負け犬しもでさんの奇跡・39

しもでさん、自分の売りについて考える

競技選手デビューから数年経った、しもでさん。
対局では、相変わらず負け続けていました。

麻将連合のプロとして認定されるには、
競技・タイトル戦での強さ」
専門知識
マージャン活動による経済基盤
の3条件が求められます。

麻将連合のツアー選手というのは、マージャンのプロを目指す立場です。
マージャンのプロを目指している者が、マージャンが弱かったらお話になりません。
ツアー選手という立場に甘えているつもりはなかったのですが、競技の成績がともなわなくては、そう思われても仕方ないでしょう。
このままロクに成績を挙げられないなら、いずれは選手としての活動を辞める時期が来る。そう思っていました。

こうなったら、辞める時期が来る前に、自分が競技選手として生きてきた証を残そう。そう思い、自分なりに色々やりました。
長い前置きになりましたが、数回に渡って、やってきた事を書いてみようと思います。

まずは、当時の麻将連合の名物コーナーだった、「ダイアリー」です。
残念ながら現在は見る事は出来ませんが、確か2002~2008年くらいまで続いたのかな。
これは、麻将連合所属の選手が日替わりで書いていくコラム。テーマは自由でした。

最初の頃は、無難な事しか書いていませんでしたが、
せっかくだから、自分の個性というか、売りをアピールしてみようかな
と思い、書き始めたのが、「負け犬日記」でした。
「自分の売りは?」と考えた結果、
「あ、オイラって未勝利じゃん
と、負け続けているのを逆手に取ったわけです。
これをきっかけに、「自虐キャラ」が一部で定着し始めたのです。

一部の先輩からは、
競技選手が負けを売りにするのはみっともないよ
と言われた事もありました。
とはいえ私自身も、
競技の世界における自分の居場所
を作るために必死だったのです。
実際、ダイアリーで好き勝手書いた経験が、その後の色んな活動に繋がったと思います。

当時はまだSNSが身近なものではなく、あらゆる情報の発信方法も限られていました。それゆえ、限られた範囲でアピールする必要があったのです。
逆に現在は、情報発信が簡単に出来るようになりました。それだけに、不特定多数の方々にも伝わるような工夫が必要になりました。
しかし使い方を間違えると、競技人生が終わる事もある為、細心の注意が必要です。
昔のような情報発信が少なかった時代も大変でしたが、今は今で大変なのです。

しもでさん、ブログというものを始める

それでも一向に成績が良くなる兆しがなかった、しもでさん。
そこで考えたのは、
競技の成績は時の運だけど、知識を増やすのは努力すれば出来る
という事です。
「どうせ勝てないなら」っていう事で、開き直ったわけですね。
競技選手の姿勢としては、どうかと思いますが。

「私が勝てなかった間にやってきた事シリーズ」第2弾は「ブログ」です。
きっかけは、2004年くらいの事。
当時働いていた「シャングリラ下北沢」のホームページが開設されました。
その中の1つのコーナーとして、マージャンに関するコラムを書く事になったのです。

月1回程度の更新でしたが、当時は「文章を書く」という事に慣れていなかった事もあり、何を書くか毎月アタマを悩ませていました。

その翌年です。
このコーナーを「ブログ」にしよう、という事になりました。
出来るだけたくさん更新してほしい
という上司の指令が。

いやぁ、困った困った。今でさえ、ネタを探すだけでも大変なのになぁ。
ただ、せめてもの救いは、
ネタは何でもいいから
と言われた事でした。
ならば、好き勝手書こうかな、と。

というわけで始まったのが、「シモデ先生のまあじゃんうんちく」。
「ヤプログ」というのを使いましたが、今はもう無くなってしまったので、閲覧も出来なくなりました。

最初の数回は、以前のコーナーの記事をそのまま掲載したもの。
第1回は2005年の4月。もう10年以上も前なんですね。
当時を思うと、「うんちく」と銘打ったせいか、とにかくマージャンに関する知識をひけらかそうと必死だったような気がします。
ただ、当時の自分なりに一生懸命書いたんでしょうね。
あと、ブログのネタを増やすための勉強だったはずが、結果として専門家としての知識を増やす事にも繋がり、以後の活動にも色々役立ちました。

ちなみに2008年からはアメブロに移行しました。
アメブロの方の題名は「シモデ先生のまあじゃんうんちく version2」。2017年くらいまで続きましたね。

「私が勝てなかった間にやってきた事シリーズ」はまだありますが、それはまた次回以降に。




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