人の考え方を知り、人の考え方になる
人と会話をすることは、もっともシンプルで、もっとも奥が深い行いの1つだと思います。
ありがたいことに、若い頃からこれまで、途中ブランクがありながらも、取材という仕事をちょくちょくさせていただいています。
取材をさせていただくなかで感じるのは、人の頭のなかは本当に十人十色で、誰一人として同じものはないということ。「何を当たり前のことを」とツッコミたくなるかもしれませんが、78億7500万通りの『考え方』があるのだと思うと…壮大です。
人を知り尽くすことはできない。
心の奥にある『考え方』はいくら検索しても出てこないし、雑誌に自身の信条が載っているような人はごく一部です。
僕も僕でこうしてnoteやブログを通して考え方をアウトプットしていますが、自分のことは自分でも分かりません(笑)。たぶん、聞かれたら素の部分が出てくると思う。
知り尽くすことができないからこそ、人の考え方に触れるのが好きです。
面白いのが、自分が影響を受けた考え方って、ふとしたときに口をつついて出てくることがあるということ。
・・・あれ? これって◯◯さんが言ってたことだよな?
こんな経験ありませんか? 僕は割と頻繁にあって。
誰かから聞いて印象に残っている言葉・考え方が、自分の血肉になっているのを感じることがよくあります。
子どもが大人になるにつれて言葉の語彙を増やしていくように、自分が語れる考え方が増えることは、成長しているということなのではないでしょうか。
考え方というのは本を読んでも得られることですが、直接人と話すこと以上に、情報量も質も大きいことはないと思います。テキストのやり取りだけでも、まだ足りない。
だから話すことは、人間に備えられたもっとも優れた機能だと感じざるを得ないです。
最近、若い後輩ライターくんにペチャクチャと自分の考え方を話してしまったんだけど、彼にとって血肉になっているのだろうか(笑)。自分のボキャブラリーになっているのかな。
自分の考え方もまた誰かの考え方になっているのだと思うと、気恥ずかしいような責任を感じるような(そこにはまた、リレーのように受け取ってきた誰かの考え方がある)。
語れる考え方を増やし、誰かに伝えていくことが原始的な人間の役目だと思います。もっともっと仕入れて売って、この社会のどこかに、自分が生きてきた証を残していきたいものです。
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