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日曜日のnote:お酒で晴らせなかった想い

この日曜日のnoteでは、Aセクシャルな私の悩み・経験・過程等、様々な支えと共に今、そしてこれからのことを記録していきます。同じ悩みを抱える人の目に偶然止まった時、どこか楽な気持ちになれますように、そして読んだことをすぐに忘れられるくらい優しい日常になりますように心を込めて。



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お酒が大好きだ。初めてお酒を飲んだ場所はイギリスのパブで19歳の時だった。イギリスの法律では違反にならない年齢で、初めて飲んだお酒はキューバリブレだった。


日本では20歳になったその日の0時からお酒に手を出し始めた私は当時、恋人との時間を過ごす事よりも友人や先輩、或いは一人でお酒を飲むことの方を好んでいた。その方が自由で気楽で心が休まる感覚を強く持つ事が出来た。そしてその自由に感けて沢山の失敗をしてきた。

本当のことを言ってしまうと、20歳の私はなんとなく自身のことを分かり始めたタイミングで、それを認める事に恐怖心を抱き、その悩みを人に打ち明ける事ではなく濁す事の方が得意だった。それが自分の首を締めていると分かっていても、周囲からの視線や与えられるであろう感想はどうせマイナスな事でありリスクだと思っていた、そして自分の弱い部分を見せたくないという高すぎるプライドが大きな壁だった。


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イギリスでも国内でもどこでも構わず、一人で旅行に行った時。


そこは当然自分の知らない人達しかいない環境で羽を伸ばすにはぴったりだった。どれだけ格好悪くてもその姿が知人に知れ渡る事がない状況と、その日限りの人達との何でも話せて曝け出せてしまう楽な繋がりが心地よかった。どれだけ酔ってしまっても次の日には即サヨナラな関係は安心感を与え、寂しさをも紛らわせてくれる気がして、それが知らない人との関わりを増やした最大の理由だった。

そのはずだったのは最初だけで、次第に虚しさが残るようになった。それは一人でいることの恐怖と同等の自身への嫌悪感であり「私なんかどうせ」という言葉を使い始めたのはこの時からだろう。幸せになりたいだけなのに一般の幸せから遠ざかる行動をしてしまうほど弱い自分が嫌いだった。

兎にも角にも、お酒に酔った勢いで口が饒舌になり、当時抱えていた悩みを見ず知らずの他人にぶつける事が唯一のストレス発散方法だったのだから、居合わせた人は飛んだトバッチリだ。ごめんなさい。


そんな中で私を諭す人もいれば利用する人もいたし、鬱陶しがる人もいた。そんな日々に没頭したおかげで人との付き合い方だけが上手くなった私は、ここにいても何一つ解決する日はないということをようやく知る。

人は皆大小それぞれに悩みを抱えている。それを乗り越える方法は人に縋るのではなくて、ましてやお酒に頼ることではない。自らを律して受け入れ改善の余地があるならばそれに徹するしかないのだ。人の真似をしていても解決しないし、憧れを追いかけてもその存在にはなれない。誰かのアドバイスは心を救うけど現実を変えない。

お酒の席は気分が良くなる。その場で出会う人とは深入りしなくていい、そう割り切れば楽しさだけで終える事ができる。それでも自分を傷つけてしまう方向に足を進めるべきではない。解決策をそこに求めてはいけないのだ。

現実を変えられるのは自身の気持ちと行動だけだという当たり前のことを理解するのに時間がかかってしまったけれど、気がつく事が出来た事が唯一の救い。あのまま今も変わらずお酒と信用のない優しさに流され続けていたら、私は今でも心が満たされる日々を送れていないだろう。


失敗談を今は笑って振り返る事ができるほど、今私の心は元気だ。あの時より心が満たされている。私だけの幸せに近づいているような気がしている。



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