バスの中:過去と今とこことあそこと
アメリカ、ミネアポリスの大学に通い始めた頃はバス通学でした。
雪深く、極寒の冬が長く続く街でしたが、特に気にもせず毎日氷点下のバス停でバスを待ち、校舎まで・家まで5分ほどテクテク歩いていました。
車に乗るようになった今、思えばまぁよく文句も言わず鼻の中やらまつげやらを凍らせながらもバスに乗っていたなぁ、と感心しますが、バスは市民の皆さんの足であり凍った道を自分で運転するよりはずっと安全な交通手段だったと思います。
そんなバスの中で、一度だけ嫌な思いをしたことがありました。
ちょうど12月7日、学校から帰りのバスで隣になったおじさんに声をかけられた時です。
どっから来た?日本人か?
そうですよ、と答えるとちょっとしかめ顔で
今日はなんの日か知ってるか?
12月7日・・・全く記憶になかったので、知りませんという私に、今度は確実に怒っている顔で言われた言葉が
今日はお前らが俺の家族を殺した日だぞ、知らないのか。
大きい声だったので、周りの人にも聞こえ皆一様にびっくりした表情で私を見ます。
私といえば何のことやら訳がわからず、どういうことでしょうか?くらいしか聞き返せませんでした。
おじさんは興奮して今日はアメリカ人にとっては忘れられない、日本人に卑怯な方法で攻撃され、たくさんの死者が出て、その中にはおじさんの家族もいた、という事をつかみ掛からんばかりに話します。
20そこそこの私はそれがパールハーバーの事を話しているのは理解できても、おじさんに何と声をかければいいのか全く見当もつかず、ただ黙っているだけでした。
謝るべきなのか、言い返した方がいいのか、無視するか、立ち上がるか、それくらいしか選択肢もなく、本当に一世一代のピンチのような気持ちでした。
おじさんの日本人に対する怒りは私個人に向けられるのは理不尽にしろ、理解が出来ない訳ではなく、自分もアメリカに住んでいるならこの様な場面に遭遇するのは予測がついただろうにと悔しい思いもしていました。
お前らは卑怯で世界の嫌われ者だ、と指差すおじさんを見つめるばかりで何も言い返せずじっとしている私に、そばに立っていた若いお兄さんが手を差し出します。
こっちにおいで、おじさんは興奮しているから。
それに続いて、他の乗客がおじさんに声をかけます。あちこちから。
彼女がやった訳じゃないでしょう。
もう何十年前の話でしょう。
おじさんも家族も大変な目にあったね。
戦争は誰にも辛いよね。
アメリカもたくさん人を殺したよ。
彼女に言うのはかわいそうだよ。
今の平和は過去のヒーロー達に感謝しないと。
責めるような口調ではなく、諭すような共感するような、私もおじさんもかばうような言い方でした。
クリスマス近い冬の寒い日に、おじさんと私はバスで出会い、50年前の出来事でお互い嫌な思いをしました。差別された、とは思えず私は 外国に住むということはいろんな人たちの歴史と意見と真実と向き合わなければならないのだ、と学んだような気持ちでした。
そしてその次の年の12月、アメリカ人のボーイフレンドと一緒に私は広島でバスに乗ります。二人で原爆ドームや平和記念資料館を見て、しみじみと戦争について考え話し合った帰りのバスの中でボーイフレンドが涙ぐんでいるのを見ました。
鼻先が赤くなり目もシバシバさせています。
どうしたの?と聞くと小声で
やっぱり広島の人たちはアメリカを許していないんだね、と言います。
何のことやらわからず、きょとんとする私に
見て、こんなに混んでいるのに僕の隣には誰も座らない
確かに見回すと座れる場所は長い椅子の端っこの彼の隣しかなく、立ってる人もたくさんいます。
彼は多分生まれて初めて自分がマイノリティーになり、自分はよそ者だ、と思った日がこの日だったのでしょう。記念館を見てショックを受けていたので、ちょっと自分を責めて苦しかったのかもしれません。
誰も喋らないバスの中で、私は彼は勘違いしているな、と思っていました。
広島の皆さんは外国人が嫌いでそこに座りたくないのではなく、多分遠慮して・気後れして彼の隣に座らなかったのだと思います。
今はそんなことないと思いますが、昔はガイジンさんが珍しかったり、話しかけられたらどうしよう、と近寄らなかったりすることがありました。
長いウエーブの金髪で背が高くどこから見てもガイジンですから。
恥ずかしくて座らないんだと思うよ、と答える私を見て一体自分の隣に座ることの何が恥ずかしいのか、全く理解できない彼はまだ目をシバシバさせています。
と、乗ってきたおばさんが どっこいしょー と彼の隣にどっかりと座りました。
私たちが体験したバスでの小さな痛みは形は全く違うものでしたが、何となく似ているものでもありました。
過去と現在とこことあそこと、どこにいてもいつでも、自分たちはその全ての小さな一部であり、誰かの過去と現在とこことあそこの一部である。
私がミネアポリスのアップタウンでバスを降りた時は笑顔でした。
彼が広島駅でバスを降りた時も、笑顔でした。
シマフィー
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