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カレンダーを捨てても、これからの人生に困ることはない。

絶賛断捨離の中のわたしは、押入れにたまっていたカレンダーをごっそり処分した。

父母の家を出て自分が主の部屋で暮らすようになってから、約30センチ四方の壁掛けカレンダーに予定を書き込んで使っている。

一年の初め、年度の初め、そして各月末。
それぞれのタイミングでわかっている予定を確認して書き込む。
わたしにしかわからない暗号のような書きっぷり。
それでも、どの週がどれくらい忙しく、用事のない日はいつなのか、一ヶ月間の予定がひと目でわかる。
一枚めくれば、翌月のことも把握できる。

新たな年のものに差し変えると、一年を共に過ごしたカレンダーを押入れにしまう。
いつの日か、のんびりお茶でも飲みながら過去のカレンダーをめくり、この年はこんなことがあったんだっけ、とゆったり思い返すつもりでいた。


───── しかしながら。

断捨離関係の本や記事に書かれているのをご存知の方もいらっしゃることでしょう。

『 いつかやる 』
『 時間ができた時にやる 』
そのほとんどは、実現しない。
いつやるのかわからないのに物をとっておくのは無駄である、さっさと処分するべきだ、と。


昨年に比べたら、飛躍的に時間はできた。
のんびり、でもないけどお茶を飲みながらしていることは、文字を打つかカメラをいじるか録画番組を見ているか。

今後もカレンダーを見返す時間なんて、きっと持たない。

そんなわけで、たまたま押入れを開けて目に入った約二十年分のカレンダーを捨てることに決めた。



…………そうは言っても、片付けの時ほど、見つけたものをちょっとは、いや、本当はじっくりと見てしまう。

カレンダーをめくってみると、あんな時もこんな時もあったよねと、いろんな出来事とその時の思いが脳裏によみがえる。

そうやってあれこれ思い返しているうちに、『 ………本当に捨ててしまっていいのか? 』と疑問が浮かんでしまった。

このカレンダーを見たから、記憶の引出しが開いて思いだしたことがある。

誰だって、生きている間に起こったすべてのことを記憶してはいない。
無量大数の出来事と抱いた感情の中から、記憶の引出しにしまわれたものがある。
日頃からそれを全部取り出して思い返すわけじゃない。
何かきっかけがあるから思いだせるのだ。

実際、あらためてカレンダーを眺めていたら、この時良くしてくれたこんな人達がいたから自分はやってこれた、もう少し余裕ができたら恩返しをしたい、という美しい気持ちが生まれたりした。

記憶に残っていることは、思いださなければ覚えている意味がない。
ひょっとしたら、その記憶が無意識レベルで今の自分の感性や行動を決めているかもしれないけれど、思いだしてあらてめて認識してみて、今の自分に影響を与えることもある。
そう考えたら、せっかく引出しにしまってある記憶を呼び覚ます道具を捨ててしまうのが、どこか怖くなったのだ。


──── いいのか?本当に捨てて。
たかが壁掛けカレンダー約20年分なんて、捨てたところで押入れの中が劇的に変わるわけでなし。
のんびりお茶を飲まずとも、別の用事で押入れを開けたタイミングで、ふと思い立ってカレンダーをめくってみるだけでも、脳裏に焼き付いている証しは今後もある程度生き続けるかもしれないのだ。


───── いやいや、そうは言っても。
カレンダーを捨てたからといって、今までの人生まで捨てるわけじゃない。
例えば写真とか、別に保管してあるスケジュール帳とか、他にも記憶をたどれる物はある。見ない可能性が高いカレンダーまでとっておく必要なんてないはずだ。


…………… と、捨ててもよい理由を並べてみても、このカレンダーだからこそ思いだせるものもあるかもしれない、と未開封の記憶への未練はなかなか断ち切れない。



その約20分後、わたしはマンションのダストルームに紐で束ねられたカレンダーを置きに行った。


捨ててみても、どうってことはなかった。

断捨離って、こういうことだ、きっと。
捨ててしまって本気で困るものは、ごくわずか。



『 いや、だから。
そうやって、ああでもない、こうでもないと理由をつけて取っておこうとするから断捨離が進まないんだろ?
今までだって、押入れを開けてカレンダーが視界に入っても、また今度ゆっくり見ようと目を逸らしていたくせに。
だいたい、スケジュール帳は保管してあるんだからそれでもう充分だろう、実はカレンダーよりスケジュール帳の方が詳しく書いてあるんだし、そのうえカレンダーもとっておくって馬鹿なんじゃない? 』

………… と、頭の中で男前(?)な自分がばっさりとカタを付けてくれた。

カレンダーを見ることで、あらためて何かを得たり、考えがあらたまることもあるかもしれない。

ただ、『 かもしれない 』レベル。
見るかもしれない、そして何かに気づくかもしれない。
結局見ないかもしれない、見ても何も変わらないかもしれない。

そんな『 かもしれない 』ことにとらわれるより、少しでも物を捨てて、ただでさえ狭い収納スペースを整えた方が、確実に快適に過ごせてストレスも減る。間違いなく気分は良くなる。

思いだせることが減ったとしても、新しく幸せを作り出す方が有意義に決まっている。
カレンダーを捨てたって、思いだせない出来事があったって、そんなものより今の自分を幸せにすることに重きを置かなきゃだめなのだから。




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