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ラオスからバングラデシュへ。ようやく再開された脱コロナ旅

ラオスからタイへ。そしてバングラデシュへと旅はつづく。コロナ禍で沈んでしまったようなヴィエンチャンを後に、友好橋を渡ってタイに入国。時期は6月。まだタイランドパスが必要な時期。陸路入国用のパスを提示し、すんなりタイに入国することができた。ウドンターニー空港からラオスに向かったときは、問題はなかったが、逆にウドンターニー空港への足探しにやや苦労した。戻ったバンコク。ここからバングラデシュへ。
バングラデシュ南部の街にある小学校の運営に関わっている。政府の指示で2年以上の休校を強いられた。やっと再開。しかし問題は山ほどある。早く行く必要があったが、コロナ禍の前では身動きがとれなかった。やっと入国規制が解かれた。バングラデシュはコロナ禍が収束に向かうなか、どうなっているのだろうか。

旅の期間:6月10日、6月16日
※価格等はすべて取材時のものです。  

バングラデシュのビザ代は無料。コロナ禍前と同じでちょっとうれしい

(旅のデータ)
バングラデシュ入国にはビザが必要。しかしコロナ禍前、日本人は首都のダッカの空港で到着ビザをとることができた。入国は比較的簡単だった。しかし新型コロナウイルスの感染拡大で到着ビザは停止された。今年の5月、バングラデシュ政府は到着ビザを再開することを発表したが、通常の書類のほかに招聘状が必要という情報もあり、完全にコロナ禍前に戻ったわけではなさそうだった。そこで東京のバングラデシュ大使館でビザをとった。申請にはワクチン接種証明書、往復の予約済み航空券などが必要だった。大使館のサイトに入り、ややわかりずらい申請ページを埋め、それをプリントして大使館に申請するスタイルは以前と同じ。ビザ代もコロナ禍前同様に無料で、ちょっとうれしかった。

日本援助バスに並ぶように中国援助バス。さて、今後は?

(sight 1)

ヴィエンチャンの朝、友好橋に向かうためにタラートサオ・バスターミナルへ。前日、ヴィエンチャン駅からのバスが着いたターミナルだ。友好橋の友好はミッタパップという。バス番号は14番。一応、時刻表が掲示されていたが、コロナ禍でかなり減便されていて、あまりあてにならなかった。いまは1時間に1本ぐらいはあると思うが。運賃は1万キップ、約90円。
 
(sight 2)

友好橋行きのバスを待つ間、殺風景なバスターミナルのなかを歩いてみる。最初に目に入ったのが、日の丸がプリントされたバス。日本からの援助バスだ。コロナ禍前、友好橋に向かうバスはすべてが、この日本援助バスだった。冷房がしっかり効いていてありがたかった記憶がある。ふと横を見ると⋯⋯。

(sight 3)

まるで日本援助バスに張り合うかのように中国援助バスが停車していた。隣国カンボジアのプノンペンの路線バスでは、はじめに日本援助バスが走りはじめ、その後、圧倒的な台数で中国援助バスが導入された。いまではプノンペンの街を走るのはほとんどが中国援助バス。ヴィエンチャンはまだ拮抗常態。でも、きっと中国援助バスに塗り替えられていく気がする。これが現実? 
 
(sight 4)

友好橋に着いた。ラオスのイミグレーションへ。いつもは簡単に出国スタンプを捺してくれるのだが、今回は⋯⋯最初に聞かれたのがタイランドパスだった。コロナ禍のなかでつくられたタイ入国許可証のようなもの。空路と陸路バージョンがある。ラオスからは陸路なので、その仕様で申請し、プリントしていた。それを提示すると、すっとスタンプ。

ウドンターニー空港に向かう乗り合いバンがみつからない

(sight 5)

タイに入国した。ラオスに向かったときは、ウドンターニー空港を出発した乗り合いバンがここに停車。そのままイミグレーションに向かった。「その乗り合いバンをここで待てば⋯⋯」と近くにいたおじさんに訊いてみた。しかし返答はあやふや。ここで待て⋯⋯というばかり。20分ぐらい待っただろうか。乗り合いバンは現れない。別のおじさんに訊いてみた。「ここには来ないよ。空港からの便が停まるだけ」。「じゃあどこで?」。おじさんは頼りない笑みをつくるだけ。「あそこに停まっているトゥクトゥクの運転手に訊いてみたら」。トゥクトゥクは三輪タクシーだ。タイは便利な国なのか、不便な国なのか。

(sight 6)

トゥクトゥクの運転手、ひとり、ひとりに訊いていく。皆、首を傾げるばかり。ウドンターニー空港では、存在感があった乗り合いバンなのだが。すると、ひとりの中年の女性運転手が、「私、知ってる」と手を挙げてくれた。本当にわかっているんだろうか。不安だが、頼るしかない? トゥクトゥク運賃は100バーツだという。はたしてどこに連れて行かされるのか。
 
(sight 7)

「ここ」といわれたのは、ノンカーイ市内の旅行代理店だった。「ここ?」。すると中年女性の運転手は、店の前に停まっていたバンを指さした。その車体に見覚えがあった。彼女は本当に知っていた。タイ人は情報の共有が苦手だ。無駄な情報はすぐに伝わるのだが。それから約1時間後。僕はウドンターニーの空港にいた。バンコクへはタイのLCC、ノックエアーで戻った。

バンコクの渋滞だけはコロナ禍前に戻った

(sight 8)

バンコクに戻ったのは夕方だった。街を洗うスコールが来そうな怪しげな空だったが、道は夕方の大渋滞である。コロナ禍が収束に向かい、前より渋滞が激しくなったような気がする。バンコクには4日ほど滞在した。締め切り原稿を書いているうちにあっという間に時間はたっていく。僕にとってバンコクは仕事をする街? いつ頃からか、そうなってしまった。ちょっと寂しい。

(sight 9)

バングラデシュのダッカに向かうためにバンコクのスワンナプーム空港へ。コロナ禍の旅では4回、この空港を利用した。皆がまだウイルスにピリピリしていた2021年3月。そのときの旅をkindleの電子書籍版で発売することになった。空港の写真がほしいというデザイナーの希望で、タイ語でヤックという鬼の像を撮影。その1枚です。本はヤック正面の写真になりましたが。

 
免税店の最大手キングパワーのリニューアル工事も終わった

(sight 10)

バンコクのスワンナプーム空港も、コロナ禍のなか、湖の底に沈んだ。しかしここまで復活してきた。一部の国内線とごくわずかな国際線だけが表示されている時期もあった。この電光掲示板が埋まるのはいつ? と思っていたが、こうしてぎっしりのフライトが表示されると、自分の予約便を探すのに苦労する。でも文句はいいません。ここまで戻ってきたのだから。

(sight 11)

6月24日にnoteで公開されたクリックディープ旅「コロナ禍4回目の帰国~」の記事を見てほしい。スワンナプーム空港に出店する免税品店の最大手キングパワーの多くの店舗が青い屏で覆われていた。なかからリニューアルの工事の音が聞こえてきた。そして今回、その前を通ると⋯⋯。空港免税店の大半はオープンしていた。ほッとした。成田や羽田の空港免税店とはずいぶん違う。この差はなに? 

タイ国際航空のダッカ線が再開された


(sight 12)

思い返してみれば、コロナ禍の旅でスワンナプーム空港から飛行機に乗ったのはいつも夜だった。今回は昼間。ずいぶん明るい印象を受けたのはそのため? いや違う。着実に戻ってきた利用客。搭乗口に響く声が多くなった。心なしか足どりも軽い。

(sight 13)

バングラデシュ行きが遅れた理由のひとつが飛行機の減便だった。バンコクやシンガポールとダッカを結ぶフライトの大半がキャンセル。中東のドバイ経由しかない時期がつづいた。運賃も高かった。今回やっとタイ国際航空のバンコクからダッカまでのフライトが再開された。タイ国際航空はコロナ禍で倒産。収益率が低い路線を整理して再出発。ダッカ路線の混み具合は次の写真で。
 
(sight 14)

バングラデシュのダッカ行きフライトの機内はこんな様子でした。搭乗率は8割ぐらい。これならコロナ禍前の1日2便体制に戻っていく? タイ国際航空も心を入れ替えたのか、運賃も抑えていた。しかし日本人には円安が響き、往復で4万円弱。タイ国際航空の努力を円安が帳消しにしてしまった。
 
(sight 15)

ダッカのシャージャラル国際空港に着いた。ビザをとっていたので入国もスムーズ。ワクチン接種証明の提示は求められたが。到着フロアーは混雑していた。ちょうど中東からの便と重なってしまったからかもしれないが。防護服姿のスタッフは誰もいない。この写真を見ても、とてもコロナ禍とは思えない。バングラデシュの旅がはじまった。
 
【次号予告】次回は8月26日。メトロという高架電車工事、空港の新しいターミナルやオーバーパス建設⋯⋯。エネルギーが弾けるダッカを。
 
 





新しい構造をめざしています。