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【しまね女子ブログ】引越しと改修 床を貼り壁を塗る

こんにちは。大田市五十猛町在住の西原貴美です。
前回の記事では、島根県に引っ越してくるまでの経緯を簡単に紹介させていただきました。今回は、実際の引越し、そして自宅の改修について書いてみたいと思います。
 
まず、なにはともあれ引越しです。しかも自宅と食堂と木工房を同時に。
12月になり、物件取得に関する手続きが一段落したところで、あれ?もしかして3拠点同時の引越しって、めちゃくちゃ大変なのでは...? という事実に気がつきました。いや、もしかしなくても大変に決まっているのですが、なるべく考えないようにしていたのです。

しかし引っ越しは既に決定事項。やるしかないのです。あと3ヶ月「も」あるし!
ということで、まずは荷物の移動をプロに頼んだ場合、一体どれくらいになるのか見積もりを取りました。その結果、ちょっと目を疑うような数字が出て来ました。当然です。普通に考えて、引越し×3ヵ所、しかもそのうち2ヵ所は食堂と木工房という、どう考えても一般家庭より荷物の多いであろう現場。
私が甘かった。3拠点ともなると、荷物をまとめるのも大変ならば運ぶのも大変。見積もりも高くなる。当たり前ですね。よし、自分たちで運ぼうか。
予算の関係上、自分たちで何とかするしかなくなりました。当時乗っていたスポーツワゴンと軽バンを駆使し、ちょっとタイヤが沈むくらいに荷物を積んで、毎週末のように島根に通う日々。合計10往復はしたでしょうか。それでも運びきれなかった荷物は、2tロングのレンタルトラックで、引越し直前にまとめて運搬。頼れる友人には片っ端から頼り、なんとか無事に引っ越すことができました。
この時期の写真は残念ながら全く残っていません。余裕がなかったのでしょう。数枚でも撮っておけば良かった..

入居日の部屋の様子。一見綺麗に見えるけれど、土埃がすごい。畳は場所によっては5cm程度沈み込む。こちらは店舗部分。改修後はトップ画像をご覧ください。

そして、すぐに新しい生活が始まります。まだ掃除すらしていない、玄関で靴を脱ぐのもちょっと躊躇うような状態の新居です。土と埃と泥と枯れ葉。あと何か動物の糞。でも、水と電気は契約しておいたし、お風呂場のガス給湯器だけは引っ越し直前に設置工事を完了しておいたので、とりあえずは生活できます。
ちなみに、お風呂は昔ながらの木造タイル貼り、ホーローの浴槽に薪で湯を沸かすスタイルです。毎日薪で沸かすのは大変なので、給湯器と併用しています。
 
引っ越し翌日から、早速、改修工事を始めました。

引越し翌日。荷物の整理もまだのうちから工房部分の改修作業。土台からやり直しです。

ちなみに、夫は木工家ですが専門はカトラリーやお皿などの小物類なので、大工仕事は埒外です。つまり、家の改修を全部自分でやりたい私にとっては、「木工機械は貸してくれるけれど口は出さない」というこの上なくありがたい存在なのです。
工房がないと夫も仕事にならないし、私も機械が使えないので改修作業が進まない、ということで、最初の3日ほどで工房部分の改修を敢行。
 
それと並行して、娘の小学校入学にまつわる事務手続き等も行いました。入学式まで一週間程度しかなかったので、ありとあらゆる物の名前書きに追われ、体操服や制服の準備にも走り回りました。もし、小学校入学のタイミングで引越しをお考えの方がいたら、せめて入学式1ヶ月前には引越しを終えていることを、強く、強くおすすめします。

工房の次に住居部分、さらに食堂部分と改修を進め、住居部分は約2ヶ月、食堂部分は半年ほどかけてなんとか目標まで到達。現在も日々手を入れつつ、今のところは快適に暮らしています。
 
具体的にどこを改修したのかというと、ほとんどが壁と床です。
半分腐っていた畳を剥がして土台部分を確認し、腐っているところは新しい材料に取り替え、ついでに床下に防湿シートと除湿材を敷き詰めて、新しく杉のフローリングを貼りました。家全体でいうと、面積にして約80平米、畳換算では約43畳。畳の撤去にも一苦労です。幸い、畳からフローリングへの貼り替えは慣れているので、この作業はそこまで苦ではありませんでした。

住居部分の床、改修前。畳はぐずぐず、土台はがたがた。
住居部分の床、改修後。杉の無垢フローリング。敷居を外して二部屋を一部屋に。
床の掃除(乾拭き)は娘の仕事。

次に、壁です。壁はほとんどが土壁で、場所によっては土壁の上から和紙や古新聞が貼られていたので、それを剥がしてアク止めの下地を塗り、その上から漆喰を塗っていきました。この時剥がした和紙には「天保十三年」の文字がありました。

天保十三年、と読める。その隣の文字は全く読めない。読みたい。

調べてみると、天保十三年は西暦1842年。今から182年前、南京条約締結の年です。その他には、何かの目録のようなものや、筆でびっしり漢字の練習や計算をした跡があるものなど。ちなみに、古新聞には明治二十一年と書いてあるものもありました。こちらは136年前。これがエモいというやつでしょうか。絶対違う。

「太鼓 行燈 提燈 煙草盆 煙管」これは読める。「大屋 鬼村 久利 銀山」この辺りの地名もなんとか読める。でも全部読みたい。

この時に剥がした和紙は全部まとめて保管してありますが、私の知識ではほぼ読めないので、誰か古い文字を読める方がいたら教えを請いたいところです。

家中の壁を塗るのに16平米分の漆喰のバケツを6個消費したので、単純計算で96平米、約60畳分の面積を塗ったことになります。おかげでかなり上達し、真っ平らに塗るのはもちろん、いい感じの鏝跡までつけられるようになりました。この技術、今後どこかで活かしたい。

玄関土間の壁、漆喰を塗る前。
玄関土間の壁、漆喰を塗った後。

最後にもう一つ、大きな仕事がありました。玄関土間の天井を抜いて梁を見えるようにしたのです。実はこの作業が一番大変で、丸二日かかりました。写真を見ていただければ少しでもその大変さが伝わるかと。

玄関土間、改修前。
落とした天井の破片。破壊です。
天井を落としたあと、木枠も全部取り払います。この作業が一番辛かった。
玄関土間、改修後。立派な梁!

この部分だけは夫にも全面的に作業を手伝ってもらい、おかげさまで立派な梁が見えるお気に入りの空間になりました。
 
自分たちが過ごす空間を自分たちの手で整えていくことは、私にとっては本当に楽しい作業で、その場所が思い描いた通りになった時の達成感は何ものにも代えられません。
まだまだ庭や畑の手入れなど、やることがいっぱいで日々の生活に追われていますが、これからも少しずつ手を入れていきたいと思っています。
もし島根県に移住して古民家を自分たちで改修したいとお考えの方がいたら、相談相手くらいにはなれるかもしれません。どうぞお気軽にお声がけください。
 
今回もお読みいただきありがとうございました!


▼過去の記事
《vol.1》江戸末期に建てられた古民家と出会う

◆◇◆━━━━━━◇ プロフィール ◇━━━━━━◆◇◆

【名前】西原貴美(にしはらたかみ)
【居住市町村】大田市五十猛町
【UターンorIターン】Iターン
【移住前の居住地(都道府県)】岡山県
【年代】40代
【お仕事】料理人 / フレル食堂店主
【好きなこと】犬、植物、本、ごはん、煎茶道、着物
【Love shimaneとしてひと言】
海と山との距離、町の大きさ、気候。その全てが、私にはちょうどよくて住みやすい。特別なことはないけれど、季節ごとの五十猛での日々の暮らしを綴ります。

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