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あの時開くことができなかった詩集を、もう一度手にしてみようか。

ネットの通販サイトで、とても懐かしい作家さんの名前を目にした。

わたしがまだ若かった20年以上前、その方は既に活躍されて何冊も詩集を出版されていた。
透明感溢れる名前と作品に惹かれ、詩集を間違いなく1冊買って持っていた。記憶していないけれど、もしかしたら2,3冊あったのかもしれない。

ところが、スキで好きで毎日毎晩眺めていたとか、あのフレーズやこのフレーズを暗記して今でも心の中で宝物のように胸に秘めている、という思い出はない。
そして、はっきりと覚えているのは、何かの機会に『もう、この本を開くのはやめよう』と処分を決意したこと。


その方とは、銀色夏生さん。

その頃は、目にした詩集を買って、ゆっくり読もうと思っていた。

読もう、読もう、読もう……そう思いながら、ページをめくる勇気がなかった。

………そう、勇気が出なかった。
20代の自分が、銀色夏生さんの詩集を開くのに、どうして勇気が必要だったのか。
生まれてもうそろそろ半世紀になろうか、というくらい長く生きた今、あの時の自分のためらいが一応言葉で説明できる。



美しい写真と紡ぎ出す言葉。
そんな創作をする大人として成立していた銀色さんの生き方が、わたしには眩し過ぎたのだ。

眩しく美しいだけなら、その芸術を楽しめばよい。
でも、わたしの心には本を楽しむ以前にどうしても湧き上がってしまう想いがあった。

『自分も、こういうことをする人になりたい』
『自分も、こういう作品を作って本にして暮らしたい』
『自分も、こんなふうに生きられたら』

そんな強烈で刹那的な羨望が、詩集を開こうとすればするほど渦を巻き、実際に作品の数々を目にする勇気がなかったのだ。


本当に作品を本にして売って生きていきたいなら、そのためには、まずは銀色さんに限らずより多くの作品に触れて学ぶべきだろう。

ところが、わたしは一切そうしようとしなかった。

文字と感性で幾らかでも稼ぐということは、平成が始まり10年以上たってもまだまだ手段が限られていてハードルが今より桁違いに高く、しかも不確実だった。
そして、大学を出たら堅実な職場で即収入を得て、確実に親から経済的に自立しなければならない家庭環境に生まれ落ちたわたしに、いつ叶うかわからない夢を追うような生き方は、当時は赦されてはいなかった。


『………でも、自分はそうはなれない人生なんだ』
『いつ叶うか何も先が見えないものに挑戦する権利は、自分には無いんだ』


ページを開こうとしても、それを突きつけられるようで、辛かったのだ。


本の処分を決意したのは、辛い気持ちになることを避け、『そういう生き方』を完全に諦めるためだった。




今なら、食べられるかは別として、ネットとスマホで手軽に投稿できるし、印刷会社に頼めば本にできるし、投稿サイトの販売ページを使えば売れるのかもしれない。
すくなくとも、銀色さんに薄暗い羨望しか持てなかったあの頃よりも、写真と言葉を使って何か表現すること自体は各段に簡単になった。

そして、売れる売れないに関わらず、そういうものを創って生きているのだと自分が語りたければ語ってよい時代になった。


最近、熱心にインスタ投稿している。

本当に写真と文字をどこの誰がみてくれているのか微妙なものがあるけれど、いいねがつくのはやっぱり嬉しい。
嬉しいから次々と稚拙な写真と言葉を並べてしまうし、そうしているうちに、写真と言葉の勉強をもっとしたいという欲をしっかりと感じるようになった。

そして、そういうことをするのがやっぱり自分は好きなのだと自覚もしている。



正直、銀色夏生さんのことは、昨日まですっかり忘れていた。

それが、ネットで詩集でも何でもないある本を探している途中で、まるで謀ったかのように表示されたのが、銀色夏生さんの名前。

作品一覧の中に、記憶の扉を叩くタイトルの本があった。
それは、わたしが持っていならがら、ついぞまともに開くことのなかった本と同じタイトルだ。

ふと、今なら読める気がした。

銀色夏生さんとまったく同じ人生を生きるのは当然無理だとしても、今の時代なら、銀色さんから作品の煌きのシャワーをきちんと浴びた自分になって、自分の造りたいもの・書きたい言葉を生み出せるんじゃないかと素直に感じたのだ。


また、買ってみようか。
銀色夏生さんの本を。




ただし。

一つだけ困ったことがある。

わたしは絶賛断捨離中でこれ以上物を増やしたくない。
何なら、ほとんどの物を捨てて1LDKのお気に入りのマンションに引っ越して一から生活を作り直したいくらい。

だから、本という物を買うのに躊躇いがある。
電子版にすればいいじゃないか、と思われるかもしれないけれど、やっぱり大切にしたい本ほど紙のページという物理を求めてしまう。
こればかりは価値観なので、どうもなかなか変えられない。


まあ、紙か電子かはさておき。

銀色夏生さんの作品を、今は読んでみたい。



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