見出し画像

英語が話せないのにイギリスに行った19の私


桜が満開を迎えている。自宅近くの公園には桜の木が植えられていて、その辺りはちょっとした緑の広場。いつもは少年がキャッチボールをしていたり、幼い子供が四葉のクローバーを探していたり、各々の自由な時間が流れている。


買い物ついでにその場所を通ると、桜の木の下を陣取るようにテント・テント・テント。若い世代の家族が我先にとその場所にテントを広げお花見を楽しんでいた。もはや桜の近くを陣取ることがステータス化し、距離感のないカラフルなテントを見ていると、バンコクのナイトマーケットが連想された。ちなみにバンコクを訪れたことはない。唯一の海外経験はイギリスだ。


〜〜〜


19歳の誕生日はイギリスで過ごした。事前に「夏でも夜は冷えるから簡単に羽織れるものがあった方がいい」と情報を集めていたのだけれど、実際思っていた以上に寒くてトレーナーを買い足しずっとそれを着ていた。英語はほとんど話せない。そんな状態で海外に行くということは、今考えると怖いもの知らずだなと感心してしまう部分が大きいが、とにかく10代の私は言葉通り「当たって砕けろ」のタイプだった。


イギリスの法律では18歳からお酒が飲めるため、夜は必ず外でキューバリブレを飲んで拙い会話力で、酔っ払いだからこそのコミュニケーションを築いていった。背が高く顔立ちがはっきりした人達の中で152cmでアジア顔の私はどうしても浮いていて珍しがられた。そして私は知らない人達だからこそ自分の悩みをお酒の勢いで軽々しく話した。

恋愛が分からない。好きとか愛情って何?どうして友人を越えて恋愛の形を求めるの?気持ちが分からない。人を好きになる感覚が分からない。私一生このまま一人なのかな。家族は悲しむかな。そもそもどうしてパートナーがいないと寂しいって思われてしまうのかな。私は今でも幸せなのに。


厄介な酔っ払いのアジア人に、これまた酔っぱらった格好いいイギリス人は「そんなことで悩み続けててもったいないよ。自分を大切にしなよ。今僕は君と話していて楽しいよ」と多分これに近しいことを言い「ハハハハ」と高らかに笑い、さらに私のグラスにお酒を注いだ。


〜〜〜


イギリスを訪ねる前は観光雑誌を眺め行きたい場所が沢山あり、優雅にスコーンを食べてティータイムしたい、なんてことを考えていたのに、今でも思い出される記憶は綺麗なレストランではない。綺麗な眺めでもなく、酒場で出会った愉快なイギリス人とのテンポの合わない会話と楽しい時間だ。あのタイミングでイギリスに行けたことは今の自分を大きく構成していると思っている。慣れないお酒の力を頼りに、知り合いが誰一人居ない場所で自分の悩みを吐露する。そしてそれに対しての周囲の「今が楽しい」という言葉。


あの時の私は将来のことを考えてひどく不安だった。このまま一人でいることの怖さ、いつか自身を寂しいと思う日が来るのかもしれない、そしてその姿を見て両親が辛くなるかもしれない。という実際起こるか分からないような架空のことで悩み続けていた。そして周囲から可哀想と思われることが嫌だった。私の幸せは周囲の価値観で決められてしまう、そう思っていたことが誤りだと気が付けたのは、全くの他人に感情のままぶつかり、そんな私といて楽しいと言ってくれた異国の地の人々のおかげだった。


自分を大切にしなよ。今僕は君と話していて楽しいよ


その言葉で心が軽くなった。言葉の力はとてつもない。SNSを覗くと「言葉は刃だ」という文をよく見かけるけれども、私は「言葉を薬」として使いたいと考えている。傷つけるためのものでなく救い上げるための道具として使いたい。不意に悪意なく放ってしまい傷けてしまうこともあるだろう、だって人間だから。それでもそれに気がついた時は更にその傷をカバーできるような態度と言葉で相手に向かい合って、そこで信頼を作り上げたい。そして相手が苦しんでいる時には、誠意を込めた言葉で一緒に楽しい時を過ごしたい。


私に大切なことを教えてくれたあの酒屋は今もあるのだろうか。あそこで出会った人たちは元気だろうか。またいつか、ふらりと訪れたい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?