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また、自分ではない人間になろうとしてしまっていた

「ありたい自分」と「ありのままの自分」はちがう。どっちがいいと思う?

もはや言葉のレトリックのようなものだ。この二つはお互いに絡み合っている。でも、きっと、みんなどちらも持っているのではないだろうか。


私は、ありのままの自分でいようという気持ちと、こうありたいという気持ちで常に揺れ動いている存在のようだ。昨晩、パートナーと最近の私について話していてまた実感した。またか、と思った。

「ありたい自分」には注意してしすぎることはない。

向上心は、いい。初期仏教のスマナサーラ長老も、過去の自分と比較して昨日より成長したいと思う向上心はとおっしゃっていたと思う、たしか。

ただ、「・・・のようにありたい」この・・・に誰か他人が入った時、これはもはや自分ではない。自分ではないだれかになりたい。そう自分に語りかけているのに等しい。この内部コミュニケーションを、自己否定という。


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私は最近天然石作品ブランド の立ち上げを一生懸命やっていて、インスタを更新したり、石を仕入れたり、作品発送をしたりしている。

noteを書いたり、最近はよく書けなかったりしている。1日にいくつも書きたい話が頭に浮かんで下書きにメモして、その日書けないと2日分たまる。その下書きメモには、なんとなく書きたい記事と、これは是非とも書かなくちゃと思っている記事がある。


そんな私の最近の「ありたい自分」。

noteやtwitterで鋭い発信をして、みんなに読んでもらい共感してもらって、発信力を上げる。ツイッターには「現代に感じる違和感を書く」と投稿した。

社会課題を背景に自分の気持ちを書き、私の気持ちに共感するような人が増えて、そのうちに社会的にも認知される。私は思っていることしか書きたくないから、別の商品を売って換金して生活する。発信力が上がった私の商品も知名度は上がり、生活するには困らなくなる。そんなふうになりたい。

私のnoteは今まで3つほどnote公式さんや公式企業ページさんにピックアップやRTをいただいたりしている。一般noteユーザーの集めるnoteマガジンや他の方のマガジンにも追加いただいている。ツイッターでの拡散も。

これらはとてもありがたいことだ。思ってもみないありがたさだった。でも、だから、私は今まで適切な場所で手を動かしていなかっただけで、もうちょっと頑張れば、私はもっと上を目指せるんじゃないかと思ってしまった。だって、私はありのままの自分で生きたかったから。

詳細はまだ書けないけど、私の生活はけっこうギリギリで、一般的には一刻も早くハローワークに行くべき人間だ。


私が彼女のようであったなら

最近知って、いとも簡単に憧れた人がいた。私は彼女のようにありたかった。繊細で、感性が鋭くて、頭もものすごく切れる。表現もうまい。心はエシカル。自分の信念をプロダクトに具現化して世の中に出し、経営できるほどの手腕がある。どうしてこの全てが一人に同居できるんだろう...

マルチだと言われるだろうし、十分マルチだろう。ただきっと外から見るよりもたくさんの人に頼っているだろう。頼れる力がある人は、優しくて強い。爆発的な影響力を持ちながら、外野から守ってくれる彼氏と連携して自分の力を損なうことをなるべく防ぐという賢さも持ち合わせている。

そして、これは私のまだまだ内在化させている偏見に基づくコメントになってしまうけど、私よりもとても若くて、見た目もとてもかわいい。

生まれつき、と捉えられるような書き方をしてしまったが、彼女の努力はきっと、それこそ側から見ているより一億倍大変なものだ。文字通り、はかりしれない。

以前も引用させていただいた、今をときめくハヤカワ五味さんのことだ。


「私が彼女のようであったなら。」

つい、自分に重ねて、そう思ってしまったのだと思う。そして、そのイメージが私のありたい自分像に、音も立てずにすっと潜り込んだ。

私は昔から理想と現実の区別がつかなくなりがちな人間だった。他人に憧れた結果の「自分にもできるはずかもしれない」と言う声は天使なのか悪魔なのか、とてもわかりづらい。その優しい励ましについつい耳を傾けて、一生懸命努力しようとしてしまう。

でも。私は私以外の人にはなれない。物理的になれない。「ありたい自分」は、ありたいと願ってもありえない妄想だ。

ハヤカワ五味さんや私の憧れる他の人たちのことも、しっかり他人なんだと自覚しよう。赤の他人として、応援し続けよう。


もっと自分に近づこう

その代わりと言ってはなんだけど、私は自分になることはできる。物理的に、自分に一番近いのは私だから。思うほど、私は自分のことを分かっていない。ありえない「ありたい自分」なんかにうつつを抜かす前に、もっと自分のことを知っていくほうがいい。そのほうがよっぽどいい。力を使う場所を間違えてはいけない。自戒を込めて。

今回分かったありのままの自分のうちの一つについて、別の記事で書けたらいいな、と思っています。

いつも読んでくださっている皆さんには、私の妄想するありたい私よりもありのままの私が見えている気がします。いつもありがとう♡


* ひかむろのヒトコマ*
出品予告どおりに出品できていなかった騒動など....


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