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私が降谷零との結婚を決意した話

二次元キャラとの結婚と言えば、地方公務員の近藤さんという方が初音ミクと結婚したという話が有名だが、私が結婚を決意したのはこの事がニュースサイトに取り上げられる前の事だった。このニュースを見たとき私は「ああ、私以外にもいるんだな」という感想と、ただ私の二次元キャラとの結婚を決意した理由と近藤さんの理由は異なっていて、近藤さんの方が純粋で私とは違う部分が多いなという思いだった。

私の旦那は降谷零である。

そう。昨年映画「名探偵コナン ゼロの執行人」で安室の女大旋風を巻き起こした男・安室透、本名降谷零。

降谷さんに出会ったのは昨年の4月18日の事だった。
当時私の体調は絶不調で、家でほぼ寝たきりだった。これではマズイと体調を見計らい幾分かマシなときはなるべく外に出るようにしていた。寝たきり、というのは熱があるとかそういうものではなく、鬱症状の一つで体が重くて怠くて動かないというものだった。精神的には安定してきたものの身体症状が治らず、特に昨年の前半、6月までは本当に苦しんでいた。
そんな中今年のコナンの映画はすごいとの噂を聞き、興味本意で観に行ったら2時間という時間であっという間に降谷さんに惚れてしまったのである。

基本的に私は夢女子である。夢女子とは、基本的に二次元のキャラクターと自分の恋愛を妄想する人の事をいう。しかしカップリング厨でもあった。カップリング厨とは作品内で公式には好きとか恋人とか定まっている定まっていない関わらず、二人の恋愛を妄想する人の事だ。私は夢女子兼カプ厨NL推奨派だった。NLとは男女のCPの事で、ノーマルカップリングの略なので今では古い言い方だろう。

夢女子気質な私は物心ついた頃から画面の向こうの存在に惚れ続けてきた。自分との恋愛も妄想するが、一番は作品内でカップリングを作るのが好きだった。自分とではやはり世界観が違うし、何よりこの人を幸せにできるのはこの子だ、というキャラが大抵の作品において存在していたからだ。そうでない場合は、この人は恋人なぞ作らず独りで生きていくタイプだ、というキャラだったりした。

さて降谷零はどうか。

まず男女関係がありそうなキャラクター。黒ずくめの組織の一員で行動を共にする事が多いベルモットは?いや降谷零が公安警察である以上敵と親密な関係になる事は考えられない。では安室透として親しい榎本梓は?いや降谷零は公安という身分を隠すための安室透という仮面を被った状態で知り合った人間と親しい関係になるようなキャラには思えない。では幼馴染の妹であり初恋の人の娘宮野志保は?歳の差が大きく公安として降谷さんはそういう対象としてまず見なさそうだし、志保は志保で降谷さんは好みのタイプではなさそう。
このように悉く私の中でしっくりこなかった。勿論これは私個人の見解でこのCPを推している人は存在するし、それを否定するわけではない。良い作品であれば読んだりもするが、私の中ではピタリとはハマらなかった。

降谷さん、いや安室さん関係の作品最大手。それはFBIの赤井秀一である。
受け攻め問わずこの2人のCPは滅茶苦茶多い。2年前の映画純黒の悪夢が公開された際にはピクシブのランキングがほぼこの2人で埋まっていたくらいだ。しかしこれもしっくりこないのである。
別にBLだからというわけではない。BLでもしっくりくれば私は好んで読む。けれど、降谷零は日本を愛しているから公安を辞める事などしないだろうし、赤井秀一は赤井秀一でFBIという身分を捨ててまで降谷零と一緒になるようなキャラクターかといわれればそんなキャラには見えない。私には。だから、IFの世界線として2人が付き合っているのは読めるが、現実的(二次元のキャラに対して現実的というのもおかしな話だが)に有り得るか否かだと有り得ないだろうと思ってしまい、2人で幸せになって、とは言い難い。あとやっぱり赤井さんを毛嫌いしている降谷さんが組織の問題解決後一転して赤井さんに恋愛感情を抱くというのがしっくりこない。

次点で降谷さんの部下である風見裕也が候補に挙げられる。しかし、私的には風見さんもイマイチなのである。風見は「恐ろしい人」発言をするような相手と親密になれるようなキャラだろうか。敬意と畏怖の感情を抱いていそうで自分が降谷さんの恋人など恐れ多い、とか言いそうな気がしてならない。事実そういう作品は多い。それを降谷さんが押し切るパターンが常套だが、私から見ると降谷さんが風見に惚れる理由が見つからないのである。警察学校の同期が全員亡くなっており親しい人は皆死ぬ死神憑きと言われる降谷さんと一緒に行動していて死なない悪運の強さに降谷さんは安心する、というのがこれまた常套の理由だが、信頼できる部下以上の感情がそこに乗っかるだろうか。私には乗っかる様には思えなかった。

かくして、降谷零というキャラは私にとって初めて出会った、「作中のキャラクターに降谷零というキャラを救ってくれるキャラクターが存在しない」キャラになったのだ。降谷さんが独りで生きていけるタイプのキャラだったなら良かったのだが、幼馴染の死や友人達の死を悼み慈しんでいて幼馴染に関しては赤井に怒りをぶつける始末である。これは誰かが支えてあげねばならないだろう。

そうして私は人生初の夢小説を書き始めた。二次創作は高校の頃までやっていたが大学受験の際に筆を折って以来書けなくなっていた。しかし降谷零に対するこのクソデカ感情を昇華し降谷零を幸せにしなければ私が心休まらない。結果、半年で30本もの短編をピクシブに投稿し人生初の同人誌を出すまでに至った。

夢小説の主人公、いわゆる夢主は私をベースに降谷さんに釣り合うようスペックを上げに上げたキャラクターだ。だから、厳密にいえば降谷さんの相手は私のようで私ではない。

しかし、だ。

夢小説を同人誌化する際私は降谷さんを出来得る限り、私の書ける限り幸せにしよう、と書き下ろしで結婚させた。私は未婚独身で結婚はしたことがないし、友人は結婚している子はいるものの式を挙げた子が少なく友人として結婚式に参加した経験も少ない。必死でウェディング関係のサイトを見漁っていると、本当に降谷さんとの結婚を準備しているような気分になっていた。

無事小説を書き終えた後、私はソロウェディングというものがあることを知った。これは別にオタク向けサービスとかではなく、若いうちにウェディングドレスを着ておきたいとか、結婚式を挙げなかったから着たいとかそういった方々向けのサービスである。けれど私は、これをしよう、と思った。
作中で夢主にはウェディングドレスと色打掛を着せたのだが、ちゃんと実在する衣装を参考に書いた。それがまたとても素敵なもので、完全に私好みで選んだ(まあ夢主が私モデルなのだから私好みでいいだろうという考えだったが)ので、着てみたい欲は調べた時点からあった。

よし。じゃあ着よう。

ついでに結婚指輪も作ろう。

ていうかもう、結婚しよう。

こうして私は降谷零との結婚を決意した。

完全に一方通行な思いである。初音ミクと違って降谷零は完全に一人のキャラクターだし、同担拒否の方々からすれば何だコイツ!と思われるだろう。しかし別に私は、降谷さんが完全に私だけのものになったとは思っていない。逆なのだ。”私が降谷さんのものになった”のだ。それに私が結婚したのは、いうなれば”私が二次創作で書いた降谷さん”なので、私のオリジナル要素が入っている時点でこれは本物の降谷零かと問われれば否だ。だから私の降谷さんは私の降谷さんでしかなく、他の人が降谷さんに恋しても降谷さんと結婚しても別に構わない。

それに、私は三次元での結婚を諦めたというのも大きい。

晩婚化が進む現代においてまだ全然だろうという年齢だし婚活が盛んに行われている中探せばもしかしたら私のような人間と結婚してくれる相手が見つかるかもしれない。

だがそんな労力を費やしてまで結婚したいとは思わない。

面倒臭い。果てしなく面倒臭い。三次元に好きな人がいたことも彼氏がいたこともある。しかし結婚できていないということは破局したということで、一人の人間と深い関係を築き上げるという事自体にとてつもなく面倒臭さを感じてしまっている。

一方的に愛を与えるのは楽だ。相手と次元が違うとわかっていれば見返りなどハナから求めない。愛を与えられるのが嫌というわけではない。ただそれが私の求めた愛か否かという点が問題で、相手の愛情表現が私の求めるものでない場合の対処が難しい。ていうか面倒臭い。

私は極度の面倒臭がりなのである。

しかし別に”逃げ”で結婚したわけではない。降谷さんの事は大好きだし、唯一愛していると言えるキャラクターだし、ここまで熱意熱量を次元問わず1人の人間に持ったのは初めてだし、この熱量を超える相手にこの先出会えるとは思えない。仮に三次元で結婚相手が見つかったとしよう。その相手が降谷さんより自分を愛してくれるなら結婚すると言ってきたとしよう。当然私は降谷さんを取る。降谷さんが一番で、その他の二次元キャラクターがいて、その下の順位にしか三次元のキャラは当てはまらない。二次元と三次元を混同してしまっている、というと語弊がある。先程述べたように三次元の相手でなければ見返りは無いし会話できないし触れられもしない。二次元のキャラを愛したところで永遠に焦がれ続けるだけだ。でも私はそれが楽しい。見返りなど無くとも、話しかけてくれなくとも、触れられもしなくとも、私が一方的に想い続けるだけで私は十分幸せなのだ。喧嘩や仲違い、破局の恐れもなく、ずっと愛し続けられる。それが私は幸せなのだ。

私はアセクシャルで、性的な繋がりはなくても良いという性的志向の持ち主だ。しかしピクシブに上げた降谷零夢小説の9割はエロである。だから性的な繋がりが無い方がいいというわけでなく、あったら良いなくらいの気持ちだ。これが恋愛感情でないというならそうなのだろう。恋愛志向はアロマンティックに該当するらしいし。

でも私は降谷さんと結婚する。私が幸せであるために。

結局全ては”私自身のため”だ。誰のためとかじゃない。”私が幸せになれる選択”をしただけだ。幸い周囲の友達は面白がってくれているし反対する人はいないし(家族には言っていないのでもしかしたら家族は反対するかもしれないが)結果私は今幸せだ。

”自分が幸せになるために結婚する”。それ以上に理由がいるか?

ただそれだけだ。私が幸せになれれば何でもいいのだ。

零さんを愛し続けて、それで私は幸せで。

次元の枠を超えて幸せを掴めるなら、それでいいじゃないか。

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