無門関第八則「奚仲造車」現代語訳

公案現代語訳

本則
 月庵和尚に、ある僧が問うた。
「奚仲は、車を造ること実に100台に及びました。
 その車の両輪を外し、車軸を取り去って、彼はどのようなことを明らかにしようとしたのでしょうか」

評唱
 もしも、すぐに明らかにできるなら、その眼は流星のようであり、そのはたらきは稲妻のようであろう。


「機」の輪が転がり転じる処は、達人でもやはり迷う。
 四隅に上下、東西南北。

※頌の原文
 機輪転処 達者猶迷
 四維上下 南北東西


注記
 奚仲は、古代中国の王朝、夏の時代の人で、夏王朝の始祖である禹の臣下であったと言われています。
 中国で初めて、車を造った人だそうです。
 
 大昔の中国の車というのは、一本の軸の両端に車輪が一つずつ付いており、その車軸の上に、人や物を乗せるための車体がある、それを、数頭の馬にひかせて前方に進む、という構造の、いわゆる二輪の馬車です。
 古代中国を題材にした漫画などにはよく登場するので、目にする機会も少なくはないかと思います。

 この公案は、評唱と頌の原文が、非常に訳しづらい文章です。特に頌。
 公案の原文は漢文です。当然、返り点は打たれていません。
 返り点は、漢文を日本人が読むために独自に開発した技術です。
 さらに、中国語は、送り仮名を使いませんから、原文を読むときに、名詞か形容詞か動詞か、主語か述語か目的語か、を自分で判断する必要があります。
 実際、「機輪転処」の部分は、「機輪転ずる処」という読み下し文と、「輪転の処に機して」という読み下し文が存在するようです。

 そういうわけで、頌の原文を記しておきました。

 漢字には、一文字にいろんな意味があります。
「機」は「仕組み」「タイミング」「働き」「心」「要の点」などなど、「転」は「回る」「変化する」など。
 公案では、複数の意味が多層的に込められていても不思議はないので、原文をそのまま眺める方が、かえって意味が見えやすいかも知れないです。

 現代の日本人は流星を「願いを叶えてくれる吉兆」と認識しますが、古代の中国では、流星は「人の死を示す不吉なもの」とされていた時代がありました。
 例えば、諸葛孔明は流星が落ちた途端に亡くなり、司馬懿仲達も、その流星を見て孔明の死を知った、というエピソードがあるらしい。
 無門関が成立したのは南宋時代ですが、その当時でも、そのイメージは完全に消えてはいなかったのではないかという気もします。

 ところで、どうして「四維上下 南北東西」なんでしょうか。
 日本の禅の経典では、「東西南北上下四維」などと言われたりしているようですが、なぜ、熟語の順序が逆なんだろう。
 どちらが、本来、馴染みのある単語なのか、私には解らないので、もうそのまま載せました。
 四維というのは、北東、北西、南東、南西の、四隅のことを指します。それに加えて東西南北に上下が加わり、十方となるそうです。ざっくり「四方八方」くらいの感じですかね。

 南北東西という言い方は、古代中国ではメジャーだったのだろうか。
 もしもそうではないのに、敢えてその逆の順序にしているというのであれば、そこにも無門の意図はあるのかもしれません。

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