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レジ打ちのおばさんだけはイヤ。10年後の自分に恐怖を覚えた日
自己紹介(ラスト)
❇︎自己紹介はこちらまとめてあります。
自分にとって一番不向きだと思われる職種はおそらく…
スーパーのレジ打ち。
そもそも接客が苦手な気がするし、レジ打ちって剥き出しでしょ、全てが。仕事をしている姿を丸っとどこからでも、いつでも、360度全て見られてるじゃないですか。今日も見てきましたわたし。レジ打ってる人をじっと(笑
そんな、不躾にもじろじろと見てくる輩が毎日わんさかい
このままイラストを続ける不安。もっと感性を豊かにしたい
自己紹介(8)
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派遣社員としてDTPオペレーター※
副職としてイラストレーター。
そんなスタンスを暫く続けていた。けれどもイラストそのもの、それからイラストが使われる媒体、それらの幅をもっと広げたくなった。少し迷ったあげく、気になっていた塾へ通うことにした。
井筒啓之(いづつひろゆき)、
作田えつ子主宰
「イラストレーション青山塾」
ドローイング科。
イラストを掻き集め、出版社に売り込み。営業活動を始める。
自己紹介(7)
❇︎自己紹介はこちらにまとめてあります
カメラマンとなった従兄弟に強烈に刺激を受け、忘れかけていたいまの自分がやるべきことに真剣に目を向け始めた。
上京してからも実はアクションクラブに所属していた。膝のケガやメンタル面も復活、以前ほどではないが週末は度々、都内近郊のイベントに、ショーのスタッフとして参加。
周りのスーツアクターには憧れ続けたJACのメンバーも多く、スタントマンと
さよならJAC。諦めることの勇気を知れ。
自己紹介(5)
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スタントマンを夢見て名古屋から京都へ。
毎週土曜、新幹線で通い続けたジャパンアクションクラブ養成所(JAC)。
ここでは二年間のレッスンのあとオーディションがある。
これに合格したもののみが本メンバーとなれるのだ。
とはいえ真田広之や伊原剛志、志保美悦子に会える訳ではないけれど。
京都の養成所では生徒のレッスン時間が終わるとメンバーの
ジャパンアクションクラブに通っていた頃のお話。
自己紹介(4)
❇︎自己紹介はこちらにまとめてあります。
スタントマンを目指し、千葉真一主宰、ジャパンアクションクラブ養成所、京都校(JAC)に入部した。東京校もあったのだけど、京都には寮があり、いずれそこへ入ることも想定し、嵐山にある京都校へ。
毎週土曜日。名古屋から京都へ、朝一の新幹線で向かう。
JACのレッスンは体操、殺陣、ジャズダンス、演技。この4つで構成されていた。もうざっと30年も
ヒーローになった女子高生。スタントマンへの道。
自己紹介(3)
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接客が苦手だというのにお寿司屋さんでバイトをしていた。
ある日クラスの友達が「シマノにぴったりのバイトがある」そう言って持ってきてくれた一冊のバイト誌。これが、その後のわたしの運命を変えることになる。少しだけ。
「ヒーローアクションショースタッフ募集!!」
飛びついた。
スタントマンを夢見るわたしにとって運命の出会いだった。速攻で連
似顔絵を描くようになったきっかけ。
自己紹介(2)
「人の顔が独特でいい!」
小学5年生の図工の授業で描いた人物画を見て担任の中島先生はこう言った。正直その頃は言葉の意味がよくわからず、感じたままを描いていた。
中島先生はわたしの描いた人の顔が相当お気に召したのだろう。それからというものは遠足や修学旅行、運動会や卒業文集などでイラストが必要な時になるとそれらはだいたいわたしに回って来た。
当時はそれが結構面倒で、中島先生を軽く