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世代関係なく優しさを


「コロナが落ち着いたらまず何したい?」

というワードはこれで何回目のサイクルに入っているのか。繰り返され続けた質問にみんなが飽きてきて最近聞かなかったこの問を、またこのタイミングで頻繁に聞くようになったのはきっと、緊急事態宣言が解除され、本当は今すぐにでもどこかへ行きたいのに「もし感染したら」と考えて社会人としての責任やプライド或いは単に恐怖が支配して外に出られない人たちの中でこそ盛り上がる会話なのかもしれない。


毎朝ニュース番組を観ていると、「今日の渋谷駅の様子です。暖かくなってきたからでしょうか、多くの人がいます。」と中継のお兄さんはスクランブル交差点を指差す。そこには明らかに春服を纏った若い人たち、髪色やファッションでからすると高校生・大学生が「友達と久しぶりに会いました」顔でインタビューを受ける姿を見ると、同じ時代を生きているのに違う次元を生きる別の世代という事を痛感し、背負うべきものの種類を考えてしまう。



きっと彼等、彼女達は友人に会えずアルバイトも学校も制限され、そういうコミュニケーション不足によるストレスが強いのだろう。それは今の私からは遠く離れた感覚だけれども「私が学生だった時は」と振り返ってみるととても苦しい状況だということがようやく理解できた。一人時間は大好きだけれども、誰にも会えない世界を突きつけられる現実は孤独だ。そして外に仕事という名目で外へ出られてお金を得られる大人をきっと羨むだろう。更にはなかなか仕事につけない現状に苛立つだろう。


社会人は、もし感染したら今までの仕事に対して込めてきた信頼が失われるのを恐れている。今かかっても誰のせいでもないと頭で理解していながらも自分はその対象からなんとか逃れたい。それに満員電車正直体力的にも精神的にもきつい。職場は仮にも職場で友達じゃないからな、と家にいられる人たちのことを羨ましく思ってしまう日もある。


世代の違いがこうしても顕著に現れる瞬間を、流行りの音楽や好きな俳優以外で目の当たりにするのは初めての経験で、兎にも角にもお互いない物ねだりだ。学生は外に出られる理由とお金が欲しい、大人は家にいていい理由と時間が欲しい。


人の苦労を100%理解してあげられることなんてきっと不可能だ。それは自身を相手に投影させてみても当事者にはなれない、つまり本当の苦しみをそのままの形で受け取ることはできないから。それでも寄り添わなければいけない。世代違いで正直面倒に感じても、お互いの苦労を分かろうとする姿勢を持っていないと。同じ困難に立ち向かっているはずなのに、価値観の違いとかいうバンドの解散理由みたいなことを言って、根本から2方向に離れていくことだけは避けるべきことだ。どちらかだけが頑張っても何の解決にもならないじゃないか。


実際は私たちが本当に今出来ることって「手洗いうがい・マスク・ディスタンス」しか明示されていないわけで、それをしたからといい安全の保証は誰もとってくれないくらい個の力に頼るしかない状況。だからせめて同じものと闘う物同士、お互いを貶し合うことなく、否定し合うことなく共存したい。ストレスをぶつけ合うようなことはしたくない。


こんな環境だからこそ、人に優しくあり、優しくされるべきだと思う。電車で喧嘩をする人たちもピリピリしていてなんだか見ていて辛いよ。穏やかさを今一度取り戻そう。






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