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舛添要一「都知事失格」レビュー

著者の舛添要一さんは、きっといい人。

20年くらい前、舛添さんがテレビに出演しているのを見た記憶があります。その後、私はあまりテレビを見なくなり、気づいたら国会議員になり、都知事になり、そして辞任されていました。

本書を読むと、舛添さんが本当に真面目で、優秀で、都民のためを思って行動してきたことが伝わってきます。その主張は理路整然としていて、筋が通っており、なるほどと納得できる内容ばかりです。

それなのになぜ、舛添さんは都知事を辞めざるを得なかったのでしょうか?マスコミが悪い、国民が愚か、反対勢力が嫌がらせをしたなどなど、理由は様々に挙げられます。それらの理由はその通りと思うのですが、本書を読んでいて少々気になったのが、舛添さんの主張がどことなく言い訳じみて聞こえることです。

もちろん、それは相手からの批判や非難に対する舛添さんの正当な反論なのですが、本書のサブタイトルどおり、どことなく「敗者の強弁」と聞こえてしまうのです。

政治の世界は、ある意味で結果が全て。であるとすれば、舛添さんは敗者。敗者が何を主張したところで、強弁にしか聞こえない、言い訳にしか聞こえないというのは、やむを得ないのかもしれません。

しかし、私が感じる違和感は、それだけが理由ではないように思えるのです。それが、冒頭に書いた「舛添さんは、きっといい人」ということです。

おそらく、相手の感情がわからないサイコパスであれば、相手の主張など何とも思わず、真っ向からはねつけます。自分が正しいと信じて疑わず、相手を全力で全否定する。でも、普通の人やいい人には、それができません。相手の言うことにも少しは理屈があるよなとか、自分も少しは悪かったよな、と考えてしまいます。

舛添さんは頭の良い人、かつ、いい人なので、自分の主張は筋が通っていることをわかりつつ、それが100%正しいとは言い切らない。世の中に絶対ということは存在しないことをよくわかっている理知的な方だから、「石原も、猪瀬も、小池もバカ。マスコミと国民は、大バカ」なんてことは、口が裂けても言えないのです。

舛添さんは、不当な利益供与を受けているように受け取られたこともあったかもしれませんが、私腹をブクブク肥やしてやろうなどという考えはみじんもない方でしょう、きっと。そのような真面目で優秀な人材にこそ、国民は政治を託すべきなのでしょうが、現実はなかなかそうはいきません。

時として、私たちはサイコパスをリーダーとして求めます。なぜかというと、真面目で優秀なリーダーでは危機を克服できないケースがあるから。危機的な状況では、サイコパスの方が閉塞感を打開できるケースがしばしばあるのです。

サイコパスとは、相手の気持ちがわからず、自分の目的を達成するためには他人を踏み台にすることを躊躇しない人。目的のためには手段を選ばない人、と言い換えてもいいでしょう。

サイコパスは目的至上主義なので、四の五の言わず、とにかくやるべきことはやる。結果は出す。だから、世の中の優秀な人やリーダーと言われる人の中には、けっこうな割合でサイコパスがいるとも言われます。トランプ前大統領はおそらくそうですし、小池都知事もそのような印象を受けます。

舛添さんはサイコパスではなかった。いい人だった。だからこそ都知事に選ばれ、だからこそ追われたのかもしれません。

現在72歳。個人的には、もうひと暴れしてくれることを期待しています。


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