無門関第十二則「巖喚主人」現代語訳

公案現代語訳

本則
 瑞巖彦和尚は、毎日、自分を「主人」と呼びかけ、それに対して自分で答えていた。
 つまり、こんな風に言っていた。
「眼や心を曇らすなよ。…はい」
 別の日には、
「他人に騙されるな。…はいはい」

評唱
 瑞巖先生は、自分で買い、自分で売って、多くの神の頭や鬼の顔を作っている。何故か。聻。
 一人は呼ぶ者。一人は答える者。
 一人は心の曇らぬ者。一人は騙されないようにする者。
 そんなふうに認識するべきではない。
 もしもこの和尚の真似をしたら、たちまち野狐の境地におちるだろう。


 道を学ぶ人は真理を識らない
 とうに鬼神を識っているから
 永劫とも言える長い時間 生と死の根源にいたり
 痴人は本来の人を呼び覚ますだろう


注釈
 原文では、瑞巖彦和尚は自分を「主人公」と呼んだと書いてあります。
 しかし、文章の流れ上、これは、いわゆる、物語の主役という意味の、「主人公」という意味ではないだろうと思ったので、「主人」と訳しました。
 公というのは、目上の人に対する尊称だと思います。
 家康公とか、伯爵公とか、○○公という言い方、するでしょう。
 そういう感じで、主人公。
 ご主人様とか、旦那様とか、そういう感じなんじゃないでしょうか。

 評唱の原文の「聻」と言う字には、「物事を指す」という意味に加え、「人が死後になるという鬼が、死んだ後に、なるもの」という意味もあるのだそうです。

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