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ルアンパバーンまではトンネルがつづく。腰をかがめ、控えめに列車の通路を歩く車掌さん。ラオスの列車だ

 
列車は定刻にヴィエンチャン駅を発車した。これまでも何回かヴィエンチャンからルアンパバーンまでの旅を経験した。バスか飛行機だった。バスは10時間以上かかった。以前は盗賊が出るという話があるバスで、まんじりともせずにバスの揺れに身を任せていた記憶もある。それに比べれば2時間で2都市を結んでしまう。快適そのもの。しかし改札から乗車と進みながら、またしても顔を出す中国に悩んでしまう。僕は中国の列車を知っているだけに、「これでいいんだろうか」と何回も呟いていた。ヴィエンチャンからルアンパバーンまでの列車旅を紹介していく。
個人的なことだが、この日は僕の誕生日だった。68歳。その記念の列車旅⋯⋯というわけではないのだが、これもアジア旅のめぐり合わせ?

旅の期間:6月8日
※価格等はすべて取材時のものです。


運賃は列車番号に振られたCとKで決められていた


(旅のデータ)
ヴィエンチャン駅からルアンパバーンまでは、この時点で1日3本。7時50分発のC82 列車、9時発のK12列車、16時05分発のC82 列車だ。列車番号のはじめにアルファベットをつけるのは中国式。C82列車とK12 列車は中国国境のボーテン行き。C82 列車はルアンパバーンが終点になる。運賃は列車番号の前についたアルファベットで分けられている。C列車2等で24万2000キップ、約2178円。K列車は2等で17万2000キップ、約1548円。その違いは車内写真の説明で紹介していく。列車は全席指定。


駅の表示に米中摩擦をもち込むつもりはないが


(sight 1)

朝、ゲストハウスの部屋の前に2台のトゥクトゥクが停まっていた。ラオスではよく見かける3輪タクシーだ。訊くとヴィエンチャン駅に行くという。このゲストハウスに泊まっているのは、たぶん全員が列車に乗る客。朝のひと稼ぎということか。運賃は決められていて、1台10万キップ。ラオスはタクシーやトゥクトゥク代が高いのが難。もうひとり乗客がいたのでひとり5万キップで、約450円になったが。
 
(sight 2)

やはりでかい。どう考えても大きすぎる。前日も見ていたが、朝、改めて見ても⋯⋯。写真の人の大きさと比べてほしい。ラオスという小国になぜこれだけ大きな駅舎が必要なのか。駅舎は国の権威の象徴という中国の発想なのだろが、青写真を目にしたラオス人は目を疑ったはず。でもなにもいえないのがいまのラオスの状況。世界の駅はこれほど大きくはない⋯⋯とだけはいっておきます。
 
(sight 3)

駅正面の表示に米中摩擦をもち込むつもりはないが、ラオス語と中国語。駅内の案内表示には英語もあるが、ラオス語と中国語の下に小さめの文字。勘ぐってしまう文字サイズと順番です。北京駅の正面には大きく中国語と英語が書かれていたはず。かつてはそれでよかったが、国力をつけたいまは⋯⋯ということだろうか。


改札前のセキュリティーチェックも中国式だった


(sight 4)

改札前に飛行機に乗るときと同じようにセキュリティーチェック。これも中国スタイル。スタッフはコロナ対策の防護服姿でちょっとものものしい。中国ではここでパソコンを指摘され、別室に入れられ、パソコンの内容を調べられたことが何回もある。いやな記憶が蘇ってくる。しかしここはラオス。一応、チェックはするが、パソコンで別室送り⋯⋯というようなことはありません。  

(sight 5)

館内放送があり、改札でキップを確認してホームへ。列車ごとに改札時間を決めて、勝手にホームに入ることができないシステムも中国スタイルだ。人口の多い中国では、この方法も有効なのだろうが、それをラオスで? このとき、改札の先にちらっと列車が見えた。「ん?」。見覚えがある。あの深緑色の車両⋯⋯。   

(sight 6)

列車は1本向こう側のホームに停まっていた。地下道を通って、列車が停まっているホームに向かう。はっきりとわかった。これは中国列車の外観。しかし車内はラオス仕様になっているかもしれない。そうあってほしい⋯⋯という期待を抱きながら列車に向かう。はたして車内は?   

中国の硬座車両がそのままもち込まれていた


(sight 7)

中国でした。まったく中国。それも硬座車両そのまま。中国の列車は、硬座、硬臥、軟座、軟臥にわかれる。2等座席、2等寝台、1等座席、1等寝台の順だ。そのなかでいちばん安い硬座車両が中国からもち込まれていた。中国ではローカル線に使われることが多い。しかし幹線にも貧しい人向けにわずかに残されていることも。しかしいまの中国は新幹線仕様の列車の時代。多くの中国人が硬座は嫌う。中国が貧しかった時代の象徴にも映るのかもしれない。それがラオスに。嬉々として乗り込むラオス人の笑顔がちょっと切ない。この硬座車両を示すのが「K」。覚えておいてください。乗る、乗らないは別にして。
 
(sight 8)

中国製車両だから、当然、こういった表示板も中国語。運転手や車掌は研修を受けたのだろうが、これを理解することは難しい気がする。彼らなりのマニュアルがあり、翻訳表のようなものがあるのかもしれないが。車掌は棚に入れた荷物の入れ方などを中国流にチェックしていたが、通路を歩くときはラオス風に腰をかがめて控えめに歩く。居丈高な中国の列車の車掌とは違う。ホッとした。


トンネルを出たら、またトンネル。難工事⋯⋯わかります


(sight 9)

列車はフォンホンに停車し、ヴァンヴィエンへ。そこまではまだ畑も広がる地形だったが、その先は一気に奇岩が連なる山々が車窓に広がった。ゆっくり眺める時間もなくトンネル。ひとつのトンネルを抜けるとまたトンネル⋯⋯。総工費は6800億円規模で、その7割を中国、3割をラオスが負担した。しかしラオスの資金は中国系金融機関からの借り入れも多い。「債務の罠」を指摘するアナリストもいる。ラオス初の本格鉄道は危うさも抱えているが、難工事だったことはトンネルの多さが教えてくれる。
 
(sight 10)

ルアンパバーンに着いた。この駅も大きい。城のようだ。帰りの切符を買っておきたかったが現金のみ。ラオスのキップが足りなかった。駅では両替ができない。駅を出、敷地の外に建つバラック小屋のような食堂に頼み込む。2軒入って断られ、3軒目の女性の主人が、「ドルは両替できないけど、タイバーツなら」と応じてくれた。ホッ。

ラオス中国鉄道がルアンパバーンを復活させた?


(sight 11)

ルアンパバーン駅も市内から離れていた。15キロ。ヴィエンチャン駅と同じだ。どうしてこんなに離れたところに⋯⋯。やはり中国の発想だろうか。しかしルアンパバーン駅の前には、市内行きの乗り合いバンが用意されていた。ひとり3万5000キップ、約315円。リーズナブルです。ある程度、客が集まると出発する。
 
(sight 12)

乗り合いバンのいいところは機動力があること。大きなホテルだけでなく、小さなゲストハウスまで送ってくれる。帰路は電話をすると、同料金で迎えにきてくれる。このカップルはヴィエンチャンから。コロナ禍で観光客が消えたルアンパバーンも、ようやく復活の兆し。それを支えていたのが、ラオス中国鉄道に乗ってヴィエンチャンなどからやってくるラオス人だった。その話は次回に。

真っ先に行くのはやはりメコン川


(sight 13)

ルアンパバーンの街に着いた。真っ先に行くのは⋯⋯やはりメコン川。ルアンパバーンの旧市街の脇を、雨季のメコン川はたっぷりの水をたたえ、音もなく流れていた。いや、メコン川は音を吸収すると昔から思っている。川には吸音効果がある? だから、ルアンパバーンには音がない。川には簡単なフェリーが対岸を結んでいた。いつ頃できたのだろう。
 
(sight 14)

昔からメコン川を眺めながらよくコーヒーを飲んだ。濃い目のコーヒーにたっぷりのコンデンスミルク。僕のなかのラオスコーヒー。川沿いに売店があったので、コーヒーを頼んでみた。ところがおばさんが渡してくれたのは紙コップと袋入りインスタントコーヒー。そして脇においてある電気ポットの湯を入れろという。こういうコーヒーじゃないんだけどな。ルアンパバーンもそういう時代か。コーヒーは5000キップ、約45円だった。
 
(sight 15)

夕暮れどき、やはりメコン川に向かってしまう。川に映る夕陽を眺めながらビアラオ。観光客はまだまだ少ない。川に沿ったレストランに客もまばら。音のないメコン川を眺め、客もいない店でビールをゆっくり⋯⋯。これってかなりの贅沢だと思う。
 
【次号予告】次回は7月29日。「コロナ禍のラオス旅 ラオス中国鉄道に乗りに行く」の4回目。ルアンパバーンの街をたっぷりと。
 
 





新しい構造をめざしています。