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成功者の感謝祭


今日はアメリカの感謝祭。
ハロウイーンがすぎ、この季節が近づくと大学・大学院時代のホリデーシーズンをちょっとしょっぱい気持ちで思い出します。毎年、ここからお正月が終わるまでが一番辛い時期だったなぁ、と胸がキュッとなります。

私がアメリカに留学していたのは丁度90年代丸々で、その間に七面鳥を焼いてみたのはたったの一度きりでした。まだ来て間もない冬、感謝祭でも帰る家のない留学生の友人とその友達12、3人を自宅アパートに招いて色々な料理を振る舞ったのですが、残念ながら彼らが帰った後になくなっていたものが多々あったのです。香水、アクセサリー、コート、帽子、靴、など、彼らが去った後に一人で部屋を片付けながら友達だと思っていたあの中の、一体誰が盗んだのだろう、と悲しくなり、それ以来本当に気心知れた友人しか家に招けなくなってしまいました。

感謝祭は11月の最終木曜日ですが、その週の火曜・水曜から休みになる学校もあり、遠くから来ている学生達は長い週末を利用して実家に帰っていきます。
地元の学生は遠方から帰省する親戚もおり、家の手伝いやらで忙しくなります。
クリスマスプレゼントを準備するのもこの休み中、カードも書かなければならない、料理も手伝わないといけない、と皆さんワクワクの忙しさなのです。

そんな中私は不安で憂鬱でした。
またこの年の感謝祭も誘ってくれる友人はおらず何も予定はなく、特別な料理も作らないし、誰にも会わないまま日曜日まで過ごす、例年通りのホリデーです。
クラスメートは “感謝祭どうするの?”と聞いてくれるけど、一人で過ごすよ、とは恥ずかしくて言えず、またそんなことを言ってしまったら彼らが私をホリデーディナーに誘わなければならない義務に襲われるかもしれない、と杞憂する私でした。

せっかくの長い休みだから寝て過ごしたい
感謝祭は日本の祝日ではないから特に何もしない
溜まっている論文を終わらせたい

いつもそんな返事でしたからクラスメートも、“そう”としか言えなかったことでしょう。

実際何をしていたかはほとんど思い出せないので、いつも通り犬と散歩に出て、ドライブしたりテレビを見たりしていたのだと思います。普段通りのご飯を食べて普段通りに起きて、寝て、それでも普段よりはずっと寂しく感じていたはずです。

ホームレスの人ってこんな気持ちかな、と失礼ながら思っていました。それほど自分には帰る家がなく、ケアしてくれる家族がなく、“成功者”のように浮かれて過ごせない、そんなホリデーシーズンが悲しすぎたのだと思います。

今覚えばそんなに卑屈にならず、“感謝祭一人だから寂しい”と言えばよかったな、と後悔していますがまぁとにかく他人に弱みを見せられない大バカだったので、一人でも仕方ありませんでした。
ボーイフレンドの実家に呼ばれることも何度かありましたが、その時でさえちょっと疎外感を感じて素直に楽しめないひねくれ者でしたから、もう今思えば一人のホリデーが己を知るための試練だったのでしょうね。

ここ何年かの感謝祭は嬉しいことに二人です。
今日のご飯は普段通りではなく七面鳥を焼きパンプキンパイを作るのに朝から二人で忙しくしています。
若い頃のように感謝祭とクリスマスを誰かと楽しく過ごすのが“成功者”だとは決して思っていませんが、私の人生はこれで成功だったな、とこれまでに経験した色々な出来事や感情を振り返りながらちょっと笑顔になりました。

”成功者”とは私のような人間を呼ぶ言葉ではないとはわかっています。それでも自分なりに過去を振り返れば今年は成功者の感謝祭。自分一人では“成功”できなかったのもわかっています。出会った全ての人たち、過ごした時代の流れ、迫られた決断や別れ、幸運や涙、失敗とリスク、嬉しい顔、愛の言葉・・・・そんな大きい・小さい人生のカケラが今日の自分を作ってくれています。

カケラが全部上手いこと組み合わさってくれてよかった。

今の私にふさわしい感謝祭になりました。ありがとう、ありがとう、ありがとう。

シマフィー

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