しもで

麻将(まーじゃん)連合という団体に所属している、下出和洋(しもで・かずひろ)です。 マ…

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麻将(まーじゃん)連合という団体に所属している、下出和洋(しもで・かずひろ)です。 マージャン教室の講師としての普及活動や、競技マージャンの選手としての競技活動、ネット麻雀「天鳳」では、「μしもで」というアカウントで活動など、マージャンだらけの日々を過ごしております。

マガジン

  • 気まぐれマージャンコラム

    表題の通り、気が向いてかつ時間に余裕がある時に書こうと思っています。

  • 負け犬しもでさんの奇跡

    自他共に認める、センスが無いマージャンプレイヤーが、どういうわけかタイトルを獲得してしまうまでのお話(予定)。

  • 飯田正人さんの話

    永世最高位・飯田正人さんにまつわる思い出話です。

最近の記事

神域リーグパブリックビューイング

・きっかけ 先日、「麻雀ミリオネア」という番組に出演してきた。 麻雀Vtuberとして活躍している千羽黒乃師匠の挑戦を、現役タイトルホルダー枠で壁として立ちはだかるはずだった。 結果は動画の通り、千羽師匠が1位。 私は辛うじて2位という結果。 私視点の自戦記はnoteに書いているので、そちらも併せて読んで頂ければ。 この戦いで、 「Vtuber、侮りがたし」 と思い、最近人気を博しているらしい、「神域リーグ」というものを見てみよう、という気持ちになった。 対局内容につい

    • 麻雀ミリオネア第4戦の感想文・後編(しもで先生視点)

      ・2回戦まであらすじ2回戦までの戦いは、こちらの記事をご覧あれ。 1回戦は千羽師匠に大暴れされる。 スリアロチャンネルの名物(?)ディレクターあらいさんの胃がキリキリ痛む展開だ。あらいさん、すまぬ。 2回戦は私が僅差でトップ。 千羽師匠は3着。ラスだったら、我々だけでなく視聴者的にも面白い展開になったんだけどなぁ。 そして、2回戦終了時点でトータルスコアはこんな感じ。 私の条件は、 ・トップ 無条件で勝ち。 ・2着の場合 千羽師匠トップなら、私の勝ち。 浅井プロトップ

      • 麻雀ミリオネア第4戦の感想文・前編(しもで先生視点)

        ・決戦当日(プロローグ)6月14日。 当日は朝から夕方まで、健康マージャンのお仕事…のはずが、麻雀ミリオネアに出演する為に、いつもより2時間早退。 しかも、店内は10卓満卓という状況である。 少しだけ心を痛めつつ、スリアロチャンネルのスタジオへスキップしながら足を運んだ。 そして会場に到着。 自分視点配信の準備、放送のリハーサルなどを経て、いよいよ対局開始。 対局は楽しみなのだが、一番の不安は「喋りながら打つ」という事。 千羽師匠に限らず、ネット麻雀の配信者の凄さを感じずに

        • 麻雀ミリオネア第3戦の感想文(千羽師匠視点)

          ・プロローグ5月某日。 麻雀スリアロチャンネルのスタッフ、あらいさんからLINEの着信があった。 「Vtuberの千羽黒乃さんが挑戦している、麻雀ミリオネアという番組に出演してほしい」 「千羽黒乃」 Vtuberの知識はほぼゼロに等しい私でさえ、名前は聞いた事があるくらいだから、さぞかし有名なのだろう。 (さぞかしどころの騒ぎではない事を、その時の私はまだ知らない) 私ごときでもお役に立てるなら喜んで…、と言いたいところ。しかし、 「千羽さんが5月末の第3戦で負けた場合、

        神域リーグパブリックビューイング

        • 麻雀ミリオネア第4戦の感想文・後編(しもで先生視点)

        • 麻雀ミリオネア第4戦の感想文・前編(しもで先生視点)

        • 麻雀ミリオネア第3戦の感想文(千羽師匠視点)

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        記事

          夢とか未来とか

          ・子供の頃の夢小学校の作文の題材によく出てくる、将来の夢。 そう。「パイロットになりたい」とか「サッカー選手になりたい」とかいう、あれです。 みんなスラスラ書いている中、私は自分がなりたい未来を想像する事が出来ませんでした。 仕方ないから「野球選手になりたい」とか適当に書いた記憶があります。 それは中学生、高校生になっても変わらず。 自分が何になりたいかは見つからないまま、書類審査だけで受かった名古屋の専門学校に入学する事になりました。 ・突き付ける現実とはいえ、何かの

          夢とか未来とか

          負け犬しもでさんの奇跡・46

          しもでさん、初めてのG1タイトル決勝に臨む2008年の夏。 第3期・最高位戦Classic決勝戦が始まろうとしていました。 決勝戦に進出したのは、 「デモリー」と呼ばれる華麗なリーチアクションで、一部マニアに人気だった、出本誠司選手(プロ協会)。 同時期に開催されていた、優駿杯(主催・日本プロ麻雀棋士会)で初タイトルを獲得し、プレイヤーとして旬を迎えていたAリーガー、佐藤崇選手(最高位戦)。 タイトル獲得多数、一時代を築いてきたレジェンドプロ、金子正輝選手(最高位戦)

          負け犬しもでさんの奇跡・46

          負け犬しもでさんの奇跡・45

          しもでさん、もう1人の練習相手について語る2008年。私が初めて最高位戦Classicに挑戦した年です。 前回の記事では、須田良規選手について語りました。 今回はその須田選手が記事にした、当時の若手選手についてです。 須田さんのこちらの記事も読んでみてください。 その若手選手の名は、田中巌。通称・いわおちゃん。 当時は最高位戦に入って2年目くらいだったかな。 上の写真をご覧ください。当時のいわおちゃんはこんなほっそりしてたんですよ。 人狼などがきっかけで知った人にとって

          負け犬しもでさんの奇跡・45

          負け犬しもでさんの奇跡・44

          しもでさん、Classicルールの練習相手について語るClassicルールはタイトル戦でもない限り、普段打つ機会はまずありません。言葉は悪いですが、化石みたいなルールです。 そんなわけで、練習相手を探すのも一苦労でした。 今回は練習相手の中で印象に残っている人の話をしようと思います。 1人目はこの人。 日本プロ麻雀協会の須田良規選手。 「東大を出たけれど」の原作者としても有名ですね。 当時、大久保のマージャン店で店長を務めていた須田さん。 多くの若手や中堅選手が遊びに来

          負け犬しもでさんの奇跡・44

          負け犬しもでさんの奇跡・43

          しもでさん、最高位戦Classicの歴史を少し語る2006年。 最高位戦日本プロ麻雀協会(以下・最高位戦)が、新しいタイトル戦を創設した。 その名も「最高位戦Classic」。 主なルールは、 一発・裏ドラなし カンドラなし アガリのみ連荘 順位点が小さめ(+12・+4・▲4・▲12) リーチ後のアンカン禁止 といったところでしょうか。 1997年までは最高位戦のリーグ戦のルールとして採用されていました。 第1期の参加資格は、最高位戦所属選手のみ。 決勝戦では、最終戦の南4

          負け犬しもでさんの奇跡・43

          負け犬しもでさんの奇跡・42

          しもでさん、対局で負けて大泣きをするリーグ戦やタイトル戦で結果を残したいと思って対局するのは、競技選手としての性(さが)というか、宿命(さだめ)のようなもの。 個人差による感情の大小はあれども、対局で勝てば嬉しいし、負ければ悔しい。競技選手というのはそういう生き物なのです。 さて、皆さんはマージャンで勝って泣いたり、逆に負けて泣いたりした事はありますか? 私は1回だけあります。 今回はその時の話をしましょう。 時は2005年。 選手としてデビューしてから、既に7年が経過し

          負け犬しもでさんの奇跡・42

          負け犬しもでさんの奇跡・41

          しもでさん、無謀にも研究会の主宰を始める確か2006年くらいですかね。 当時働いていた健康マージャンサロンは、下北沢の「シャングリラ」。基本的に朝から夕方までの営業でした。 当時のプロジェクトリーダーだったTさんから、 「しもでくん、夕方の空いた時間で何かできないかな?」 と、提案されました。 ただ、問題がありました。 使える時間は17時から22時まで。 会場の都合など色々あって、マージャン店と同じような営業形態が出来ない。 いろいろ考えた結果が、「研究会の主宰」でした。

          負け犬しもでさんの奇跡・41

          負け犬しもでさんの奇跡・40

          しもでさん、観戦記者デビューを果たす今回の「私が勝てなかった間にやってきた事シリーズ」は観戦記者です。 私がデビューした1997年あたりは、「月刊プロ麻雀」というマージャンの専門誌がありまして、麻将連合に限らず、公式戦の観戦記が掲載されていました。 当時新人の私は、 「とにかく公式戦でいい成績を挙げたい」 「いい成績を挙げ続ければ、いろんな仕事が回ってくるはず」 と信じて疑いませんでした。 それゆえ、麻雀を打つ活動以外には興味が無かった、という感じでした。 今の時代なら「

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          負け犬しもでさんの奇跡・39

          しもでさん、自分の売りについて考える競技選手デビューから数年経った、しもでさん。 対局では、相変わらず負け続けていました。 麻将連合のプロとして認定されるには、 「競技・タイトル戦での強さ」 「専門知識」 「マージャン活動による経済基盤」 の3条件が求められます。 麻将連合のツアー選手というのは、マージャンのプロを目指す立場です。 マージャンのプロを目指している者が、マージャンが弱かったらお話になりません。 ツアー選手という立場に甘えているつもりはなかったのですが、競技の

          負け犬しもでさんの奇跡・39

          負け犬しもでさんの奇跡・38

          しもでさん、数多くの先輩に引導を渡されるここまで数回に渡って、若かりし頃の仕事について書いてきましたが、選手としてはどうだったのか。 まぁ、負けまくりでしたね。 ランキング戦(リーグ戦のようなもの)は、下位集団を低空飛行。 μカップ、その他タイトル戦でも、予選落ちばかり。 たまに本戦に進出しても、上位進出は全くなかったです。 今思えば、凄く下手くそだったし、弱かったし、好成績を挙げられないのは仕方ないかと。 とはいえ、まだまだ若手と思っていましたから、 「力をつけてそのう

          負け犬しもでさんの奇跡・38

          負け犬しもでさんの奇跡・37

          しもでさん、再び岐路に立つ2003年の夏。 当時は、池袋の「TOKYOぶんかサークル(通称・ぶんクル)」で週3~4日。 週末は大船の「バンブー」で地元の仲間うちのフリー営業のお手伝い。 仕事の合間に対局、という日々を送っておりました。 まぁ、今後のマージャン人生は不安ばかりでした。 このまま、何となく続けていって、年をとっていくのだろうか。 ていうか、年をとる前に生きていけなくなるんじゃないか。 まぁ、ある程度オッサンになりましたが、今も辛うじて生きていますけどね。 そん

          負け犬しもでさんの奇跡・37

          負け犬しもでさんの奇跡・36

          しもでさん、伝説のプロを紹介してみる2003年の夏。 この日も池袋の「TOKYOぶんかサークル(通称・ぶんクル)」でお仕事でした。 すると、見覚えある人がご来店。 なんと、安藤満さんではありませんか。 と言っても、最近では安藤満さんを知らない人が多くなったでしょうね。 それでは、少しお話しましょうか。 私が18歳の頃に遡ります。 当時、近代麻雀オリジナルで連載されていた「阿羅漢(あらはん)」 という漫画で「安藤満」 という存在を知りました。 その中でも、主人公が駆使する

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