「障害」に思うこと
以前勤めていた職場では多くの人々が来館し、サービスを利用していく。大人も子どもも、老人も、障害のある方も誰でも。
その中にいたダウン症の方が印象的で覚えている。彼は見た目は小柄で幼く見えるのだけど成人を迎えていたと記憶している。
施設の利用を問題なく使いこなし帰っていくのです。この「普通に自分でできる」ことに私はとても感心していた。大抵はサポートが必要だったり、だれか付き添いがいたりすることが多いのだけど、ましてや健常者でさえヘルプが来るときがあるのに、彼は1人でできる。
自分が行動するための準備や用意を日頃からしているのだと思います。ご家族も一生懸命やってこられてるんでしょう。
昨今、ASDだとかADHDで生きづらいとか新たやHSPだとかのレッテルを自分に貼っている人を見かける。人間誰しも何かしらの要素を少なからず持っていて、社会生活ですり合わせができないくらい差があったとき、会社、学校、人間関係、にも大きな支障が出てしまう場合「障害」とついてしまうのだろう。
自分もADHDみたいなところがある。そそっかしいし、不注意もあるし、思いつきで行動して失敗したこともある。子供の頃なんか忘れ物大王だった。
そんな特性で自分にとても「困った」ので、困らないように工夫をするようにしました。
まず、簡単に工夫すると言葉にするが、最初は工夫しようとしたこと自体を忘れる😇
それを忘れないようにと、思いついた度にノートを買うから、今度はやたらノートやファイルが増える。
また困る。
そして身に付いてないことに気付き、どうやったら習慣づけられるのか?などを考え調べ、実践して自分の習慣に取り入れる。
やっとこさ工夫するコツをつかみ、工夫ができるようになった。
この時に実感したのは、私が想像したことなんて60%くらい実現できたら良しだな、ということ。逆に自分はどの手加減の人間なのかがわかるようになった。
また、定期的に状況を整理して不便さや不要なものを整理し、減らしたり新たに追加をしたりする。
子どもの時分に差があったことでも、20代、30代、40代、50代、60代、、、、と歳を重ねるときっとみんな万遍なくできることが共通してきて、他人とも共感できることが増えていくんだと思う。
出来なかったことが出来るようになるには個人差があっても、時間差があっても日々の生活の中で経験して出来るようになる。訓練だとか、練習だとかを重ねる時期もあるかもしれない。
体や精神の発達、知性の発達に個人差があるように感じても人それぞれの時間の流れの速さと、経験値によっていつか合流できて幸福を感じられることがかならず来るんじゃないのかな。
今を一生懸命たのしく、そして自分を乗りこなすコツを探りながら生きたいですね(^^)
自分との付き合い方、乗りこなし方のコツがわかると、人生捨てたもんじゃないな、楽しいなと思えることが増えていくのだなと思うのです🤗
要はね、焦らなくてもそのうち出来るようになるよ〜ってこと。
(努力してれば、が大前提ですよ☝)