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9月入学について②(明治時代は9月入学だった)

今回、2021年からの9月入学を検討したものの、最終的には見送ることが決まりました。
ただ、この9月入学検討に関しては今回に限ったものではありません。
私の知る限りで最も古いものでは私が高校生の時。
当時の中曽根首相が秋季入学についていろいろシュミレーションしている、というものでした。

この30年ほどの間に9月入学についてどれくらい言及されていたのかをみていくととともに、明治時代の初期のころの日本は欧米と同じく9月入学を導入していたことも判明したので、当時どのような流れを経て9月入学から4月入学へ移行していったのかをみていきたいと思います。

過去の9月入学に関する報告書をひもとく

・臨時教育審議会の第四次答申(1987年)
・中央教育審議会の答申「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について(1997年)
・大学審議会の答申「21世紀の大学像と今後の改革方策について(1998年)
・教育改革国民会議の報告「教育を変える17の提案」(2000年)
・共育再生会議の第二次報告(2007年)
・経済財政諮問会議「経済財政改革の基本方針2007」(2007年)

1984年、中曽根元首相主導のもと臨時教育審議会(臨教審)が発足しました。

当時の私は中学生。
実は、私の通っていた中学は地元では有名な不良のたまり場でした。
長ラン・ボンタン当たり前、喧嘩上等、窓ガラスは常に割れていて、生徒が使用するトイレのドアで無事なところがなく職員室トイレを借りるという状況まであり、NHKの朝のニュースにも取り上げられるほどの荒れた学校でした。
1984年当時「不良少女とよばれて」というテレビドラマがあったのですが、これを地で行くような感じのところです。
今でこそありえないくらい修羅場の連続だったのですが、全国的にみると同じような学校が他にもあったのではないかと思います。
それくらい、日本の学校全体が荒れていた時期です。

おそらく臨教審は、このような「荒れた学校」をたて直すべく発足した諮問機関ではないかと思います。
臨教審では4回の答申の中で次のようなことを取り上げています。

第1次答申(1985年)「我が国の伝統文化、日本人としての自覚、六年制中等学校、単位制高等学校、共通テスト」
第2次答申(1986年)「初任者研修制度の創設、現職研修の体系化、適格性を欠く教師の排除」
第3次答申(1987年)「教科書検定制度の強化、大学教員の任期制」
第4次答申(1987年)「個性尊重、生涯学習、変化への対応」

臨教審では教育改革に向けた様々な議論が行われましたが、その中で取り上げられたのが「秋期入学」でした。上記でいうと、第4次答申の部分にあたります。
この第4次答申「個人尊重、生涯学習、変化への対応」のもととなる研究内容がその前年である1986年12月に「秋季入学に関する研究調査」という冊子にまとめられており、この冊子は200ページにもわたっています。
9月入学が実現した場合、当該児童・生徒の学校の教育計画に与える影響を明記したり、今回の移行の案と同じくいくつかの移行シュミレーションを提示し、移行時の費用負担を試算しています。

これだけの議論を重ねたものの、当時は9月入学にはほとんど理解を示されることなく終わっています。
国際水準に合わせることができる、インフルエンザや雪の時期の受験を回避できるというメリットがあるものの、それ以上に新卒一括採用や幼稚園との連携の難しさが露見したのかもしれませんん。

9月入学の学校が全くないわけではない

では、今、9月入学の学校が全くないのか、というとそういうわけではありません。
都立高は若干名ですが9月入学の募集を帰国子女中心に行っています。


また、通信制の高校は4月入学と10月入学という学校があったり、3か月に1回(年間4回)入学することができる学校もあります。

大学については9月入学に対応している学校もかなりあるようです。

高校、大学と一部の学校は春と秋両方対応しているようです。
ただし、ほとんどが春秋両方の対応で、秋だけとなると周りの社会環境との調整が難しいようです。

明治初期は9月入学だった

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歴史をひもとくと、日本の学校は江戸時代の藩校や寺子屋にあった随時入学の時代を経て、明治初期のころは高等教育の主流は3月卒業、9月入学というところが多かったようです。
東京大学も、欧米にならった9月入学の学校でした。

これがなぜ4月入学に変わっていってしまったのか。
諸説ありますが、ひとつには1886年の徴兵令の改正がきっかけではないかといわれています。

今の筑波大学にあたる学校が4月入学のスタイルを取りはじめたのですが、徴兵令の改正により徴兵対象者の届け出期日が9月1日から4月1日に変わったり徴兵猶予の締切が4月1日に変わったことが大きな影響を及ぼしています。
学校を9月始まりにしてしまうと有能な青年が陸軍に取られてしまうのではないかという懸念が生じてきたのです。

また、もうひとつ大きな流れとして明治政府の会計年度が1月~12月→7月~6月→4月~3月へと変わったことで公費で賄われていた師範学校は4月入学へと舵をきったのではないかと言われています。

9月入学から4月入学へ

1986年、会計年度が4月に改正され4月入学が推奨されるようになってから実際に4月入学に移行するまでには35年もの年月がかかっています。

1901(明治34)年には中学が、1919(大正8)年には高校が、1921(大正10)年には大学がそれぞれ4月移行を完了させています。

まとめ

過去の9月入学・秋入学について考察してみると、徴兵が大きな影響をおよぼしていることがわかりました。
このことは、現在主流となっている画一的な授業体制とも通じているのではないのでしょうか。

画一的な授業は、賛否あるとは思いますが「優秀な人材を大量に作らなければならない」というミッションのもとつくられた画期的な学習体系だと思います。

また、改めてみていくと、2020年に9月入学の議論を開始して2021年に施行するというシナリオはかなり無理があったのではないかと思います。

明治から大正にかけてゆっくりと着実に進めてきた9月入学から4月入学への移行は、社会システムの構築・連携も同時に完成させているため、この牙城を崩すにはかなりの時間と新たな社会システムの構築が必要となってくるのではないのでしょうか。





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