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フロントガラスに残されたメモ

授業を終えて車に戻ると、必ず小さなメモがフロントガラスに挟んであるようになった。

コロラド州の大学院で学生をしつつ、学部生を教えていた時のことだ。
自分の専用スペースはないので毎日空いているところに停めるのだが、大学の駐車場はとてつもなく大きく、昼に車を停めた自分でさえ時々見つけるのが困難だった。空港などでAの15区、などと覚えていないと永遠に車が見つからないのと同じような感じである。

ある日の帰宅時、そんなだだっ広い所に停められた私の車のフロントガラスに小さなメモが挟まれているのが遠くから見えた。挟まれるのは違反切符か新しくオープンするピザ屋とかバーとかの割引券くらいなので、それが切符ではありませんようにと祈るような思いでワイパーから取り上げた。

“天気が良いのでアイスクリームかコーヒーでも買って山の景色を楽しんだら?”と書いてあった。差出人の名前はなく、几帳面で綺麗な文字で書かれていた。

誰だろうか、と不思議だったけれど、これは私に宛てたものではないのかもしれないなとも思っていた。たくさん友達がいたわけではないし、ボーイフレンドとはちょっと前に別れて口をきくこともなかったから。

見当はつかないが、提案はなかなか良いものだと思ったのでコーヒーを買ってまだ雪が残るロッキー山脈を見渡せる丘まで車を走らせた。
誰か知らない人のメモだけれど、ちょっと嬉しい気持ちもした。

そしてそれ以降はほぼ毎日、私の車にはメモが挟まっていた。
広い駐車場のどこに停めても挟まっていて、相変わらず名前はなく、フォーチュンクッキーのような当たり障りのない“良いこと”が書いてあった。
夕方授業が終わり、車に向かうのがちょっと楽しみになるくらいは可愛いことが書いてあったけれど、本当にたまにちょっとだけ薄気味悪いメッセージもあった。

“黄色いスカート、可愛いね!似合ってる!”とか
“ちょっと疲れた表情だね。ゆっくり映画でも見る時間があるといいね”とか、明らかに相手は私が誰か知っており、しかも当日に私を見かけている。

時には “考えている顔が美しくて好き“ とか ”笑った声が聞こえて嬉しい“ とか好意を寄せているのを匂わせる様なものもあった。

そんなメモを読むと これはストーカーではないか、と急に不安になってくる。だけど、この人はメモを置くだけ、内容は脅すものでもなく、姿も見えず、車に危害も加えていない。
当時の私はこれがストーキングにあたるかどうか、よくわからなかった。
実際に同僚にそれとなくメモのことを話すと、あら誰かがあなたのことを想っているのね、ロマンチック〜 と言われただけで、警備員に話せとか正体を突きとめろとか、そんな事は言われなかった。まぁ昔のことなので色々と緩かったのであろう。

メモは3ヶ月近く、夏休みが始まるちょっと前まで続いた。

ある日私は午後の授業が休講になり、早い時間にオフィスを出た。
ゆっくりと駐車場を車の間をすり抜けながら自分の車に向かっていると、まさに誰かが私の車にメモを挟まんとしている所が遠くから見えた。
その人は私の授業スケジュールを知っていて、これまでは授業中に挟んでいたのだろう、見つからないように。

車を5台ほど挟んで私はその人を見つめた。顔が確認できるまで、大きなピックアップトラックの陰に隠れて見守っていた。

振り返った彼女は微笑んでいた。金髪の髪はふわふわと風に吹かれて、ちょっと季節の早いタンクトップからむき出しの肩をサラサラと撫でていた。
慌てる様子もなく、ごく自然に、スキップでもするような軽やかな足取りで音もなく立ち去った。

私はただただ驚いていた。
勝手にストーカーは男性だと思い込んでいた。接点がないから私に話しかけられないシャイな男性だろうと想像していた。

彼女は私が1年前に教えた元生徒だった。1学期しかない授業だったのでそれっきり顔をあわせることもなく、もし会っていたとしてもHey, how are you doing? くらいの言葉しかかけなかっただろう。

にこやかに去る彼女と対照的に私はドキドキして震えていた。
どうしたらいいのか・・・彼女に何か言うべきか、誰かに相談すべきか、黙っているべきか、全くわからなかった。
相手は若い女の子で、しかも同じ大学の生徒であり、自分が教えたことのある真面目な生徒で、自分の立場上友達になるわけにもいかず、色々と気まずい。

一晩考えて、次の日私は車を停めた時にメモを置いた。
今考えると微妙な行動だったかもしれないが、正直に伝えるのが最良だと信じての判断だった。

“ソフィー、今まで素敵なメモをありがとう。どれもありがたく読んでいましたがお互いにとってこれからのコミュニケーションは顔を合わせての方がいいと思います。何か伝えたいことや質問があれば直接オフィスに来てください。シマ“

きつい口調ではなかったし冷たい印象もない言い回しだったけれど、私が彼女に好意を持たないことはわかるような文章だった。

その日車に向かうのが憂鬱だった。いやがらせでガラスが割れているかもしれないし、ソフィーが待っているかもしれない。

トボトボと夕暮れの駐車場に向かうと、フロントガラスにメモが見えた。私が置いていたものではない。

これまでしていたように手にとって小さく折られた紙を開くと、

“もうすぐ期末試験で忙しくなりますね。笑顔を忘れずに!”と書いてあり、違う色のボールペンで ソフィー と署名があった。

彼女は私のメモを見て何を思い、自分の名前を書き足したのだろうか。
それを考えるとちょっと胸が痛み、同時にいつも通りのメモにホッとした。

自分が振られたわけではないのに、悲しい気持ちで遠回りをし、アイスクリームを買って、ロッキー山脈を眺めながらちょっとだけ泣いた。

次の日にメモはもう挟まってなかった。
ソフィーの姿も、見ることはなかった。

シマフィー

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