無門関第十六則「鐘声七條」現代語訳

公案現代語訳

本則
 雲門は言った。
「世界はこのように広大だ。なぜ、鐘の音に、七條(外出用の袈裟)を被るんだ?」

評唱
 およそ、参禅し、仏道を学ぶと、見える形や聞こえる音に囚われるなと教えられる。
 たとえ、何かを聞いて悟りに至り、何かを見て心の曇りがとれたとしても、それは、ごく当たり前のことで、何が珍しいわけでもない。
 ところが、意外にも、知らないのだ。
 禅僧を自負するものが。
 音の上に馬乗りになり、形の上に覆い被せ、ひとつひとつ明らかにし、一手一手妙手を指すということを。
 とはいえ。
 ここで、言ってみろ。
 音が耳の方にやってくるのか。耳が音の方に向かっていくのか。
 たとえ、音響と静寂とをともに忘れても、このことをどのように語り理解するか。
 耳で聴こうとすれば、理解は難しかろう。
 眼で聞こうとするほうが、近づけるはずだ。


 会得すれば、全て繋がっている
 会得せざれば 千差万別
 会得せざれば 全て繋がっている
 会得すれば 千差万別

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