶりだろうか。コロナ禍ですっかりご無沙汰してしまった街を、ゆっくりと歩く。滞在した2日間は、音もなく、静かに流れていった。 旅の期間:6月8日~6月9日 ※価格等はすべて取材時の

          ルアンパバーンの双方向托鉢。プーシーの丘は僕ひとり

          ルアンパバーンまではトンネルがつづく。腰をかがめ、控えめに列車の通路を歩く車掌さん。ラオスの列車だ

          列車は定刻にヴィエンチャン駅を発車した。これまでも何回かヴィエンチャンからルアンパバーンまでの旅を経験した。バスか飛行機だった。バスは10時間以上かかった。以前は盗賊が出るという話があるバスで、まんじりともせずにバスの揺れに身を任せていた記憶もある。それに比べれば2時間で2都市を結んでしまう。快適そのもの。しかし改札から乗車と進みながら、またしても顔を出す中国に悩んでしまう。僕は中国の列車を知っているだけに、「これでいいんだろうか」と何回も呟いていた。ヴィエンチャンからル

          ルアンパバーンまではトンネルがつづく。腰をかがめ、控えめに列車の通路を歩く車掌さん。ラオスの列車だ

          はじめての沖縄は八重山だった。台湾の基隆を発ったフェリーは翌朝、石垣港に着いた。八重山諸島は日本から向かうと、日本の西端。しかしアジアから眺めると、台湾にいちばん近い沖縄。今回は八重山と台湾の話をしてみようと思う。税込み290円のつまみ動画&エッセイ。

           動画は日本の西端の八重山の話である。僕にとって、東京からやってくる八重山は、ただの沖縄以上の意味があった。しかし八重山にはもうひとつの顔がある。なぜ石垣島の繁華街には立派な店構えの中国料理店がある? 本土の仏壇は沖縄ではトートーメーという。そこを見ると中国語がずらり。そんな八重山物語を。  この記事は隔週日曜日更新。新しい酒飲み話が加わっていきます。 沖縄に台湾版ディズニーランド  あれは李登輝が台湾の総統を務めていた時期だった。台湾では国民党が存在感をもっていた時代で

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          はじめての沖縄は八重山だった。台湾の基隆を発ったフェリ…

          ラオスに似合わない巨大駅舎。どこまでも中国式だった

          バンコクからラオスのヴィエンチャンに向かった。正確にいうとラオス中国鉄道のヴィエンチャン駅である。2021年12月、ラオス中国鉄道が開通した。その列車に乗るためだった。開通から半年、ラオスへの入国制限がほぼ解除されてから1ヵ月である。駅までの交通機関など、まだ整っていないことも多かった。加えて列車の切符の買い方がはっきりしない。ネットで事前に切符を買うか、予約ぐらいはとっておきたかったのだが、それもうまくいかない。「これはもう、駅に行くしかない」。ヴィエンチャン駅に向かったの

          ラオスに似合わない巨大駅舎。どこまでも中国式だった

          タイから陸路でラオスへ。ラオス中国鉄道の旅がはじまった

          2021年12月、ラオス中国鉄道が開通した。ヴィエンチャンから中国国境のボーテンまでの422.4キロだ。同時に中国側のモーハンから玉渓までの玉磨線、507.4キロも開通。玉渓から昆明はすでに列車が走っていた。これでヴィエンチャンから昆明までの鉄道が開通したことになる。早く乗りたかった。しかしコロナ禍が立ちはだかる。ラオスと中国の入国はなかなか難しい。ところが2022年5月、ラオスが突然、入国制限を解除した。しかし中国はゼロコロナ政策を堅持し、ヴィエンチャンから昆明までは難しい

          タイから陸路でラオスへ。ラオス中国鉄道の旅がはじまった

          僕らの香港はコロナ禍のなかで消えていってしまった。そのなかで、香港の若者が残した言葉が、いまでも頭から離れない。「一齊走」。日本語で「一緒に帰ろう」。香港の人たちに一緒に帰る場所はあったのか。今回は香港涙酒。税込み290円のつまみ動画。

           中国は、香港に約束されていた一国二制度を形骸化させる国家安全法を香港に無理やり導入した。それは習近平政権の力による中港融合だった。もちろん香港市民は激しく抵抗した。武漢で新型コロナウイルスが猛威をふるう少し前。2019年の7月。民主派の学生たちは、日本の国会にあたる立法会に突入した。「一齊走」はそのときに広まった言葉だった。  この記事は隔週日曜日更新。新しい酒飲み話が加わっていきます。 いまだ厳しい香港の入国規制  世界でコロナ禍が収束に向かっている。感染者がい

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