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【小説】同じ空の保田(やすだ)さん~regret~ 38

 人は生まれつき善なのか、悪なのか、と論じられることがある。

 生まれたばかりの幼い子供を見れば、その結論は前者であると一目瞭然に思える。
 その一方で、育つにつれて周囲からの多種多様な刺激で芽生えてしまった悪魔の種をもともと隠し持っているのだと思えば、後者かもしれない。

 いずれであるのか、わからない。

 ただ、少なくとも、出来る限り善を保てるように導きながら育ててゆくのが、親としての責務じゃないだろうか。





 弁護士報酬を、事実上お金じゃない方法で支払え、と目の前のぜんちゃんが言っている。

 ………え、なに?何、それ?
 ………まさか、身体でも差し出せ……なんて、いくら何でもそんな下世話な提案をしてくるわけないよね?しかも、10も年上のわたしに向かって。
 むしろ、わたしの身体でまかなえるなんて、その発想の方が図々しくて彼に失礼な気がする。

 ………それなら、まさか、高校生の瑞季みずきの方?
 ……なんて、港区の高校に通っているわりに、都心の華やかな女子高生という言葉を使うには微妙すぎて芋っぽい、そんなあの子をそういう眼でみてるようにも思えない。モデルみたいな美少女ならともかく。
 ……いやいや、それもダメだろう。あの子の見た目がよければアリっていう問題じゃない。

 ………なんて、考えすぎよね。
 きっと、何か、……例えば家を掃除してくれとか、家政婦、的な?そういう労働で支払え、とか……?


 ────── と、あれこれ考えが浮かび、変に身構えてしまって何も言えない。

 そんなわたしを真顔でじっと見つめていた善ちゃんの口許が、ふっとゆるむ。
 そして、下を向いて口を右手で押さえなから、我慢できなくなったようにククッ…と笑い声を漏らす。
 
 わたしの何がそんなに可笑しいのか、とそれはそれで困惑していると、笑いがおさまった彼が顔をあげる。

「 ………そんなにビビって、真面目な顔して固まらなくても。まぁ、ごめん、俺の言い方が悪かった 」

 脅かされるような事を言われたり、笑われたり、謝られたり。
 わたしは、どんな態度でいればよいのか図りかねて、はぁ…、と小声で返事を返した。

 笑いが落ち着いた彼が、再びわたしを直視する。さっき、わたしの身体に緊張みたいなものが走った時とは全然違う、和やか表情。

「 ………金なんて、特に欲しくはないです。本当に。
その代わり………これからは、俺の下の名前で呼んでもらえませんか?」

「 ………名前、ですか?」

「 俺、親しくしてる人達からは、たいてい下の名前で呼ばれてるんです。
だから、名字で呼ばれるのが何だか堅苦しくて。
仕事の時は仕方ないとして、仕事以外では息苦しいっていうか。
子供の時から、親父も母親も、善、って呼び捨てだったし、友達とかも、男女関係なく善哉ぜんやとか善とか呼んでくれて。
司研、あ、つまり司法研修所の同期も、プライベートではほとんど名前呼びなんで 」

「 ……はぁ……そういうことでしたら……
じゃあ、善哉さん、て呼べばいいでしょうか?」

「 ……俺より年上の人からさん付けってのも、ちょっと、まだ固いかな…… 」

「 ……呼び捨ては……男の人を呼び捨てにするのは、わたしはちょっと苦手なので…… 」

「 何なら、別にあだ名とかでもいいですよ? 」

「 あだ名、ですか………… 」

 最近は瑞季が浮かれて、彼を『 カメキチ 』呼びしているのを思い出す。 
 しかし、それはいくらなんでも……突然カメキチでは……。

「 ………じゃあ、善哉、…くん、…とか? 」

「 ええ、ま、それでもいいです 」

「 ……あとは……善ちゃん、とか? 」

 彼の顔が、ぱっと晴れやかに変わり、

「 あ、それ!なんか、それ、いいです!
あんまりそう呼ばれたことない気がするし、ちょっと新鮮かも。
じゃあ、それで決まりってことで 」

 と、無邪気に喜ぶ。

「 ……本当にそれでいいんですか?わたしの方が10近くも年上でしょうから、ちゃん付けでもいいのかな、って思いつきなんですけど…… 」

「10?
歳なら、二つしか変わりませんけど?
俺、43ですよ 」

 お腹の底から本気で驚いた。

「 えっっ?43、って?
だって、寺崎さん、もし歳がいってたとしても37とか38くらいじゃないんですか?
全然若く見えるじゃないですか、どう見ても四十過ぎの方には…… 」

「 ハハ、よくそんなふうに言われます。
独身で気ままに生きてるから、歳より若く見えるんですかね。………こずえさんだって、初めて会った時は俺と同じか、少し年下の人かなって思ってました 」

 突然下の名前を呼ばれて、45にもなるのに変にドキっとしてしまった。
 わたしの稚拙な反応を見抜いたのか、善ちゃんが確認を問いかける。

「 ………俺も、下の名前で呼んでいいですよね?梢さんのこと 」

「 ………はい 」

「 あーー、よかった!
それじゃ、そういうことで、これからもよろしくお願いします 」

「 ………あの……他には? 」

「 はい? 」

「 その、報酬の代わりって……… 」

「 だから、今言った、これでいいですよ 」

「 名前で呼ぶことが、ですか? 」

「 まあ、正直言うと、……これはきっかけというか。
もっと、親しみのある関係っていうか、
……きっかけは何であれ、こうしてお二人と知り合ったのも何かの縁だろうし、これからも、……いきなり、家族、みたいな関係っていうんじゃ近すぎると思うけど、たまたま東京に住んでて付き合いのある親戚くらいな感じで、これからもたまに飯とか付き合ってくれたら。
あ、いつも二人きりでってことじゃなくて、もちろん瑞季も一緒に。
そんな感じで、これからもお二人とご縁が続けばいいなっていうのが、俺の本当の希望です。
付け加えるなら……ですます調、で話すのも、できる限りやめてほしいかな。全然タメ口でいいんで。
手続がどうの、って話ばかりしてると、どうしても、何て言うか、俺もつい仕事スイッチみたいもんが入っちゃって多少丁寧に喋っちゃうんですけどね。職業病ですかね?
まあ、話し方はどっちでもいいですよ、話しやすい方で喋ってもらえれば 」

 屈託のない笑顔で一気に饒舌にあれこれと語る彼を、ちょっと呆気に取られながら見つめていた。
 43にもなって、二歳ばかり年上の女から『 ちゃん付け 』なんて、そんなに嬉しいものだろうか?
 

「 ……ああ、瑞季、って呼び捨ててもいいですかね?瑞季のこと。
もう、年齢的に娘くらいなもんだし 」

「 たぶん、いいと思いますけど……本人に一応聞かないと 」

「 彼女が嫌なら、もちろんやめておきます。
俺の事は、好きに呼んでいいって伝えてもらっていいですか?本当に何でもいいんで 」

「 ………本当に、ほんとぉ~に、何でもいいの?」

 カメキチでもいいのか?と喉元まで出かかる。

「 全然、何でも。友達くらいの感覚で。ま、瑞季からしたらこんなオッサンじゃ友達でも何でもないか 」

 自虐しながらも、また楽しそうに笑う彼。

 彼が、わたしと瑞季と親しい関係でありたいと思ってくれるのは素直に嬉しかった。
 ──── だとしても、わざわざ、法律的に今後何をしなければならないかと積極的に親身に関わってくれることが、どうしても解せない。
 弁護士という職業だからといっても、ここまで親切にしてくれるものだろうか。
 普通なら、困ったことがあったら相談にのりますよ、名刺を渡されて終わっても不思議じゃない。
 もちろん、わたしや瑞季の財産目当て、ということでもなさそうだ。そもそも、狙われるような大金持ちなんかじゃない。

 わたしは冷めきったカフェオレを飲み干し、思い切って尋ねる。

「 あの……どうして、そこまでそんなにわたし達に良くしてくれるんですか?
お仕事柄、というだけという気もしなくて。
………以前の職場で、わたしは法務と関わったことはないんですけど、同期とか同僚の法務部の人達がよく言ってました。
いえ、弁護士さんを軽蔑するのではないんですけど、ピンキリ、と言いますか……人によっては、顧問弁護士なのに自分のことしか考えてないとか、会社から要望しないと積極的に動いてくれたり守ろうとしてくれたりしない、というか 」

 善ちゃんは、わたしの顔から視線を外して、少しの間、腕組みをしたまま黙った。
 それから、何かを探してゆっくり拾い上げてゆくように、話を紡ぎ出す。

「 …………親父の教え、かな。
俺が子供の頃から、目の前で困っている人がいたら助けてやるもんだ、ってよく言ってました。
その言葉のとおり、親父はよく人に気軽に手を貸す人で。…………横断歩道で重たい荷物を持ったおばあちゃんが歩いているのを見たら、荷物を持ってあげて一緒に渡る、みたいな。
そんな、絵に書いたような人を手助けする、そういう人でした。
車で気軽に移動したい人をすぐに運んでやれるタクシー運転手は、自分に向いてると言って、若い頃からずっとその職業一筋で。
車好くるまずきでしたしね。
稼ぎが良かったとは言い難かったけど、本人は満足そうで。
何となく、そんな親父の言ってることとやっていることの筋が通っているところが、子供心に響いたんでしょうね。
自分で言うのも何ですけど、俺も自然と困ってそうな人を助けることは身についてたと思います。学校の教室で消しゴム落とした子がいたらすぐ拾ってあげるとか、忘れ物した子には自分の物を貸すとか。
ま、当たり前っちゃ当たり前のことですけどね 」

「 そうだったんですね……優しいお父様だったんですね。
……そんな運転手さんだったなら、母も姉も、きっと、最後は気分よくタクシーに乗っていたんだと思います 」

 なんだかんだ言っても、善ちゃんがですます言葉で話すので、わたしも彼に合わせて話す。

「 ………それで、人助けのために、弁護士さんになったんですか? 」

「 まあ、そう、………ですね。
……短絡的ですけどね、困っている人を助けるために弁護士、なんて 」

「 きっかけが何であれ、なろうと思って簡単になれるものじゃないでしょう? 」

「 まあ、勉強は嫌いじゃない方だったし。
正直、親父を見ていたら、稼げないよりは稼げそうな仕事の方がいいか、と若い頃は単純に思ったんで 。
自分がやれることをやって、誰かの役に立つ、そうやって人は支え合って生きてるもんだ、って、そんなことを親父はよく言ってました。
いかにもな人情派の人でした。
けど、世の中に出てから、……この仕事についてから、親父がいかにまっとうな人間だったかを思い知りました。

…………親父は、絶対悔やんでいる。
そんな気がするんです。
あの道を通らなければ、そもそも自分が二人を乗せなければ、って。
その分、残されてしまった人達の力になってやれって親父に言われてる気がして。
目の前に、多分俺が助けた方が絶対に困らない事情の二人がいる。助けないでどうするんだ、って。
あ、だから嫌々でってことじゃないですよ。俺自身もそう思ってるんで。

なんていうか……なんでしょうね、失礼かもしれないけど、この時のために弁護士やってて良かったな、って正直思ってます。
事故なんて、遭わないに越したことはありませんけど、……起こってしまったものは、どうしようもないですから、今、できることに向き合っていくしかない。

………だから、別に報酬だのは本当に要らないんです。仮にですけど、お金なんてとったら親父に怒られそうだし。

……あ、すいません、俺ばっかり何か一方的に語っちゃって 」

 そこで、彼は初めてテーブルの上を彷徨さわよわせていた視線をわたしに戻した。

「 いえ、もともと質問をしたのはわたしの方ですから 。
………実は、わたしの亡くなった父もタクシーの運転手でした。
もともとは自動車整備士で。
そこから転職したんですけど、やっぱり車が好きな人だったんです 」

 カラダだの家事労働だのを彼が要求するのでは、などと想像していた自分が恥ずかしくなった。
 その気持ちを自分の中で誤魔化すように、わたしは父親のことを持ち出していた。
 彼のお父さんも、自分の父親と同じ職業だったもいう些細なことな、なんとなく嬉しい。

「 へぇ、そうだったんですか。
それは奇遇ですね。そういう些細な偶然て、結構大切だったりするんじゃないかなって俺は思います 」

「 ………そうかもしれませんね 」

 彼にそう答えながら、心がふわっと浮いたように軽くなる。

 誰かと話す時は、たいてい気を使う。
 友達との会話だって、楽しいことも多いけれど、それは違うんじゃない?と思いながらも、場に合わせて笑いながら聞き流すことがある。言いたくても口をつぐむこともある。
 母は母で愚痴の多い人で、話しているとうんざりしてきた。
 姉に対しては、いくつになっても反発の方が多かった。双子でも水と油でしかなかった。

 目の前の相手との何気ない話の中で、自然と共感みたいなものを覚えたのはいつ以来だろう。

 
 ただ、話しながら一気に距離が縮まったことに嬉しく思いながらと、実はちょっと彼を苦手だと感じているわたしもいた。
 
 仕事もできて、一見体育会系の立派な体格で見た目も全然問題なくて、気さくで、歳が二つしか変わらないのに向こうの方が半端なく若々しくて。
 そして、何よりも根付いている善行の指標が正しすぎて。
 
 一方のわたしといえば……今は無職で、人に誇れるような経験もスキルもなくて。
 彼と同じく独り身で子供もいないのに、歳相当にちょっとたるんできて、何よりも、すぐに疑心暗鬼になってしまったり、今もこうして自分に自信がなくじめじめとした気分に勝手に陥ったりして。

 彼が、本当に自分の中身を正直に晒して無防備に笑って、親しくしようとしてくれている。
 それは本当にありがたいはずなのに、彼の存在が正しく、そして眩しくて、一緒にいればいるほど『 それに比べて自分は 』と劣等感がじんわりと湧いてくる。

 土足で人の心を、という、そんな嫌な感覚ではないけど、………ビジネスライクに丁寧語で距離感を保ってくれていた方が、眩しさに直撃されなくて良かったかもしれない。

 きっと、相手が誰でも、彼の態度は変わらないのだ。
 善、と周囲から呼ばれ続け、親しまれて、きっと愛されて、その名のとおり出来上がったような人。

 自分の周りにはいなかったタイプの人だから、余計に勝手に苦手意識を抱いているのも事実だ。

 それにしても。

 ………こんなにも善人なのに、どうして妻も恋人もいないのだろう?





つづく。

(約5800文字)

*『 regret 』とは、『 心残り 』を意味するの英語です。
1~34話までがnote創作大賞2023の応募作品で、その続き部分の話に『~regret~』とつけてあります。


最初のお話と、創作大賞2023応募の最終話部分のお話です。
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このお話の前話です。よろしければ ↓



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