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Hero's Journey(神話の法則)と生きる伝説The ALFEE①

ヒーローズジャーニー・神話の法則 (monomyth)というのはアメリカのジョセフ・キャンベル教授が1949年の著書 (The Hero with a Thousand Faces)で発表した、どの神話・伝説にも典型的な英雄像と彼が辿る流れに共通点があるという説です。宗教や郷土神話なども検証し、言語・文化の関係なしで、その流れは統一されたものだと言われています。
アメリカの高校・大学ではクリエイティブライティングや文学の授業の中では必ず一度は教わる法則で、現代はその流れをハリウッド映画やビジネスにあてはめた解釈がネット上にも多く出回っています。例えばハリーポッターや指輪物語、スターウォーズなどの話の流れも、これに沿っているという検証がされています。

日本語で探すと大抵が8段階か12段階の流れが出てくるのですが、キャンベル教授のオリジナルは17段階に分かれています。

今年デビュー47年目、ラジオにテレビにライブ・配信に勢いのあるThe ALFEEは、時にレジェンドバンドと呼ばれ音楽だけではなく、その愛されるキャラクターや人間性もメディアでよく話題になっています。
以前書いたアルフィーキッチン の記事はこちらへ

今回は、アメリカの高校教師シマリスが、キャンベル教授の神話の法則17段階にアルフィーの歴史は当てはまるのか?を検証していきます。めっちゃ長いので3回に分けます(笑)すみません。この記事をちょっと読んでアルフィーをあまり知らない方にも興味を持っていただけたらいいな、と淡い期待も抱いています。
*解説はアルフィーですが、自分の知っているヒーローもののお話を思い浮かべながら読んでみてください。アベンジャーズ、ドラえもん、桃太郎とかゴレンジャーでもいいです(昭和、笑)

では!

1. The Call to Adventure(冒険への召喚)
キャンベル教授によると、日常を抜け出して非日常の冒険へと誘われる出来事が起こることからヒーローズジャーニーは始まります。

アルフィーでは1972年ごろ、坂崎さんが桜井さんが高校時代に作ったコンフィデンスというグループに “知らぬ間に” 入る所から現在のThe ALFEEが始まります。物語では神や天に使命を授けられるところ、“なんとなく一緒にやる” のがアルフィーらしい始まりですが、出場したコンテストでお互いをうまいな〜と思ったとの話ですので運命的な出会いだったと思われます。互いに惹かれあった”召喚”でした。

2. Refusal of the Call(拒絶、辞退)
ヒーローは天からの使命にすぐには従わず一旦は自分は無理・やりたくないと拒絶の態度を見せます。

高校を卒業した3人が明治学院大学に進むと、それまではハードロックのバンドにいた高見沢さんが坂崎さんに声をかけられます。坂崎さんは高見沢さんの声とギターに魅了されて一緒にやろうよ、と誘うのですが、“学業に専念するために音楽はやめた” と一旦は振られます。高見沢少年は成績も良く、お父様のように教師になろうと思っていたそうです。*ちなみに高見沢さんは高校ではA段階でしたので明学のどこでも好きな学部に入れました(先生に勧められて英文学部に入学されました)。桜井さんはきちんと試験を受けて法学部に進まれています。坂崎さんは入試日を間違えてえらいことになりましたが明学に入学されました。

3. Supernatural Aid(神秘の後押し)
拒絶するヒーローの元に天使だったり動物だったりと神の化身のような何かが現れ、説得したり力を貸したり、メンター(師)や仲間となる人物の登場などで旅を始め、続ける道が見えてきます。

坂崎さんの誘いを一旦は断った高見沢さんですが、その後不思議な生物が通りの向こう側から、自分に向かってピョコピョコと近づいてくるのを見ます。ピグモンです。
正しくは坂崎さんがピグモンのモノマネで道路を渡ったのですが、この神秘的な生物の出現に後押しされ、さらに高校時代にコピーしていたロックバンドと違う、坂崎さんとのビートルズやサイモン&ガーファンクルのハーモニーが心地よく、そのまま一緒にコンテストに出場します。創設者の桜井さんは知らないままに事は進んでいきます。

4. Crossing the First Threshold(第一関門突破)
旅に出るとヒーローへの入り口を進み、もうこれから後戻りは出来なくなります。

美しい歌声のコンフィデンスはコンテストでその才能を見出され、1974年にプロとしてALFIEという名でのデビューが決まります。桜井さんは楽器を持たず、コンフィデンスでは美しい声のリードだったにもかからわず、見た目の美しい高見沢さんがボーカルに抜擢され、“夏しぐれ”という筒美京平氏・松本隆氏の楽曲でデビューします。
桜井さんにとっては自分の存在意義を否定されたような気持ちだったでしょうし、高見沢さんはギタリストとしての存在を無視され、ハンドマイクで歌えと言われます。思い通りにいかない始まりでしたが、アルフィーの旅は始まりました。もう後戻りは出来ず、今年47年目を迎えています。

5. The Belly of the Whale(危険区域を行く)
ヒーローは旅を始めてすぐにあらゆる困難や危険に出会います。

“浪漫派アルフィー”というコピーでフォークアイドルとしてデビューしたはいいのですが、全く売れず、ポケットの中には何十円しかないという日もあったそうです。高見沢さんのアパートの天井が台風時に落ちてきたり、お湯にお醤油を垂らして飲んだのもこのころでしょう。1975年には3枚目のシングルが発売数日前に発売中止となり、レコード会社との契約も無くなります。学園祭や有名歌手(研ナオコさんやムッシュかまやつさん)のバックバンドでの演奏はご飯がギャラだった、お腹いっぱい食べさせて貰った、との発言もありますが、そのステージでの経験は自分たちのライブへの指南と学びの場だったとも語っています。正に人間としてもミュージシャンとしても生きるか死ぬかの危険区域でしたが、周りのサポートと3人の団結で乗り切ります。

6. Road of Trials(英雄への試練)
ヒーローは真のヒーローになるためのあらゆる試練を迎え撃ちます。一つ経験を積むごと・敵を倒すごとにヒーローとしての自信やスキルを身につけます。

仕事もなく貧乏だったアルフィーはバックバンドを続けながらも自身のライブ活動を精力的に行います。70年代後半はまさに試練の時期で、坂崎さんのラジオや映画出演がありつつも、まだ世間に名前は認知されず、成功を模索するあまり桜井さんがロングヘアを角刈りにして会社の偉い人に怒られます。自分たちは何を武器に音楽界を渡るのかを懸命に探る日々でしたが、その間もライブ活動は精力的に行っています。現在まで休みなくライブを続けているのも、この試練の期間が3人を大きくした上積み(下積みでなく)だったからでしょう。この時期の経験はお3方が何度もラジオやインタビューで話されています。

7. Meeting with the Goddess(女神との出会い)
辛い試練の数々ののちに、美しい女神・女性との出会いがヒーローをより強くします。比喩的にこの女神は自分の中のもう一人(女性としての)自分としての解釈もあり、それを見出すことによって無条件の愛・完全の愛に目覚めます。

アコギ2本とベースでここまでやってきたアルフィーでしたが、いよいよ1979年に “ラブレター” で再デビューを果たします。初めての高見沢さんの作詞作曲シングルで、これからは殆ど全てが彼の手による楽曲になります。出会った女神とは高見沢さん自身の内面から湧き出た才能でした。そしてやりたいことをやるという信念をもとに、その後エレキギターを入れ、フォーク路線から少しずつ進化していきます。1980年のアルバム“讃集詩”からは全曲の作詞作曲・編曲も3人が行い、自分たちでアルフィーを作るという意気込みが感じられます。讃集詩は“さんじゅうし“と読み、音楽の場で3人一つになりお互いの才能を讃え厳しい業界を共に戦うという誓いのような印象も受けます。現在も坂崎さん・桜井さんの”うちの高見沢が書く曲”の自慢は頻繁に聞かれます。この時以来、女神はまだ3人と一緒に生きているのです。

☆今回はここまでです。まだメリーアンの大ヒットまで3年もあります笑。そこにたどり着くまでは長い長い旅でした。ただお3方は迷いながらも支えあいながら楽しく音楽をしていた、と言っています。いまだにイチャイチャが続く3人ですが、数ある試練に立ち向かうも仲違いせずこれまで続けてこれたのもお互いへのレスペクトと信頼、そして無条件の愛があったからではないでしょうか。

イチャイチャを聞いてみたい方はNHKラジオの終わらない夢を、ぜひその目でみたい方は配信番組 Come On ALFEE を見てください(あと3回あります)。

つづく

シマフィー

*The ALFEEの歴史は主に公式のHP、Wikipedia、Victory Garden様のHPを参考にしました(参考文献はまとめて⓷の記事に載せます)

お願い:このシリーズは私個人が資料をまとめながら歴史の流れをヒーローズジャーニーに当てはめたら、というものです。アルフィーさんのご活躍は文字になっていないものも沢山ありますし解釈は人により違うものとなるはずですので、違うんじゃないの?と思われる部分がありましたらすみません。


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