負け犬しもでさんの奇跡・37

しもでさん、再び岐路に立つ

2003年の夏。
当時は、池袋の「TOKYOぶんかサークル(通称・ぶんクル)」で週3~4日。
週末は大船の「バンブー」で地元の仲間うちのフリー営業のお手伝い。
仕事の合間に対局、という日々を送っておりました。

まぁ、今後のマージャン人生は不安ばかりでした。
このまま、何となく続けていって、年をとっていくのだろうか。
ていうか、年をとる前に生きていけなくなるんじゃないか。
まぁ、ある程度オッサンになりましたが、今も辛うじて生きていますけどね。

そんな事を考えながら過ごしていたある日の事。

日本健康麻将協会の事務局で働いていた、麻将連合の後輩でもある戸構亮さんから、
「しもでさん、マージャン教室や健康マージャンのサロンをやりたいっていう人がいるんですけど、興味ありませんか?
というお話をいただきました。

マージャン教室はわかるけど、健康マージャンの「サロン」とは?
今ひとつピンとは来なかった部分はありますが、マージャン教室とかの仕事は、チャンスがあればまたやってみたいと思っていたところだったので、ひとまず話を聞いてみようかな、と。

で、最初の打ち合わせ当日。
打ち合わせにいたのは、健康マージャンサロンのプロジェクトのリーダーでもある、Tさん。
あと、Tさんと関係のある方々が何人かいましたかね。
渋谷の健康マージャン「ガラパゴス」でスタッフをやっていた、Iさん。
戸構さん、私、これまた麻将連合の後輩の地主琢磨さん。

その後、何度か打ち合わせを重ねるうちに、健康マージャンサロンのプロジェクトはどんどん具体的な話になり、11月くらいに開店する、という事に。
そういう事情もあり、池袋の「ぶんクル」は9月いっぱいで辞めて、10月以降は、開店準備に専念する事になったわけです。
店舗立ち上げに関わるのは、ほぼ初めてだっただけに、楽しみもある反面、不安もありました。

とはいえ、ここまで来た以上、やるしかありません。
平日はミーティング、チラシ配り、開店に必要な設備の準備など。
土日は引き続き、大船「バンブー」でお手伝い。
開店までは、そんな日々が続きました。

しもでさん、新店舗の開店に携わる

新しい職場となる、健康マージャンサロンの場所は…。
なんと、下北沢の「北沢タウンホール」の地下1階!
しかも、卓数は16卓
広々とした待合スペース
食事を提供するための立派な厨房
他にも色々ありましたが、とにかく何から何まで想像を超えていました。
親会社の気合いの表れでしたね。

あと、マージャン店としての「風俗営業」ではなく、「マージャン専門のカルチャースクール」としての営業をしようとの事。
これは、大変な事を引き受けたものだなぁ…
軽い気持ちで引き受けたのですが、プレッシャーを感じましたね~。

そして、2003年の11月。
健康まぁじゃんサロン「シャングリラ」が営業開始しました。
最初の3ヶ月くらいは、月曜から金曜は下北沢勤務、土曜と日曜は大船勤務、という日々が続きました。
今思えば、よく身体が持ったものです。若かったんでしょうね。

開業当初は、ポスティングをしまくっていました。
マージャンをやってくれる、覚えてくれる人に来てもらわない事には、何もできませんからね。

しばらくすると、何人体制で回せばいいのかも、何となく分かってきた事もあり、私は週3日程度の勤務になりました。

しもでさん、せっかくの要請を断る

さらに数年後、プロジェクトリーダーのTさんから、社員としてやらないか、という打診を受けました。
少し迷いましたが、
「やりがいがある仕事であるのは間違いないのですが、競技選手としての自分を優先したいので、今まで通り週3日程度でやらせてほしい
という回答をしました。
我ながらアホだと思います。でも、この決断について後悔はしていません

福岡の雀健ポンもそうですが、シャングリラでのあらゆる経験も、私にとってかけがえの無いものでした。
こういう経験をする機会を与えてくれた方々に感謝しています。
それにもかかわらず、おそらく期待していたであろう方々を裏切る決断をしてしまった事については、少しだけ申し訳ないと思っています。

「競技選手としての活動を優先したい」と言った手前もあるので、選手として活躍しなくてはと思うわけですが、結果が出るようになるのはまだ先の話。
次回あたりから、当時の競技選手としてのしもでさんについて、少し話していこうと思います。



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