負け犬しもでさんの奇跡・45

しもでさん、もう1人の練習相手について語る

2008年。私が初めて最高位戦Classicに挑戦した年です。
前回の記事では、須田良規選手について語りました。
今回はその須田選手が記事にした、当時の若手選手についてです。
須田さんのこちらの記事も読んでみてください。

その若手選手の名は、田中巌。通称・いわおちゃん
当時は最高位戦に入って2年目くらいだったかな。

画像1

上の写真をご覧ください。当時のいわおちゃんはこんなほっそりしてたんですよ。

画像2

人狼などがきっかけで知った人にとっては、こちらの写真の方が馴染みが深いのではないでしょうか。

いわおちゃんとはいつの間にか知り合いになった、っていう感じなんですよね。どうせ、どこかの酒の席だとは思いますが。
いわおちゃんはマージャン以外については「隙だらけ」というか「だらしない」というか。私も相当だらしない方ですが、いわおちゃんもかなりのものでしたね。
でも、人柄が凄く良くて、色んな人から可愛がられていました。酒の席などでは色んな人に対する悪口が飛び出す事も多々ありますが、いわおちゃんについての悪口は聞いた記憶が無かったですね。

ただ、マージャンに関しては、当時から目を見張るものがありました。
Classicルールを打たせても、センス抜群でしたね。
いわおちゃんとは、須田さんのお店で一緒に打ったり、いわおちゃんが働いていたお店でも時々Classicルールで打ちました。
当時のいわおちゃんの同僚だったのが、しゅうしゅうさん、いのししさん、鳴く好きさんとかかな。あえて通称で呼ばせてもらったけど。分かる人には分かる内輪ネタで申し訳ない。

須田さんやいわおちゃんなどに限らず、活きのいい若手選手とたくさん知り合えた時期が、今思えば一番楽しかった気がします。

しもでさん、その後のいわおちゃんについて語る

しばらくして、いわおちゃんの職場が変わったりなどで、一緒になる機会が随分減りました。
時々会うたびに「いわおちゃん、丸くなったなぁ」と繰り返し思うわけですよ。性格は元々丸いので、見た目の話です。
かくいう私も似たような生活を送っていたから、いわおちゃんも私に対して同じ事を思ったかもしれないけどね。

ちょうど、人狼ゲームが流行り始めた頃。
人狼ゲームの放送を見ていたら、生き生きとしたいわおちゃんが。
私は人狼をやらないので、人狼プレイヤーとしてのいわおちゃんについては語れませんので、ただのニワカ視聴者としての感想になります。
マージャンだけでなく、対人ゲームのセンスもあったのだとは思います。
ただそれよりも何よりも、「みんなでゲームを楽しむ」という事に長けていたのでしょうね。
勝ち負けのあるものは、楽しい人もいれば、ツライ思いをする人もいるのが普通です。
いわおちゃんだけでなく、画面の中にいたみんなが楽しく夢中になっていたのが、凄く印象に残っています。

その後もなかなかいわおちゃんと会う機会が無く、久しく会ってないなぁ、などと思っていたのですが、まさかこのままずっと会えなくなるとはね
2018年10月9日。
「田中巌選手、急逝」の一報。

日頃の不摂生が祟ったという話も聞きましたが、それはマージャン業界に携わっている人の大半につきまとう「職業病」のようなもの。
よりによって、いわおちゃんの命を奪わなくてもいいじゃないか。
もうちょっとでAリーガー、さらに少し上には最高位が見えてきたというのに。
もっとマージャンや人狼をさせて欲しかったなぁ。

いわおちゃんがいなくなってから、もう2年以上経ちます。
こういう話って、本当はいなくなってからすぐに書いた方がいいのかもしれませんが、自分が色々と心の整理が付かないと書けないんですよね。
だから、こんなに時間がかかったのです。

こうしてやっと、いわおちゃんの事が書けました。いつかそっちに行ったら、一緒に飲もうね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?