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無門関・現代語訳

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無門関の原文を現代語に訳したものです。 具体的な考察分は入れてありません。
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2022年3月の記事一覧

無門関第十四則「南泉斬猫」現代語訳

公案現代語訳 本則  南泉和尚が、東西両堂の修行僧が子猫を巡って争っているところに出くわした。  南泉は、即座に子猫をとりあげ、言った。 「皆の者。何とか言い得ることができれば、この子猫を助けてやる。  言い得ることができなければ、斬る」  誰も、答えなかった。  南泉は、遂に子猫を斬った。  その晩、趙州が外から帰ってきた。  南泉は、趙州に、この出来事を話して聞かせた。  趙州は、話を聞き終わるなり、靴を脱いで頭の上に乗せ、出て行ってしまった。  南泉は言った。 「お前

無門関第十七則「国師三喚」現代語訳

公案現代語訳 本則  国師が三回従者を呼んだ。  従者が三回返事をした。  国師は言った。 「私がお前の期待に応えられていないのかと思っていたが、本当は、お前が私の期待に応えられていないのだな」 評唱  国師は三回呼び、その舌先が地に堕ちた。  従者は三回応え、和光が吐き出された。  国師は老いて淋しくなったか、牛の頭を押さえつけて草を食べさせようとしている。  従者はそれを引き受けようとはしなかったが、いかな美食も、飽食で腹の満たされた人には意味がない。  さて、言って

無門関第十六則「鐘声七條」現代語訳

公案現代語訳 本則  雲門は言った。 「世界はこのように広大だ。なぜ、鐘の音に、七條(外出用の袈裟)を被るんだ?」 評唱  およそ、参禅し、仏道を学ぶと、見える形や聞こえる音に囚われるなと教えられる。  たとえ、何かを聞いて悟りに至り、何かを見て心の曇りがとれたとしても、それは、ごく当たり前のことで、何が珍しいわけでもない。  ところが、意外にも、知らないのだ。  禅僧を自負するものが。  音の上に馬乗りになり、形の上に覆い被せ、ひとつひとつ明らかにし、一手一手妙手を指す

無門関第十五則「洞山三頓」現代語訳

公案現代語訳 本則  雲門の元に洞山が参禅した。  雲門が問うた。「どこから来た」  洞山は言った。「査渡です」  雲門は言った。「夏は、どこにいた」  洞山は言った。「湖南の報慈寺にいました」  雲門は言った。「いつ、そこを離れた」  洞山は言った。「八月二十五日です」  雲門は言った。 「お前には三頓の棒叩きを与えるところだが、勘弁してやる」  翌日、洞山は再び雲門のところに行き、問い訊ねた。 「昨日、三頓の棒叩きを与えるところだが、勘弁してやる、と言われました。しか

無門関第十三則「徳山托鉢」現代語訳

公案現代語訳 本則  徳山は、ある日、食器を持って、お堂から出た。  雪峰から問われた。 「老師、鐘も鳴らず太鼓も響いていないのに、食器を持ってどこに行くのですか」  徳山はすぐに部屋に戻っていった。  雪峰は巖頭に、この話をした。  巖頭は言った。 「いずれにしろ、徳山は、まだ末後の句を会しておられぬのだろう」  徳山はこれを聞き、侍者に巖頭を呼んで来させて、問うた。 「お前はこの老僧を否定するのか」  巖頭は細かにその真意を申し上げた。  徳山はそこで安心した。  翌日

無門関第十二則「巖喚主人」現代語訳

公案現代語訳 本則  瑞巖彦和尚は、毎日、自分を「主人」と呼びかけ、それに対して自分で答えていた。  つまり、こんな風に言っていた。 「眼や心を曇らすなよ。…はい」  別の日には、 「他人に騙されるな。…はいはい」 評唱  瑞巖先生は、自分で買い、自分で売って、多くの神の頭や鬼の顔を作っている。何故か。聻。  一人は呼ぶ者。一人は答える者。  一人は心の曇らぬ者。一人は騙されないようにする者。  そんなふうに認識するべきではない。  もしもこの和尚の真似をしたら、たちまち

無門関第十一則「州勘庵主」現代語訳

公案現代語訳 本則  趙州は、ある庵主の元を訪れて、問うた。 「居るか? 居るか?」  庵主は、握り拳を突き上げた。  趙州は言った。 「水が浅くて、舟を停められる処ではない」  そして立ち去った。  趙州は、また、ある庵主の元を訪れて、問うた。 「居るか? 居るか?」  庵主は、やはり、握り拳を突き上げた。  趙州は言った。 「生殺与奪、すべて意のままだ」  そして頭を下げた。 評唱  同じように握り拳を突き上げているのに、なぜ一方は肯定し、一方は否定するのか。  この

無門関第十則「清税孤貧」現代語訳

公案現代語訳 本則  曹山和尚に、僧が問うた。 「私は孤独で貧しい。師よ、どうか、私をお救いください」  曹山は言った。「清税闍梨」  清税は答えた。「はい」  曹山は言った。 「青原白家の酒を、三杯も飲んでいながら、まだ唇が乾いていると言うか」 評唱  清税は、どういうつもりで、こんなことを言ったのだろうか。  曹山は、その真意を見抜き、言われたことに一枚上手の返答をした。  とはいえ、もしもそうなら、清税闍梨が飲んだ酒は、どこにあるというのだろう? 頌  貧しい様は

無門関第九則「大通智勝」現代語訳

公案現代語訳 本則  興陽の清譲和尚に僧が問うた。 「大通智勝仏は、十劫という長い間、道場に座禅を続けるも、仏法は現れず、仏道を完成させることができないのは、どういうことなのでしょうか」  清譲は言った。 「その質問は、非常に核心を突いておる」  僧は言った。 「ずっと道場に座禅を続けていて、どうして仏道を完成させることができないのでしょう」  清譲は言った。 「彼が、仏にならないからだ」 評唱  釈迦や達磨を知ることはできても、釈迦や達磨を会得することはなかなかできるも

無門関第八則「奚仲造車」現代語訳

公案現代語訳 本則  月庵和尚に、ある僧が問うた。 「奚仲は、車を造ること実に100台に及びました。  その車の両輪を外し、車軸を取り去って、彼はどのようなことを明らかにしようとしたのでしょうか」 評唱  もしも、すぐに明らかにできるなら、その眼は流星のようであり、そのはたらきは稲妻のようであろう。 頌 「機」の輪が転がり転じる処は、達人でもやはり迷う。  四隅に上下、東西南北。 ※頌の原文  機輪転処 達者猶迷  四維上下 南北東西 注記  奚仲は、古代中国の王朝

無門関第七則「趙州洗鉢」現代語訳

公案現代語訳  趙州和尚に、ある僧が問うた。 「私は、この寺に新しく入ったばかりです。どうか教えてください」  趙州は言った。「粥はすすり終わったか。まだか」  僧は言った。「粥はすすり終わりました」  趙州は言った「使ったお椀を洗っておきなさい」  僧は思いを巡らし、そして、気づいた。 評唱  趙州は口を開いて胆を見せ、心肝を露わにした。  訊ねた僧は、このことの真の意味が解らなければ、釣り鐘を持ってきて甕にするだろう。 頌  はっきりと明らかであるが故に  かえって

無門関第一則「趙州狗子」現代語訳

公案現代語訳 本則  趙州和尚は、僧に訊かれた。 「犬にも仏性はあるのでしょうか。ないのでしょうか」  趙州は言った。「無」 評唱  禅を学ぶには、先人の関をくぐらねばならない。  悟りに至るには、心の働きを絶やし、空にしなければならない。  出来ねば先人の関をくぐることは出来ず、霊魂が草木に寄り付きつまらぬ精霊となるが如くだ。  では、先人の関とは、どのようなものであるのか。  ただ、「無」の一字。これこそが関である。  これを「禅宗無門の関」という。  この関をくぐる