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数日前、15歳の高校生が投稿していた記事を読ませていただきました。
自分の娘や息子と同世代であり、高校生になったばかりの彼は実際に何度も会って話をしたことがありますが、この記事同様、とてもクールで、観察力にも長けています。大人である私たちはもう少ししっかりしなければと思いつつも、このような頼もしい若者がどんどん増えてほしいと願っています。
そんな彼が、かなりの長文ではありますがこのような記事を掲載していました。それだけ思い(あるいは想い)が強いということなのでしょうか。

ダイバーシティ、インクルージョンをテーマとするうえで、人生折り返し地点を迎えようとしている私にとって非常に考えさせられる内容でした。

この記事をうけて、あらためて「生きる」ということについて自分なりに考えてみました。

「生きる」---谷川俊太郎

「生きる」という言葉を聞いてまず思い起こすのは、谷川俊太郎の「生きる」という作品。
この作品、実は現在中3になる息子が大好きな本で、つい先日、読書週間の時にもまっさきにこの本を薦めていました。
でも、私の心の中では「どうせ、谷川俊太郎さんの作品なんだから文章が短くていいと思って選んだんでしょ?」という穿った見方をしていました。

ただ、とても気になったので、本人に
「どうしてこの本を選んだの?」と聞いてみたところ
「いやぁ、、、なんとなくなんだけど、読んでみたらわかるよ。文だけじゃなくて絵も含めて好きなんだよね~」という答えでした。
そこで、過去に読んだこともあったのですが、今一度読みかえしてみることにしました。

「生きるということ 今生きるということ」ではじまるこの作品は、戦後昭和の古き良き時代を再現したかのような絵が描かれています。
一枚の絵の中にそれぞれの人の思いがこめられています。
また、「生」と「死」について、「いま、生きるということはどういうことなのか」を考えさせられるような内容でした。
この本は、子どもたちがみるだけでなく、私たち大人も人生の節目節目で読んでみるとまた感じ方が変わる奥の深い本だな、と感じました。

「いまる」という名は最高傑作

次に思い浮かんだのが、なぜか明石家さんまさんと大竹しのぶさんの長女、いまるちゃんでした。
彼女がこの世に生を受け、この名前がついたときいたとき、「さんまはどこまでやらかすの?」と正直思っていました。
実際にお笑いのネタとしても使っていましたよね。
年月を経て、あるトーク番組で彼女の名前の由来についてさんまさんが話をしていて、その名前の深さに感心しました。

「いまるという名前は、生きてるだけでまるもうけという意味でつけました。でも大竹さんは、今をいきる、という意味でつけたと言っていました」

「生きてるだけでまるもうけ」と「今を生きる」、きちんと考え抜かれた先の名前だったことにご両親の思いの深さを感じました。

「生き続けること」の難しさ

人生50年近く生きているとさまざまな困難に直面している人をみています。
生きていくことがつらいと感じる人がいます。
交通事故で瀕死の重傷を負う人がいます。
必ずしも満足な身体で生を受けたわけではない人がいます。
突然原因不明の病に倒れる人がいます。

それでも、運命(さだめ)というものがあるのか、簡単にはその生を終えることができません。
反対に、昨日まで元気だった人がピンピンコロリとあまりにあっけなくその生を終えてしまう人もいます。

私自身の入院は、出産の時くらいなのでそれほど大したことはありません。
しかし、日常の生活から非日常の「入院」という生活に変わった時、いままで当たり前のようにしていた一つ一つの行動が当たり前ではなくなるという事実を知ります。
数日寝たきりになると、立って歩くという当たり前すぎることができないのです。フワフワ浮いているような感覚となり、ちゃんと地面を踏みしめているんだろうか、という感覚におそわれるのです。
だからこそ、再び日常の生活に戻った時「丁寧な生き方をしなければ」という感覚になるのだと思います。

それでも、生きる

それでも生きる 今を生きる ということが大切なのだと思います。
今回、未体験のウィルスという敵と全世界の人間が闘い続けています。
その中で残された私たちは、生きるという感覚よりも生かされているという感覚に近いかもしれません。
このことは、今回改めて読んだ「生きる」といいう本を読んだ後にも強く感じました。

もとをただせば、この世に生を受けること自体が奇跡に近いことでありがたい(=有り難い)ことなので、この有り難い状況をただ受け入れるだけではなく受け止めて、後世に伝えていくというミッションをクリアするべく一日一日を大切に、丁寧にすごさなければならないと改めて感じました。

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