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勉強は必要?数学を切り捨てた自分の例

昨日書いた”勉強はなぜ必要なの?大人になった私の答え”      学んだことは何であれ全く無駄ではなく、自分の生活のあちこちに繋がっているという話の続きです。

数学が嫌いで適当にギリギリでパスすればいいや、と文系に進んだことを言い訳にきちんと数学を学ばなかった自分。
“学んだ全ては繋がっている”というのを実感したことは幾度もあったが、学ばなかったことを悔やんだこともあり、それが新たに学ぶ・学び直すという機会にも繋がった。

その一例をここに(*アメリカの高校で歴史を教えています)。

我が校への日本からの留学生は少ない。毎年一人来ればいい方で、大体が高校全体で2−3人ほどしかいない。
そんな日本人の生徒のほとんどが極端に足りない英語力でやってくる。ご両親も本人も留学にあたり英会話教室に通ったり家庭教師をつけたりと準備はしてくるし、むしろ英語が得意な子供がアメリカに来るのだが、日常会話は出来るとしても授業に必要なアカデミックイングリッシュは総じて小学校2−3年生程度だ。語彙力、表現力、文章力、読解力、思考力、いずれも現地の学年に必要なスキルは大幅に劣る(英語での話です。日本語では学年以上のスキルを見せる子もたくさんいます)。

ESL(もしくはESOL、ENL、ELL、EALと呼ばれる英語を身につけるためのコース)で2−3年頑張り、先生方にサポートされ、本人も必死で勉強し、高校を卒業するまではスラスラとは行かずとも小説を読み、論文を書き、発表をするまでにはなってくれる。そこまでたどり着くまでは彼らにとってはどの科目も英語の授業だ。歴史も、体育も、美術も、それを学ぶためにそれ専門の英語を理解せねばならない。倍以上の時間と努力、そして外からのサポートが必要だ。

4年前の1学期の中頃に数学の先生に“助けて欲しい”と言われ、私は新入生のヒロキ君の Geometry(幾何)のクラスを見学した。
定理やら公理がたくさん出てきて私にはちんぷんかんぷんだった。
先生の説明はわかるのに内容はわからず心の中で焦った。これでは助けられない。
かわいそうに彼は日本の学校でも数学が不得意でさらには英語力も一番下のESLだった。数字や計算だけの授業なら大丈夫だっただろうけれど、幾何のクラスはたくさん覚えなければいけない単語があり、書いて説明せねばいけない問題も多かった。

数学の先生は一生懸命に簡単な説明をするが彼女にとっては“簡単な単語”も留学生にとっては新語だし、簡単かそうでないかはネイティブスピーカーには判断がつけにくい。
そもそもヒロキ君にとっては幾何という数学自体が新しい学びであり、それをどんなに簡素な英語に直したところで理解は深まらなかった。

彼を助けるためには自分が幾何を一緒にやるしかない。そう思い、それから3学期が終わるまでずっとヒロキ君と週2回ESLの時間に数学をやった。
私もちんぷんかんぷんなのでまず自分の予習から始めた。
日本の参考書や教科書、ビデオなどで定理や公理を学び、それを英語と日本語でヒロキ君に教える。誰かに効率よく教えるためには何時間も掛けてビデオ講義を見たり教科書を読む必要があったが、それは自分の数学の知識があまりにも乏しかったのが原因だった。よく目にする単語は英語と日本語の対訳表を作り、数学の授業に顔を出し、テストを一緒に受けた。

そんなことをやっていた1年間、私は30年前に数学を“必要ない”と切り捨てたことを悔やんでいた。いらないと思っていたけれどやっぱり必要だった。
ヒロキ君は私にそれを確認させるためにやってきた。
ヒロキ君のおかげで私は再び数学を学ぶ・理解しようと努力する、という機会を得た。

教師だからというわけではなく、大人は誰しもそんな機会が来る。
あぁ、やっとけばよかった
あの時諦めなければよかった
ちゃんと読んどけばよかった
時間が無くて出来なかった

そんな大人にセカンドチャンスは必ずやってくる。
私にとっては職業柄、それは学校で学ぶ色々だった。数学や化学や音楽史や日本語の文法、かつて無視して蔑ろにしていたあれやこれやが形を変えて目の前に現れ、その度に“ちゃんと勉強すればよかった“と悔やみ、心新たに取り掛かる。

なぜ勉強しないといけないの?

今の時代はインターネットですぐに“正解”が見つかり何も覚えなくても、読まなくても、学ばなくても、努力しなくてもいいような気がする。そんな錯覚に15歳は陥る。高校を卒業しなくても起業して成功できる、大金持ちになれる、有名になれる、それが15歳なりの幸せの形だろうから30年後の小さな喜びを例に出してもつまらないと思われるかもしれない。

でもそのうち幸せとはお金や名声や肩書きではないとわかる時はくる。毎日の些細な楽しみや小さな笑いが素晴らしいと実感できる時はくる。

私は9年生のヒロキ君と数学を必死で勉強したことがとても楽しかった。
ヒロキ君は無事に期末試験に合格し、次のレベルの数学とESLに上がれたのが自信になった。
数学の先生は留学生用に簡単な英語で説明が出来るようになり、彼らへの配慮や理解が増え、教師として成長した。
私たち3人は共に戦った仲間のような達成感と大きな笑顔で3学期を終えた。

勉強するとそれ以上のそれ以外の何かを得られる。それは勉強している今かもしれないしもっと先の未来かもしれない、直接かもしれないし間接的かもしれない。

勉強するのは幸せを見つけ、幸せを続けるため。全ては繋がっている。

私はまだ数学が不得意だが、不必要だとはもう思っていない。

シマフィー

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