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義務ではなく希望のために生きる。

「75歳くらいで死んでもいいと思ってるんです」と話すと、彼は「死にたいわけじゃないけど、自分が独身だったら、いま死んじゃっても別にまあいいやって感じです」と答えた。


その彼は、50歳くらい。
三人のお子さんがいる。
一番上のお姉ちゃんがまだ小学二年。
2歳の末っ子くんが二十歳の頃、その男性は70歳近くになってしまう。



当然、お子さんのためにも今すぐ命を失うなんてとんでもない。
独身なら、と前置きしたのもよくわかる。


子供の生活費、学費を稼がなきゃいけないから、まだまだ死ねない。
そんな会話が続くんだろなとうっすら予想した。

が、彼が口にしたのはこんな言葉だった。


「子供達の成長を見届けたいですからね。まだまだ死ねませんよ」


─────── ああ、そうか、そっちか。

養わねば、という義務よりも、子供達が大人になるまで見ていたい、そんな希望なのだ。



何らかの義務があるから生きねば。それも強い意思にはなる。

けれど、希望は、自分のもの。

自分がこうしたいから、生きる。

それは、自分のために生きること。

やっぱり、自分のために生きた方がいい。



とはいえ、彼は独り身だったら死んでもいいと言うくらいだから、ひとりなら生きる展望はなかったわけだ。

先々のことを考えると、40を過ぎて三人も子供を持つことが正直わたしには理解できなかったけど、彼の場合はお子さんがいて良かったのだろう。


わたしは、これからやっと自分のために生きられる気がしている。
大人になった以降の25年くらい、不本意な生き方をしてきた。
だから、これから同じくらいの年月を、自分のために生きて行こう。



大好きな京都にもたくさん行きたい

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