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ルアンパバーンの双方向托鉢。プーシーの丘は僕ひとり


ルアンパバーンはいい街だ。これまでさまざまな街に滞在してきたが、いちばんといってもいいかもしれない。僕が信州という山がちで、街のなかに川が流れる土地で育ったせいかもしれない。その因子が反応するのか、しっくりと落ち着く。街には音がない。メコンという大河が静かに流れくだり、人々は小声で会話を交わす。何年ぶりだろうか。コロナ禍ですっかりご無沙汰してしまった街を、ゆっくりと歩く。滞在した2日間は、音もなく、静かに流れていった。


旅の期間:6月8日~6月9日
※価格等はすべて取材時のものです。

ヴィエンチャンから3時間でルアンパバーンの旧市街。ホテルは2850円


(旅のデータ)
ルアンパバーンは旧市街と新市街に分かれている。世界遺産に登録されているのは旧市街。新市街は新しいラオスの街というより、中国の街。看板に中国語が溢れ、中国元も通用する。かつてヴィエンチャンからのバスは新市街に着いた。そこからトゥクトゥクで旧市街へ。今回はルアンパバーン駅から乗り合いバンでダイレクトに旧市街に入ることができた。バンの運賃は3万5000キップ、約315円。鉄道が完成し、ヴィエンチャンから3時間ほどでルアンパバーンの旧市街に立つことができる。
泊ったのは朝食付きで2850円のホテル。Sight14で紹介します。ラオスの入国制限が解除されてからそう日がたっていなかった。まだ再開していないホテルも少なくない。今後選択肢は増えていくはず。

鉄道開通で再開されたナイトマーケット


(sight 1)

メコン川を眺めながらビアラオ。山に囲まれた街は陽が落ちると気温がさがって心地いい。ビールの仄かな酔いに任せてナイトマーケットへ。コロナ禍で出店もなくなってしまったと聞いていたが。「鉄道開通に合わせて出店しました。お客さんはほとんどラオス人。まだ外国人は少ないけど」と店の女性。鉄道がナイトマーケットを復活させた。いろいろ考えず、素直に喜ぼう。
 
(sight 2)

ナイトマーケットは静かだ。車を止めた車道に店が広がるが、音楽を流すことはない。この静けさがルアンパバーン。中心エリアにある屋台村。ラオス人客が多いが、欧米人の姿もちらほら。トイレに入ると、ハーブのにおい消し。右隅の電気釜のような器具のなかには、何種類かのハーブ。ラオス式です。
 
(sight 3)

ナイトマーケットエリアをすぎると、ぐっと暗くなった。ほとんどの店が閉まっていた。この通り沿いには、少し高めのレストランが並んでいたが、再開はもう少し先ということだろうか。あるいは閉店? コロナ禍の爪痕かもしれないが、もともと静かだった街。そのあたりが判別できない。

(sight 4)

宿はメイン通りであるサッカリンロードから路地を入ったところにあった。その細い道に足を踏み入れ、「これ、これ」と夜空を見あげる。路地によってはフットライトが街灯になる。その理由は空の星がよく見えるように⋯⋯。ルアンパバーンはそういう街です。星? 見せませんでした。雨季の雲がじゃまをして。

(sight  5)

ルアンパバーンでは朝の5時半に目覚ましをセットする。それが僕の決めごと。朝の托鉢を眺めるためだ。山間の街だから、朝の空気は森の精気が漂い、凛としている。そのなかでメインの通りに出て、道端で僧がやってくるのをぼんやりと待つ。まだかなぁ。寺の方向に目を凝らす。やっとこんな朝を迎えることができた。

歩道で繰り広げられる「施し施される」という双方向托鉢


(sight 6)

朝6時すぎ、茜色の僧衣姿の列が見えた。??。少し僧の人数が少ない。以前は数十人の僧が列をつくって寺から出てきたのだが。コロナ禍で僧の数も減った? いや、雨季のためか。しかし早朝、托鉢に出る僧の姿を眺めていると、ルアンパバーンの人々の仏教への思いが音もなく伝わってくる。

(sight 7)

托鉢の列について歩道を進む。と、子供が3人。しかし彼らは、僧に捧げる食べ物を手にしていない。そして前には空の器。見ていると、僧が鉢のなかに入っていた菓子を器のなかへ。逆托鉢? 僧は貧しい子供たちに菓子を配っていた。コロナ禍でルアンパバーンでは多くの人が職を失った。貧しい家庭が急増。逆托鉢はそんな人たちを支えている?

(sight 8)

さらに托鉢の僧の後を追う。と、歩道脇で蒸したもち米やバナナを用意し、僧に捧げる人々。これが普通の托鉢。ルアンパバーンの路上では、「施し施される」という双方向托鉢が繰り広げられていた。後でルアンパバーン在住の日本人に訊くと、貧しい子供に僧が菓子を与えることは、昔からあったという。そのスタイルがコロナ禍を少しは支えたのかもしれない。

 
プーシーの丘の頂には誰もいなかった


(sight 9)

托鉢の列がすぎ、そこから急な坂道を登ってプーシーの丘へ。托鉢からプーシーの丘というのは、ルアンパバーンでの僕の朝ルーティン。雨季のさなかだが、なんとか街やメコン川を見渡すことができた。丘の頂には誰もいなかった。いつも早朝はかなり混みあうのだが。外国人観光客が本格的に戻ってくる前の、つかの間の静けさ?
 
(sight 10)

プーシーの丘の上には、小さな寺はある。そこの仏像の前でひと休み。うるさいほどの鳥の声に包まれる。坂道をくだっていくと、おじさんが通路の葉を掃除していた。丘の登り口では、飲み物の売店も準備中。ようやくいろいろが戻ってきた感がある。プーシーの丘は入場料、2万キップ、約180円。

昔もいまも、脇にはメコン川が流れていた

(sight 11)

昼すぎの列車でヴィエンチャンに戻ることになっていた。それまでの間、ルアンパバーンの旧市街を歩いてみる。だいぶ店は開いてきたが、全体でみると、旧市街の半分近くの店やゲストハウスが扉を閉めていた。撤退を決め、「For Rent」の貼り紙を出す店も少なくない。復活へは道半ば。
 
(sight 12)

ルアンパバーンの旧市街。路地に入ると、その向こうにメコン川。こんな眺めが好きだ。そしてやはり川沿いまで行ってしまう。この街はやはりメコン川と仏教の街だと思う。世界遺産というと古い建物に関心がなびくが、昔もいまも、脇にはメコン川が流れていた。それがこの街の最大の魅力なのかも。 

(sight 13)

街をゆっくり歩く。ふと食堂をのぞくと、昼食の準備なのか、かまどに鍋がかけられていた。薪なんだ⋯⋯。この店は前日、昼食にカオソイという麺料理を食べた店。中途半端な時間だったが、おばさんは何気ない顔つきで料理を運んできた。薪の使い方のプロなんだろうなぁ。台所を見ながら呟いてしまった。
 
(sight 14)

泊ったのは旧市街のタッツァフォンホテル。チェックインしようとすると、フロントに誰もいない。ホテルの予約サイトでとってしまっていたから、ほかのホテルに変えることもできない。フロントの前で10分ぐらい待っただろうか。女性スタッフが現れ、やっと部屋に。ラオスらしい宿だった。予約よりランクが高い部屋に案内された。コロナ禍の旅のメリット?
 
(sight 15)

宿泊客は僕だけだと思っていた。朝食の時間にテラスに出向くと、ひとりの老人がいた。ヴィエンチャンに暮らすベルギー人だった。ルアンパバーンには1ヵ月近く滞在しているという。74歳。僕は前日が誕生日だった。68歳になった。70歳をすぎたらルアンパバーン⋯⋯。悪くない選択肢に映った。
 
 
【次号予告】次回は8月5日。「コロナ禍のラオス旅 ラオス中国鉄道に乗りに行く」の5回目。ルアンパバーンからヴィエンチャンへ。
 
 
















新しい構造をめざしています。