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【ドラマで見る女性と時代】その4の柒・捌 『光る君へ』~貴族の男にとっての女・心だけは自由な女~(2024年)

 第七話予告で突如映し出された、半裸の公任様。
 瞬時に色めきたった女子視聴者の数は計り知れない。
 わたしは色めき立つことはなかったけれど、同じく大河ドラマ『 鎌倉殿の十三人 』で、裸になる必要性が不明確な場面でやたらと脱ぐ三浦義村(山本耕史さん)を思い出した。
 実際、SNS上でも「 三浦の流れを組む公任様 」みたいな投稿を目にした気がする。(時代的には三浦の方が後だけど……)


 目の保養としてはやんごとなき場面だったかもしれない。
 しかし、そこで繰り広げられた貴族男子達の会話は、女の立場で耳にするには淋しく微妙なものだった。

 

※見出し画像は、京都にある廬山寺の写真です。





『 恋とか愛なんて、俺達には大事じゃないんだよねー 』

『 やっぱり女は家柄だよねー 、その家の婿に入って女子を作って入内させて、家の繁栄を守らなきゃね 』

『 家柄のいい女を正妻にして、好きな女のところに通えばいいんだしねー 』


 招待を受け打毬だきゅうの見物にやってきた姫たちについて、藤原公任ふじわらのきんとう(町田啓太さん)と藤原斉信ふじわらのただのぶ(金田哲さん)が、大雑把にまとめるとこんなことを語り合う。

 藤原為時ふじわらのためときの娘(まひろのこと)は地味でつまらない、が、女は本来邪魔にならない方がいい、しかし、あの女は身分が低いから駄目、
 土御門殿の娘は、実際に見てみたらもったりしていて好みではない、今はききょう(後の清少納言)に首ったけ、でも所詮は遊び相手だし、

と、公任と斉信が言いたい放題。

 なお、脱いだのは、公任様のみでなく、斉信も、藤原道長(柄本佑さん)も、そして『 最近見つかった自分の弟 』という道長の設定で、人数合わせで打毬に参加することになった、散楽一味の直秀(毎熊克哉さん)も。

 みんなで上半身をはだけていた。

 打毬を見物した姫たちがこの様子を目にしたら、扇子を目で多いながらキャーキャーと大騒ぎになりそうだ。

 なお、鎌倉殿の三浦とは異なり、自らやたらと脱いだわけではなく、打毬の後で突然の雨に降られ、建物に急いで入り、濡れた服を脱ぎ身体を拭き……、という設定だ。視聴者の主に女性へのサービスカットとして、脚本家の大石静さんが入れ込んだシーンだと思われる。
 
   

 彼らのこの会話は、部屋の隣に居合わせたまひろ(吉高由里子さん)に聞かれてしまう。
 道長は、会話の内容に同意を求められるものの、「ん」と適当な返事をしたのみ。公任や斉信に対し、明らかな否定の言葉はなかった。
 声だけのやりとりしかわからないまひろは、貴族男子達の本音にショックを受ける。
 女は、家柄なのだ。

 その晩、まひろは、道長からの恋文を燈明の炎にかざす。
 「 超えてはならない神社の垣根を踏み超えてしまうほど、恋しいおまえに会いたい 」
 それは道長の真の想いであるにも関わらず、家柄の良くない自分は道長への想いを断ち切らねばらないと固く決意した表情で、まひろは燃え上がる道長の文を庭先へ放り捨てる。
 


 それにしても、判明している日本の歴史の中で、なんと長い間、女は男に見下されてきたことだろうか。

 いつから女はこんな扱いになったのだろう。

 学校で習う日本の歴史で、最も古い時代に名前が残っている人として習うのは誰でしょう?
 卑弥呼です。女性ですね。

 古代の集落では、そこのおさを女性とすることもあったらしい。

 それが、蘇我氏などの豪族の出現の頃から男社会が造り上げられ、女性はその影に追いやられていったようである。




歌人・衛門先生の教え


 打の後日に行われた、左大臣家での恒例の歌の勉強会。

 公任達の心構えなどつゆ知らず、わたしは公任様が良かった、いやいや道長様でしょ、と姫たちが盛り上がる。
 歌の指南役の赤染衛門あかぞめえもん(凰稀かなめさん)が姫たちに問いかける。
 道長様と息がぴったりだったあの公達きんだちは、一体どなたかしら?猛々しくもお美しくて……と。
 さあ……?と姫たちは首をかしげる。
 
 彼女が見惚れた相手は、直秀である。公達でも何でもなく、身分としては当時の世の中の最下位層の者だ。衛門も姫たちも、そんなことは知る由もない。
 
 衛門たら、人妻なのにそんなことを言って、左大臣の娘・源倫子(黒木華さん)が軽く突っ込む。
 すると、衛門はまったく悪びれることなく、

「 人妻であろうとも、心の中は己だけのものにございます 」

「 そういう自在さがあればこそ、人は活き活きと生きられるのです 」

と語る。

 平安時代の女性の誰もがこの思想を抱いていたのかは不明である。 
 ただ、男子が優位で女子は通って来る男を待つような時代、ドラマの中とはいえ、女だって心は自由なのですと説く衛門の言葉に何だか救われるような場面だった。
 心まで男の言いなり、男によいように使われるばかりでは、女の立場が哀しすぎる。
 女だって、自由に抱けるときめきで心を好きなだけ潤してよいのだ。

 まひろは衛門の発想に驚きの表情だったが、もしかしたら、この衛門の言葉が、心の奥底で道長を想い続ける自由をまひろに与えたのかもしれない。




 ところで、実はこれを書いている時点で次の第九話まで放送されてしまっている。

 第八話のラストで、直秀は、右大臣家に入った盗賊として散楽仲間達と共に捉えられ、道長の前に顔をさらされてしまう。


 きっと、道長の恩赦により直秀は放免される。
 その後、そろそろ京を離れると言っていた直秀は、海の見える遠くの国へ旅立つのだ。
 そう思っていた視聴者の数は、公任様に色めき合った令和の女子の数と同じくらいだと推察する。

 ところが……なのである。

 衛門は、自分好みのあの素敵な公達に再び逢うことも、名前も素性も知ることもない。
 




 以上が、第七話『 おかしきことこそ 』、第八話『 招かれざる客  』の
感想であります。


前話の感想です。
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