無門関第九則「大通智勝」現代語訳
公案現代語訳
本則
興陽の清譲和尚に僧が問うた。
「大通智勝仏は、十劫という長い間、道場に座禅を続けるも、仏法は現れず、仏道を完成させることができないのは、どういうことなのでしょうか」
清譲は言った。
「その質問は、非常に核心を突いておる」
僧は言った。
「ずっと道場に座禅を続けていて、どうして仏道を完成させることができないのでしょう」
清譲は言った。
「彼が、仏にならないからだ」
評唱
釈迦や達磨を知ることはできても、釈迦や達磨を会得することはなかなかできるものではない。
凡人が知れば聖人となり、聖人が会得すれば凡人となる。
頌
身体を極めるのと 安らかな心を極めるのは どう違う?
心がよく休まれば 身体も憂いなしだ
もし 身体も心も共に極まれば
神仙が この上爵位を得る必要もなかろう
注記
大通智勝仏というのは、如来の一人だそうです。
あまり詳しくは知りません。
劫というのは、非常に長い時間の単位です。
よく知られているのは、「巨大な岩の固まりを、100年に1度だけ天女が降りてきて、羽でさっと一撫でして帰って行く。それを繰り返して、岩がすり切れて無くなるまでの時間」とするものでしょうが、これは比喩だそうで、ちゃんとした定義はあるんだそうです。
ヒンドゥー教、ジャイナ教、仏教、それぞれ定義の仕方は違います。
ストレートに年数で定義してるのはヒンドゥー経で、Wikipediaによると、1劫は43億2000万年。
これに対して、仏教での定義はかなり解りにくい表現ですが、いずれにしても、気が遠くなるほどの年数であることは同じです。
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