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「コロナ禍の旅」の最後に感染が待っていた。またしても隔離⋯⋯

日本に帰国する。タイで受けたPCR検査の陰性証明、ワクチンの接種証明を手にスワンナプーム空港へ。そして帰国。その翌日、熱が出てしまう。自宅にあった抗原検査キットで調べると陽性。翌日、近くのクリニックで検査を受けると、やはり陽性。「感染ですね」。コロナ禍の間に5回、海外に出た。日本にいた期間を含め、感染は免れてきた。これでコロナ禍の旅は最後⋯⋯と思っていたが、その最後に感染してしまった。これまでの4回の旅では帰国後の強制隔離や自主隔離を強いられてきた。最後の旅は帰国後の翌日から普通に生活できると思っていたのだが⋯⋯。

旅の期間:6月23日~7月4日
※価格等はすべて取材時のものです。  

利用客は増えても飛行機の便数が戻らない

(旅のデータ)
日本とタイのバンコクを結ぶ便はしだいに増えつつある。燃油代はあがってしまったが、運賃はそれほど変動していない。問題は便数。利用客が増えてきているのだが、飛行機の運航が戻ってこない。航空会社はコロナ禍の減便で、スタッフを減らしていった。規制が緩和され、利用客が戻ってきたといっても、簡単にスタッフを増やすことができない。そんなタイムラグのなかにいるのがこの頃の航空業界だった。バンコク路線は席がとりにくい状態がつづいていた。

MySOSとはかかわりたくない

(sight 1)

バンコクのスワンナプーム空港のヤック像。ヤックは鬼。ワットプラケオにあるヤック像を模した数メートルの像が立っている。その顔に大きなマスク。コロナ禍のなか、5回、海外に出た。最初はタイだった。その旅を本にまとめた。その表紙をこのヤックの写真でと思い、少し早めに空港に向かった。その本は発売になっている。表紙はこの写真。
https://www.amazon.co.jp/dp/B0B9XMHCKP?ref_=pe_3052080_276849420
 
(sight 2)

タイで受けたPCR検査の陰性証明、ワクチン接種証明などをMySOSに登録すれば、帰国がスムーズだと厚生労働省のホームページには書かれていた。健康居所確認アプリといわれるMySOS。このアプリをスマホに入れたくはなかった。このアプリとはかかわりたくないというのが本音。憎しみすら感じていた。これまでの帰国後の隔離で、MySOSのストレスに晒されてきた。GPS機能で居場所が特定されるつらい日々はもう味わいたくない。チェックインカウンターには、MySOSに登録した人の専用カウンターまでできていた。そういうことなのか。カウンターで、アプリを入れずに入国する方法を訊いた。日本の空港でデータを入力すればいいという。時間がかかるのかもしれないが、僕はその方法を選んだ。飛行機は予定通りに日本に着いた。
 
(sight 3)

飛行機を降り、どこを歩いているのかわからない通路を進む。いつものパターンだが、この先、どういうチェック体制になっているのかわからない。職員にいわれるままに通路を歩く。陰鬱な圧力が空港を支配している。早朝のせいか、職員の顔にも疲労の色が見える。誰が悪いのではない。しかしどうしても皆、不愉快になってしまう。


なんとかMySOSをインストールせずに入国できた

(sight 4)

MySOS未登録者の通路を進んでいくと、しだいに人が少なくなる。MySOS登録済み組が主流。少数派の道は徐々に細くなっていくということか。いつも僕はこうして疎外されてきた。いじけたくもなる。最初にこのPCR検査の陰性証明を提示した。そして壁に沿って設置されたパソコンに向かって、個人データをこつこつと打ち込んでいく。
 
(sight 5)

そこでプリントアウトされたQRコードを手に進む。ワクチン接種証明を見せると、これで終わりだという。MySOSを入れていないので、かなり時間がかかると思ったが、それほどでもなかった。なんとかMySOSをスマホに入れずに入国することができた。空港ターミナルを出た僕のスマホにはMySOSはない。それだけでちょっとだけ気分が軽くなった。

帰国した夜に37・2度。抗原検査キットで調べると2本線

(sight 6)

到着したのは羽田国際空港。ここからモノレール。JRに乗り換えて自宅に向かう。体調に変化はない。熱も出ていない。なにしろバンコクでのPCR検査の結果は陰性だったのだ。今回こそは自宅での隔離を経験せずに日常生活に戻っていけるはず。僕はそう思い込んでいた。ところが⋯⋯。
 
(sight 7)

夜行便なので寝不足。自宅に帰り、仮眠をとって事務所に。その日、事務所には誰もいなかった。テレワークが進み、事務所にやって来る人も少ない。帰宅して夕食をとると、体がだるい。少し寝た。起きると体が熱っぽい。測ると37・2度。熱は37・8度まであがり、解熱剤を飲んだ。前回、帰国したとき、空港検疫からもらった抗原検査キットが残っていた。それで調べてみると⋯⋯2本線。
 
(sight 8)

翌朝、熱はさがっていたが、感染の可能性が高い。近くのクリニックを訪ね、再度抗原検査をうけた。陽性。「2回検査をして陽性⋯⋯感染ですね。保健所に連絡します。自宅に帰って指示を待ってください」。またしても隔離になってしまった。しかし今回は感染。家族に感染させないように注意を払わなくてはならない。しかしいったいどこでウイルスは僕の体に? バンコク? 飛行機? 日本の電車? わからない。
その日の午後、保健所から電話がかかってきた。つづいて東京都のフェローアップセンターから電話。ラインにアプリをとり込むようにいわれた。正直、ほッとした。MySOSではない。自分で毎日の体調を報告すればよかった。熱もなく、自覚症状もない。もう治った? 抗原検査キットで調べてみた。⋯⋯まだ陽性だった。
 

どんと届いた段ボール箱3個。気遣いの食品にう~ん⋯⋯

(sight 9)

僕の家は妻とふたりの娘の4人家族。僕が帰宅してからの状況を保健所に伝えると、妻は濃厚接触者に。しかしふたりの娘は大丈夫だった。買い物は娘たちができるから、食事に困ることはなさそうだったが、東京都のほうから、自主隔離中の食糧を送るという連絡が入った。発症から4日目の朝、家の前に段ボール3個がどんと届いた。
 
(sight 10)

そこに入っていたのは、中華あんかけ、牛丼の具、サバカリーというサバの缶詰、ビーフハヤシ、野菜ジュース、コーンスープ、ご飯、カップ麺、ビスコ、プリッツのサラダ味、コーヒー、水⋯⋯。気遣いの食品だった。妻や娘がいうには、「たぶん総額1万円以上」。ちょっと得をしたような気分にさせ、「家から出ないように」というメッセージ。うーん⋯⋯。

すっきりとしない幕切れ

(sight 11)

毎日、することとは、ラインを使って健康状態を送信すること。その画面が、1年3ヵ月ほど前のタイへの旅を思い出させた。そのときは2週間のホテル隔離。やはりラインで健康状態を送るのだが、その画面が妙に似ていた。こういうものにマニュアルがあるとは思えないが。MySOSのようなストレスがないだけ、よしとしようか。
 
(sight 12)

家での隔離でいちばんの気遣いは、妻や娘に感染させないことだった。東京都にホテルでの隔離を申し出たが、65歳以上を受け入れるホテルに空きはなかった。発熱以来、1日から2日に1回のペースで抗原検査キットを使って検査をしていた。それがこれ。発症から2日目までは陽性だったが、4日後には陰性に。それからは陰性がつづいた。これで家での感染を広める可能性は薄くなった。

(sight 13)

発症から10日目、自宅隔離が終わる連絡がラインで届いた。ふーッと溜め息をつく。初日に一気に熱が出たが、解熱剤を飲むと、汗をかき、一気に熱がさがった。風邪の治り方に似ていた。若い頃、風邪をひいたときを思い出していた。しかしそこは新型コロナウイルス。世界を席巻したウイルスである。幕切れもすっきりしない。
 

【次号予告】次回は1回休載。10月28日から「コロナが去ってバンコク大変身」の連載がはじまります。

新しい構造をめざしています。