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【短編小説】夢裡幽閉①

~1話~

午前二時。目が覚める。最近夜中に目が覚めることが多くなった。
近頃は割と夜も涼しく、窓を開ければ青く澄んだ風が吹き抜ける。いつの間にか過ごしやすい気候になっていた。
しかしそんなことは関係なく、特に最近寝付きが悪い。お陰で仕事中眠くなって仕方ない。
いい加減なんとかしたいと、気怠げにネット検索をしてみる。そんな時見つけた怪しげな文字。

『〜いつの間にか夢の中に〜必ず眠れるアロマキャンドル好評発売中!』

寝不足で頭が回らなかったようだ。気づけば購入ボタンを押していた。

そして今朝届いた荷物。
届いた箱には、手の平サイズのアロマキャンドルが丁寧に梱包されていた。箱には紙が一緒に入っていて、『楽しい夢の旅へ』と一言だけ書かれている。
まぁなんでもいいと、机の上に置いたキャンドルにマッチで火を点け部屋の電気を消す。 

ベッドに腰掛け灯(あかり)を見つめた。心身が浄化していくようだ。香りも強すぎず、程よく甘い香りが部屋に広がる。
瞼が重くなって来たのを感じ、ベッドに横たわる。随分胡散臭い商品だと思ったが結構いいかもな、と思っている内に意識は夢の中へ沈んでいった。


ハッと目が覚める。
枕元の時計はまだ一時間程しか進んでいない。夢も見ず随分深い眠りだった。
目覚めはスッキリでいい買い物であったことは間違いない。キャンドルもまだ九割以上残っている。
片付けようと、火を消し部屋の電気を点け、キャンドルが入っていた段ボールを掴んだ。その時、段ボールの底にもう一枚紙を見つけた。
紙には、『注意事項:このアロマキャンドルは、人体への影響を考慮して一度きりで使用し、最低半分残して捨ててください。』と書かれている。

「人体への影響……?寝過ぎるから何度も使うなってことか?」

キャンドルの裏に書いてある成分表示をネットで検索してみる。しかし人体に悪影響のある成分は入ってなさそうだった。

「やっぱり寝過ぎて身体に良くないってことか。」

一人結論を出して段ボールを解体していく。沢山買わせる為の謳い文句だろ、と大して気にしなかった。
今度は寝る前に灯(あかり)を見て楽しもうと、少し軽くなった足取りで段ボールを玄関まで運ぶ。

俺は最後まで何も知らなかった。このアロマキャンドルの恐ろしい正体を。

次の日、仕事を終え帰路に着いていた。
空には吸い込まれそうな紺色が広がり始め、細くて少し不気味な三日月が顔を出していた。  
西の空は薄い赤紫や桃色の爽やかなグラデーションを画いている。
昨日よりも少し冷えた青い風が吹き抜ける。そんな夕方だった。

ふと家から近い公園に、人影があることに気付いた。中学生……いや高校生だろうか。青年が明後日の方角を見てベンチに座っていた。どことなく暗い雰囲気で目は虚ろだ。
この時間帯のこの公園に若者がいるのは珍しい。自宅周辺はファミリー層が多く、この公園も親子連れや主婦が多く利用している治安の良い地域だった。
よく見たらその青年は、病院の患者が着るような服を着ていた。病院から抜け出して来たのだろうか。見てしまったからには放っておけなかった。

「こんばんは。君、大丈夫?親御さんは?」
ちょっと怪しい問いかけになったかな、と不安になりつつも病院に帰るように促す。

「それって病院で着る服だよね。病院から抜け出してきたの?きっと皆心配しているよ。早く帰ったほうがいい。」

青年は少しだけ視線を此方に向けた後、再びその虚ろな目を正面へと戻し気怠げに答えた。

「……僕あと三ヶ月の命なんだよね。」

衝撃を受けた。
顔色が悪いとは思っていたが、余命宣告を受けているとは思わなかった。
過去のことが頭をよぎった俺は、一瞬言葉に詰まる。こんな若者が……と暗い気持ちで言葉を絞り出した。

「君、何歳?」

「十五。」

随分若い。ならば尚更病院へ連れていかねばと使命感に駆られる。

「そうか。でも具合が悪いならすぐに病院へ帰らないと……。顔色が悪いよ。」

「具合なんて、もう良くならないよ。だからせめて最期くらい綺麗な海を見て死にたい。そう思って駅まで行こうとしたけど、ちょっと疲れたからここで休んでいたんだ。」

残酷な現実を聞き、俺は再び口を閉ざした。

「お兄さんこの辺に住んでるの?」

「……そうだよ。一人暮らし。」

「いいなぁ。一人暮らしなら自分の好きなことし放題だね。僕ね、家のルールが厳しくてうんざりしてたんだ。だから病気になって感謝してる。家族から開放されるから。だからそんな暗い顔しないでよね。」

二度目の衝撃だった。死を望んでいるかのような言い草だ。
薄暗い感情と焦燥感が体中に広がっていく。大人として何を言ってやるのが正解か俺には分からない。結局正論を言うしか脳がないのだ。

「……ここは冷えるし、そろそろ帰った方がいい。病院の人も探しているだろうし。」

「関係ないでしょ。放っておいて。」

苛立ったように言葉を吐き捨てる青年。細く骨ばった手をベンチへ叩きつける。よく見ると頬はこけ隈も酷い。
青年の気持ちを考えると胸が痛かった。しかしこのままにしておく訳にもいかず、途方に暮れる。

「翔(かける)君!」

公園の入口で女性が息を切らし、此方を見て叫んでいた。こっちに駆け寄って来る。
看護師のようでナース服の上に薄めの上着を羽織っている。仕事の途中で慌てて抜け出して来たのだろう、上着の裾は内側へ入り込み髪も随分乱れていた。

「翔君!やっと見つけた……!勝手に病室抜け出して……!自分の身体のこと分かっているの!?」

ベンチの目の前で体を曲げ、息を整えてから言葉をまくし立てる女性。余程心配していたのだろう。顔を顰(しか)めて言葉を続けた。

「皆心配してるわ。さぁ早く帰ろう?」

青年は女性を見たあと俯き、少しの間を置いて答えた。

「……嫌だ。帰っても良くならいんだから、今のうちに色んな所に行って思い出作りたい。」

「でも、そんな身体じゃいつ心臓が動かなくなるか分からないんだよ?お願いだから一緒に病院へ帰ろう?」

「病院に帰ったって何もできないじゃん。親に言ったってどこにも連れて行ってもらえない。後継ぎが死んだら困るから。僕が心配なわけじゃない。親が心配してるのは佐藤家の後継がいなくなると困るからでしょ。」

「翔君……。」

佐藤家……両親とも顔を合わせたことがあるのだろう。顔を顰めながら看護師は口を噤んだ。 それでも帰らなければならない。それは青年、もとい佐藤君も頭では分かっているのだろう。

「……もういいよ。分かってるから。」

そう言って佐藤君は立ち上がる。

「ごめんなさい。ちょっと我儘言いたい気分だったんです。そうでもしないと頭が可笑しくなりそうで……。でももう帰ります。お腹空いちゃったし。」

一連のやりとりを黙って見守っていた俺は、彼の親に対して不信感を抱いた。
余命宣告された子供の願いくらい聞いてやればいいものを、と思いに耽っていた俺の前に、看護師に支えられて佐藤君が歩いてくる。

「すみませんでした。初対面なのに強く当たってしまって……。」

「いや……。俺のことは気にしないで。」

「すみません、ありがとうございました。」

彼は頭を下げ看護師と共に公園の入口まで進み、入口近くのベンチで腰を降ろした。迎えを頼むのだろう。
看護師が電話をかけて十分くらいで病院のロゴが入ったバンが到着した。
看護師と佐藤君は車に乗り込むとこちらに会釈をして帰って行った。

もう辺りは真っ暗だ。光の強い星がポツポツと煌いている。
淡く光る星を眺めながら、いつもと少し違った日常を味わった新鮮さと、何も出来なかったという脱力感が胸に広がるのを感じる。
俺は暫くその場から動けず、ただ空を仰いでいた。

あれから一週間経った。
相変わらず仕事と自宅の往復の日々を送っていた。彼はどうなっただろうか。ふとした時に一週間前の夕暮れを思い出す。

あの日は家に帰ると二十時を過ぎていた。
ご飯は適当に済ませ、シャワーを浴びてすぐにベッドに入った。
しかし、胸がざわついてなかなか眠れず、夜中にあのアロマキャンドルを使った。

キャンドルはまだ七割以上残っている。キャンドルを点けて寝たのは三時間程だったが、起きてすぐは頭がスッキリしていた。

しかし、その後頭は回らず身体も重い。そして、何より気になっているのが、左足に黒い影がかかっているように見えていることだ。
最初は目がおかしいのかと思ったが、周囲人や物は普通に見えており目は正常だった。
すれ違う人にジロジロ見られることもない。自分にしか見えていないようだと分かり、気にしない方がいいだろうかと自宅へ足を向ける。
仕事帰りだからなのか、回らない頭を持ち上げ住宅街の交差点を曲がろうとした。

その時、一瞬で視界を黒一色に染められ、体が宙に浮いた。

跳ねられたと気づいた時には地面に転がっていた。

横断歩道を赤で渡った、自分の不注意で起こした事故だった。左足首の打撲で済んだのは奇跡と言っていい。

救急車で病院に運ばれた後、怪我の処置を終え、片方だけ松葉杖をついた状態で病院の廊下を歩いていた。
すると聞き覚えのある声が誰かと言い争っていた。

「また何処か行く気なのか。何度心配させれば気が済むんだお前は。」

「散歩してただけでしょ。放っておいてよ!そうやって監視みたいに何度も何度も電話したり見に来るからどっか行きたくなるんだろ!少しは分かってよ!」

公園で出会った彼だとすぐに分かった。
一緒にいるのは両親だろうか。佐藤君を見ながら眉間にシワを寄せ叱る父親と、心配そうに成り行きを見守っている母親を前に、佐藤君は苛立ちを隠せない様子だ。
随分興奮した状態の彼を、俺はハラハラしながら遠くから見守った。

「もう付いてこないでよ!」

彼は病室へと向かう。
すると騒ぎを聞きつけた看護師が彼の側へやってくる。公園に迎えに来た看護師だ。
両親へ会釈しつつ彼に寄り添いながら病室へと向かう。
両親は諦めたように受付まで行き、他の看護師と話をする。今日はもう帰るのだろう。

俺は佐藤君のことが少し気がかりで、彼らが向かった病室へと足を進めた。
病室の前まで来ると、扉の向こう側から声が聞こえてきた。

「翔君、あまり無理はしないでね。もしかしたらドナーが見つかるかもしれないし……。臓器提供が多い国に行くのだって……。」

「もう無理だよ。何年待ってると思ってるの?それに僕は日本で死にたいんだ。他の国になんて絶対行かない。そんなことより僕のやりたいことやらせてよ。僕は父さんや母さんの人形じゃない。最期くらい好きにさせて。」

ドナー……心臓移植だろうか。このままドナーが見つからなかったら彼は死んでしまうのか、と心の中をモヤモヤさせたまま控えめにノックをする。

「……あら、誰かしら。」

看護師の声がした後、足音が近付いてくる。
ガラッと扉が開いたと同時に、看護師は驚いたように顔を上げ『公園の……』と呟いた。
病室の奥のベッドから此方を見る佐藤君も目を丸くしている様子が窺えた。

「こんにちは。突然すみません。先程廊下で声が聞こえて少し気になって……。斎藤と言います。ちょっとこの病院にお世話になりまして。」

格好悪いなと思いながら怪我した足を見せ、苦笑いで二人に自己紹介をする。

「その節はお世話になりました。担当看護師の佐々木です。」

「あの時はすみませんでした。失礼な態度とってしまって……。」

佐藤君もバツが悪いような顔で頭を掻きながら頭を下げた。

「いえ、気にしないでください。抱えている問題が大きすぎますから……多少周りに当たっても仕方ないですよ。先程の方々はご両親ですか……?」

「そうです。でも僕を心配してるわけじゃないですよ。ただの所有物だと思ってるだけ。」

『翔君』と、佐々木さんが佐藤君の発言に思わず声を出す。

「だって本当のことだし。後継ぎさえいればいいんだよ、あの人たちは。」

「後継ぎ……?」

佐藤君は思わず聞き返した俺を一瞥した後、ぽつりぽつりと話し始めた。

「親が企業の社長で創業者なんだ。日本と海外の商品売買の仲介をしていて、かなり稼いでるらしいよ。お客さんも元々有名企業に勤めてた時の繋がりで、信頼も厚いんだ。その会社をどうしても僕に継がせたいみたい。」

「……なんでそんなに自分の子供に継がせたいんだろう?」

「父さんの親も創業者で、本当は父さんが継ぐはずだった会社を父さんの弟が継いだんだ。伯父さんかなり優秀な人だったから。父さん相当悔しかったみたい。だから自分が出来なかったことを息子にさせたいんじゃないかな。母さんもいいとこのお嬢様だから世間知らずだし、会社継ぐのが僕の幸せだと思ってるみたい。本当に嫌になるよ。僕は自分の好きに生きて死にたい。だから正直病気には感謝してる。僕が僕らしく生きていける道を僅かでも作ってくれたから。」

「……そうか…………。」

やはり何も言えない自分に向き合わされるだけだった。何故ここに来たのか。少しは力になれると思ったのか……。
思い上がりだ。重くなった気持ちを振り払うように、そして病室にいる二人には気取られないよう笑みを浮かべながら、帰ろうと立ち上がる。

「もうお帰りですか?」

黙って話を聞いていた佐々木さんが声をかける。
彼女も仕事と個人の感情の狭間で複雑な思いを抱えているようだ。頭が下がる。

「はい。偶然お会いしただけの、ただの通りすがりですから。むしろ部外者が長居してしまってすみません。」

「そんなことない!斉藤さんまた来てよ。僕、病院に来てから家の人間とか、病院の関係者しか話せないから退屈だったんだ。偶然二回も会うなんて縁があるんだよ。ね?一生のお願い!お願いします!」

なんて重た過ぎる一生のお願いだ、と思いながら苦笑いする俺に、佐々木さんが再び声をかける。

「私からもお願いします。本当は翔君のお願い聞いてあげたいけど、できないことばかりで困っていたんです。あ……その、お忙しいとは思うんですが差し支えない範囲で大丈夫ですので!」

必死に頭を下げられた。こうなっては断れない。

「分かりました。まぁこの病院には経過観察でまた来ますし、ここは家から近いので、寄れるときに寄りますよ。」

そういうと、二人は今まで見たことがないくらいの笑顔を見せた。
こうして俺の日常が少し、変化の波に包まれた。


~続く~

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