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啓蒙って難しすぎ!
自己満と他利益のあわいに揺れる…それがボランティアサークルの宿命!!と思い始めた今日このごろ。皆さんいかがお過ごしでしょうか?
皆さんお察しの通り、私は下っ端ボランティアサークル員として日々を生きる若者です。
その活動の中でもよく出てくるのは"啓蒙"の二文字。ゴミ拾いも海岸清掃も大方の目的は啓蒙の為だと思います。
しかし、啓蒙とはなんの為にあるべきなのか、自分の考えを伝えるって案外難しいぞ…??
人と喋ることさえままならないのに!!!
そんな折に出会ったのがこの本。
『華氏451度』レイ・ブラッドベリ
〜あらすじ〜
本の所持が禁じられている世界で本を燃やす仕事"昇火士"として働く主人公モンターグは、意気揚々と本を燃やし、3面のテレビやファンパークなど娯楽に富んだ世界で幸福に暮らしていた。
しかしある日、クラリスという娯楽に興味を示さない一人の不思議な少女に出会う事で、モンターグの中の幸福という幻想が崩れ始める。自分が燃やしてきた本の価値、生きる意味を求めて奔走するモンターグの行く末とは?
↓ここからネタバレ感想文です!↓
↓嫌な人は回れ右!!↓
↓でもとにかく面白かったから是非買って欲しい!!!↓
↓読んだ方、気にしない方はどうぞ!!↓
〜感想(ネタバレ注意)〜
N●Kで紹介されて読みました!
本という媒体に隠された真の価値や他人を啓蒙する事を焚書という題材を通して深く考えられる本でした。印象に残ったのは、モンターグが本の価値を知った後、それを妻の友人二人にぶつけようとするシーンです。
妻と共に3面テレビの前で大音量の番組をつけ、現代の娯楽に肩まで浸かる友人たち。それに痺れを切らしたモンターグは、仲間の静止を振り切り
「怖がらせてやりたいんですよ、ええ、ふるえあがらせてやりたいんです。」
と言って法律で禁じられた詩を妻と友人たちに読み聞かせます。
その結果、友人たちはひどく気分を害し、後に本の所持を彼女らに密告されることになるのです。
本の朗読によって友人たちに衝撃を与えた事について、モンターグとしては"やってやった"といったところでしょう。しかし、この朗読によって二人が本の価値に気づく事は残念ながらなかった様です。
このシーンは、啓蒙という行為をするにあたって一番気を付けなければいけない点を表現していると感じます。
このときのモンターグは本を朗読することで友人たちの目を覚まさせ、今までやってきた行いを悔いたり憂いさせたりしようとしています。これはモンターグにとっては正義の行いで、さぞ気分のいいことでしょう。しかし、今まである意味幸福に生活していた人々からするとそれは暴力的で独善的なものに映ってしまいます。
今まで上手く行っていたものを何故いま壊して、自分たちを不幸にするのか、不快にするのかと。
モンターグの言ったことよりも自分の不快感が先に出てしまうことで、内容が頭に入りづらいのでは無いでしょうか?
ボランティア活動でもよく「ゴミを捨ててはいけない」「今使っているその商品は環境によろしくない」「開発はだめだ」「それは森林破壊だ」etc...
人の危機感を煽るような言葉が並ぶ事が多いです。
これは本当に危機感を待ってやらなきゃいけない問題なので、自然とこういう言葉選びになってしまうのですが、伝わらなければ意味がないですよね。
自分が気持ちよくても、相手の立場も考えなければ、思いは伝わらず啓蒙は果たされないってことなんだなぁと本書を通してしみじみ思いました…。
結果モンターグは失敗してますし。
一応啓蒙目的の活動の多いボランティアサークル員の端くれとしては、少し襟を正さねばと思った次第です…。
そりゃあ啓蒙は大事ですが、少しでも賛同を得られるように、受け入れられる様に、声かけは脅迫ではなく一つのメッセージとして届けられたらいいなぁと思いました。
グダってきたので今回はこの辺で、
ここまで読んで下さり本当にありがとうございます!
さようなら〜〜
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